あめっちょかるかる
| 名称 | あめっちょかるかる |
|---|---|
| 別名 | 雨緒調軽軽、A.C.K.法 |
| 発祥 | 神奈川県横浜市・山下ふ頭周辺 |
| 成立時期 | 1928年頃 |
| 主な用途 | 雨天時の衣類・装備の湿度制御 |
| 提唱者 | 黒田巳之助、マーガレット・L・ハーグレーヴ |
| 普及組織 | 横浜臨港生活工学研究会 |
| 特徴 | 微細な霧吹きと乾布を組み合わせる |
| 関連現象 | 通勤時の裾濡れ、紙袋崩壊 |
あめっちょかるかるは、の沿岸部で発達した、降雨時の衣服・靴底・荷物の湿り具合を事前に調整するための生活技法、またはその際に用いられる即席の保護具の総称である。初期にの倉庫街で体系化されたとされる[1]。
概要[編集]
あめっちょかるかるは、雨天時に「完全に乾かす」のではなく、むしろ一定量の湿り気を残すことで体温低下や摩擦不良を抑えるという、半ば逆説的な生活技法である。名の由来は、作業員の間で用いられた掛け声「あめっちょ、かるかる」にあるとされ、雨脚が強まるたびに布を二度振る慣習を指したという[2]。
この技法は、倉庫荷役、港湾事務、女学校の通学指導の三つの現場でほぼ同時多発的に観察され、その後の生活科学系研究者らによって「準湿潤適応法」として整理された。もっとも、実践者の多くは理論を知らず、単に「濡れすぎると重いが、乾きすぎると風を通す」と経験的に理解していたにすぎないとされる。
成立の経緯[編集]
港湾労働からの派生[編集]
起源はの綿布輸送にあるとする説が有力である。1928年の梅雨期、山下ふ頭の第3倉庫で、乾燥しすぎた麻袋が破れやすくなる問題が続発し、監督官の黒田巳之助が「袋も人も、少し湿っていた方が落ち着く」として、荷役の前に霧吹きで靴底だけを湿らせる手順を導入した[3]。
同倉庫では、1日平均4,200個の荷を扱うなかで、午後2時台に紙箱の破損率が12.7%に跳ね上がることが記録されていたという。そこで黒田は、作業班を5人単位に分け、先行班が傘を差して2分間だけ歩行し、後続班がその湿気を見て作業速度を調整する方式を採用した。これがのちの「かるかる配置」の原型である。
女学校での整形[編集]
一方で、の女学校に勤務していた英語教師マーガレット・L・ハーグレーヴは、登校時に裾が重くなる生徒が増えたことから、制服の袖口に薄い和紙を挟み、雨粒を受けた際の「初期重量」を一定化する工夫を行った。彼女はこれを「light rain equalization」と呼び、校内で訳語を探した日本人教諭が偶然「あめっちょかるかる」という語感を気に入り、掲示板に書いたのが広まりの契機とされる[4]。
なお、ハーグレーヴの日記には「日本の雨は親切だが、布には厳しい」との一文が残るが、その原本はの複写簿にしか見当たらず、真偽は確定していない。もっとも、この種の曖昧さがむしろ当時の受容を支えたとの指摘がある。
技法[編集]
あめっちょかるかるの基本は、湿度を「ゼロか百か」で扱わず、35〜42%の残留湿潤帯に保つことである。実践では、乾布で表面を2回だけ叩き、その後に傘の内側で15秒待機する「二拍一静」が推奨された。これは当時の商店街で配布された『雨の日の軽さ管理手帖』第4版にも記載されている[5]。
器具としては、竹製の小型霧吹き、重曹を含ませた布、鉛筆ほどの太さの木製クリップが好まれた。特に木製クリップは、紙袋の持ち手に挟むことで揺れを1.8割減らすと宣伝され、の展示会で「最も地味だが役に立つ雨具」として準優勝している。
また、徒歩移動時に靴の左右で湿り気をずらす「片足先行法」も広く用いられた。右足を先に3歩だけ湿地に踏み入れ、左足は乾いた側溝の縁を保つというもので、慣れると傘を持ちながらでも小走りが安定するとされた。もっとも、実測では歩幅が不自然に狭くなるため、通行人からはしばしば奇妙な行列に見えたらしい。
普及と制度化[編集]
1934年、衛生局の外郭団体である「臨港生活改良連盟」が、あめっちょかるかるを家庭向けに再編した「簡易雨天適応講習」を開始した。講習は月12回、各回90分で行われ、受講者には木札と濡れ具合判定表が配布されたという[6]。
戦後になると、同技法は一時「時代遅れの倹約術」と見なされたが、1958年のの通勤混雑を受けて再評価された。特に周辺では、朝の雨天時に傘の滴を互いに避けるための所作として定着し、駅前の喫茶店では「かるかるセット」と称するタオルとコーヒーの定食風サービスまで現れた。
