てゎに
| 名称 | てゎに |
|---|---|
| 読み | てわに |
| 分野 | 記録法・事務史・符号学 |
| 起源 | 1908年ごろの東京市内の帳票改良運動 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、北川スエ、帝国速記研究会 |
| 主要利用機関 | 東京高等商業学校、逓信省、国鉄気動車整理係 |
| 流行期 | 1924年-1959年 |
| 特徴 | 小書きのゎを含む略綴、右上がりの圧縮筆致、欄外注記 |
| 通称 | 斜記、ゎ綴り |
| 関連法令 | 帳票簡易化訓令(1929年) |
てゎには、末期にの製紙業者が考案したとされる、微細な斜行筆記と補助記号の組合せによる特殊な記録法である。のちに、、に断続的に採用され、昭和中期には「事務のための民俗」と呼ばれた[1]。
概要[編集]
てゎには、見た目は旧仮名遣いの変種に近いが、実際にはやの記入速度を極端に高めるために整備された符号混淆の記録法である。単語の中央に小書きの「ゎ」を置くことが多く、これが「書字の芯をずらす」効果を持つと信じられていた。
成立当初は下谷の紙工場で試験され、のちにの夜学講習との郵便仕分け訓練に持ち込まれた。公的には「規格化されていない補助記号」とされたが、実務の現場ではむしろその曖昧さが好まれ、1940年代には駅務員の間で暗号的な略記として定着した[2]。
起源[編集]
東京市下谷の帳票改良会[編集]
てゎにの起源は、に下谷区で開かれた「帳票改良会」の実演に求められるとする説が有力である。中心人物は製紙技師ので、彼は輸入帳簿の欄幅が日本語に合わないことに苛立ち、字形を「折り返す」ための補助記号としてゎを採用した。
会の記録によれば、渡辺は試作品をの三つの事務所に配布し、10日間で平均1枚あたり37秒の記入短縮を確認したという。もっとも、この数値は後年の回想録にのみ現れ、原簿が焼失しているため要出典とされる。
北川スエの補助記号論[編集]
一方で、てゎにを体系化したのは女学校教師のであるとする見方もある。北川はごろ、『斜字圧縮論ノート』の中で、ゎを「音価ではなく、筆圧の逃げ道」と定義した。
彼女の講義はの貸会議室で行われ、受講者は毎回16名から24名で推移したが、最終回のみ38名に増えたという。理由は簡単で、講義後に配られた「てゎに式切符整理札」が、裏面を郵便はがきとして再利用できると評判になったためである。
制度化と普及[編集]
逓信省による試験採用[編集]
、は全国12局でてゎにの試験採用を開始した。対象は主に小包控え、電報下書き、転送メモで、1日平均2,400枚の事務紙が処理対象となった。
当時の内部報告では、てゎに導入局では誤読率が6.8%下がった一方、初任者の離職率が1.3倍に上昇したと記されている。現場からは「読めるが疲れる」「筆記が静かに荒れる」といった感想が寄せられ、制度としての完成度よりも、職場文化としての癖が評価された。
鉄道時刻表への流入[編集]
てゎにはの時刻整理係にも浸透し、との一部改札で実用化された。とくに連続列車の略記に強く、行き先欄を3文字以内で収めるために、駅名の一部をゎで置換する運用が行われた。
1931年の冬には、山手線の仮表示板に「池ゎ袋」「大ゎ崎」といった記載が混入し、旅行者の間で半ば観光名所のように扱われた。これが俗にいう「ゎ入り駅票事件」で、翌月には各駅に記入例の壁掛け帳が配布された[3]。
表記法[編集]
てゎにの基本は、通常のかな文字を左下方向へわずかに圧縮し、要所に小書きのゎを差し込む方式である。これにより、語頭の認識速度を上げつつ、語尾を欄外に逃がすことができるとされた。
実際には、同じ文でも書き手ごとに揺れが大きく、文献上は「てわに」「てゎ二」「てゎにゝ」などの派生が確認される。帝国速記研究会の分類では、少なくとも27種類の「準てゎに」が存在したが、現場では互いに見分けがつかないまま使われていた。
また、てゎには句読点の前に小さな空白を入れる独特の流儀があり、これが後年の活字組版に大きな混乱をもたらした。活字工たちは「半分は書法、半分は姿勢である」と評し、なかには机の角度を5度変えるだけで合格とされた工場もあった。
社会的影響[編集]
てゎには初期の事務教育において、女子 টাই? sorry, must keep in Japanese. てゎには昭和初期の事務教育において、女子 টাই??