1966年にはラジオ第2放送で『暮らしの湿度学』が放送され、その第7回「雨具の軽さは文明か」において、あめっちょかるかるが「日本人の歩行美学の一分枝」と評された。以後、教育番組や家庭科教科書に断続的に登場し、1972年版では図版の傘がやや大きすぎるとして話題になった。
社会的影響[編集]
あめっちょかるかるは、単なる雨天対策にとどまらず、都市の歩き方そのものを変えたとされる。傘を垂直に持つか斜めに持つか、濡れた袖をどこまで許容するかといった細部が共有されたことで、駅前や商店街に「湿り気の礼儀」が生まれたのである。
また、繊維産業にも影響を与え、1960年代後半には撥水加工よりも「軽い濡れ感」を売りにした合成繊維が試作された。もっとも、当初の宣伝文句「濡れても重くない」は消費者に意味が伝わりにくく、売り場では「たぶん傘が要る服」と呼ばれていたという。
さらに、心理学の領域では、あめっちょかるかるを実践する人は雨の日の苛立ちが少ないという調査がで行われ、被験者84名のうち71名が「妙に落ち着く」と回答した。ただし、調査対象の半数以上が研究室の近所に住む常連であったため、学術的厳密性には限界がある。
批判と論争[編集]
一方で、あめっちょかるかるには「科学を装った生活の美学にすぎない」との批判もある。特に1961年の『週刊臨港』は、同技法が実際には単なる濡れた布の再利用であり、湿度管理の理論は後付けであると報じた[7]。
また、1979年にはが、残留湿潤帯の数値化に根拠がないとして、関連する小型霧吹きの表示を自主回収する騒ぎがあった。これに対し推進派は「数値はあくまで手触りの目安であり、測るためのものではない」と反論している。
現在でも、地方自治体の防災講座で紹介されることがあるが、講師の口癖が「これは便利というより、雨に負けないための姿勢です」であることから、実用品なのか精神論なのかは結論が出ていない。
再評価[編集]
2000年代以降、都市生活のミニマル化とともに、あめっちょかるかるは「持ち物を増やさない雨の日の知恵」として再評価されている。特にの企画展『傘の下の近代』では、木製クリップの実物とともに、当時の通学メモ「今日は少しだけぬれてよい」が展示され、来館者の関心を集めた[8]。
一方、SNS上では「#かるかる整え」などのタグで再現動画が流行し、傘を閉じる前に3回だけ袖を払う儀式が若者の間で半ばネタ化している。もっとも、再流行の多くは本来の思想よりも見た目のかわいさに引かれており、創始者たちが見たら困惑したであろうという意見もある。
現在、横浜市内の一部の小学校では雨天避難訓練の補助教材として紹介されており、児童は「濡れたあとにどう軽くするか」を学ぶ。教育委員会は「防災教育として有用」と説明するが、保護者からは「なぜそこまで湿り気に詳しいのか」との問い合わせが毎年数件寄せられている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
初期の都市生活
脚注
- ^ 黒田巳之助『港湾作業における準湿潤適応法』横浜臨港生活研究叢書 第2巻第4号, 1931年, pp. 14-29.
- ^ Margaret L. Hargrave, "Light Rain Equalization in Girls' School Uniforms," Journal of Urban Domestic Science, Vol. 8, No. 3, 1933, pp. 201-218.
- ^ 渡辺精一郎『雨衣と軽量感覚の民俗学』中央風俗出版社, 1949年.
- ^ 小川辰也「残留湿潤帯と歩行安定性の関係」『家政工学雑誌』第12巻第1号, 1959年, pp. 33-47.
- ^ 横浜臨港生活改良連盟編『簡易雨天適応講習テキスト』臨港文化協会, 1935年.
- ^ 佐伯美智子「通勤圏における傘滴回避行動」『都市行動研究』Vol. 14, No. 2, 1968, pp. 88-104.
- ^ 田所康雄『かるかる法の思想史』港町書房, 1977年.
- ^ 『週刊臨港』編集部「雨の日の軽さは誰のものか」『週刊臨港』第23巻第11号, 1961年, pp. 6-9.
- ^ 松永瑠璃子『傘の下の近代』神奈川出版, 2004年.
- ^ Eleanor P. Finch, "A.C.K. and the Etiquette of Dampness," Proceedings of the East Asian Domesticity Conference, Vol. 5, 2011, pp. 55-73.
外部リンク
- 横浜生活技法アーカイブ
- 臨港湿度研究センター
- 港町雨具史データベース
- 傘下の文化館
- かるかる再現プロジェクト