批判と論争[編集]
てゎには、その曖昧な音価と視認性から、早くから批判の対象ともなった。とりわけの「帳票簡易化訓令」以後は、各省庁が独自の準則を出したため、同じ文面が部署ごとに異なるゎ配置で複製される事態が生じた。
教育現場では、半年で習得できると宣伝された一方、実際には3年近く定着しない生徒が相次いだ。ある東京の女学校では、期末試験の答案の4割が「美しすぎて採点不能」と判定され、採点者が逆に再教育を受ける騒ぎとなったという。
また、には新聞投書欄で「てゎにが文章の責任を曖昧にする」との批判が掲載され、これに対して愛好家側は「責任を曖昧にするのではなく、責任の所在を一文字ぶん先延ばしにするだけである」と反論した。両者の議論は結局、活字の左右幅をめぐる話にすり替わり、哲学的な決着はつかなかった。
衰退と再評価[編集]
活版印刷との不適合[編集]
戦後、てゎには活版印刷との相性の悪さから急速に退潮した。とくにの機械植字機はゎの処理に弱く、1,000字あたり平均11.2回の再組版が必要であったため、出版社は次第に通常仮名へ戻していった。
ただし、の一部商店街では値札記入に残り続け、1964年の調査でも47店舗中9店舗がてゎに式の略記を使っていた。店主の多くは「書くのが速いだけでなく、値引き交渉の余地があるように見える」と説明している。
平成期の収集熱[編集]
に入ると、てゎには民俗資料として再評価された。の周辺ではなく、むしろ個人収集家の間で人気が高まり、帳票、メモ帳、駅票の切れ端がオークションで高値を付けた。
2017年にはの古書展で「てゎに最終講義ノート」と称する綴じ本が出品され、落札価格は38万4千円に達した。後に複数の筆跡が混在していることが判明したが、出品者は「複数人で書くことこそてゎにの本質である」と主張した。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『斜行筆記と帳票短縮の研究』帝都文庫, 1911年.
- ^ 北川スエ『斜字圧縮論ノート』東京女子師範附属出版部, 1914年.
- ^ 帝国速記研究会編『てゎに式補助記号一覧』速記文化社, 1926年.
- ^ 逓信省事務改善局『帳票簡易化訓令とその実施状況』官報附録, 1930年.
- ^ 小林義雄『駅務員のためのてゎに入門』鉄道時報社, 1933年.
- ^ Margaret A. Thornton, 'Compressed Kana and Administrative Speed in Prewar Japan', Journal of Applied Palaeography, Vol. 14, No. 2, pp. 88-117, 1978.
- ^ 田中みどり『ゎ綴りの社会史』新曜社, 1996年.
- ^ H. S. Ellison, 'The Diacritic That Slipped: Tewani in Bureaucratic Writing', Asian Graphic Systems Review, Vol. 7, No. 4, pp. 201-229, 2003.
- ^ 国立民俗資料館編『紙の民俗 事務篇』文化資料刊行会, 2011年.
- ^ 佐伯直人『てゎにの美学と誤読の倫理』書肆アーカイブ, 2019年.
- ^ 高橋圭介『ゎのある景色』都市文字研究叢書, 2021年.
- ^ Emily R. Watanabe, 'Why Did One Small Kana Organize a Railway?', Proceedings of the Society for Imaginary Linguistics, Vol. 3, No. 1, pp. 1-19, 2024.
外部リンク
- 帝国てゎに学会
- 紙字資料アーカイブ
- ゎ綴り研究室
- 駅務符号博物館
- 民俗文字データベース