うどんポーション
| 分類 | 即席麺濃縮液 |
|---|---|
| 発祥 | 日本・香川県高松市周辺 |
| 考案者 | 四国麺類工業試験所の技師団とされる |
| 成立年 | 1958年頃 |
| 主原料 | 小麦粉、かんすい、食塩、寒天抽出物 |
| 標準容量 | 18mL、27mL、45mLの3規格 |
| 用途 | 携行食、災害備蓄、学校給食実習 |
| 別名 | 麺の素、麺ポーション |
うどんポーションは、・・を規定比率で密封した携帯用濃縮麺液である。水または湯で希釈すると即席の生地または麺状ゲルが生成されるとされ、を中心に広く知られている[1]。
概要[編集]
うどんポーションは、で発達したとされる濃縮型の麺調理素材である。元来はの船員向け補給食として考案されたが、のちにやの教材としても流通した。
名称の「ポーション」は、少量で大きな効能を発揮するという当時の工業製品命名の流行に由来するとされる。なお、初期の製品は開封時に小さく泡立つ性質があり、これを「湯が魔法のように麺を呼び出す」と説明した販促資料が残っている[2]。
歴史[編集]
前史と試験製造[編集]
起源については複数の説があるが、にの食品部門が、うどんの輸送中劣化を防ぐために寒天と油脂を混合した試験液を作ったのが始まりとされる。担当技師のは、当初は「麺汁の濃縮案」であったものを誤って倍量のかんすいで仕上げ、結果として麺が短時間で再構成される奇妙な試料を得たという。
この試料は職員のあいだで「J-7号」と呼ばれたが、試験場の売店で湯を注いで食べた局長が「これは運搬できるうどんである」と発言したことから、製品化の気運が高まったと伝えられている。もっとも、この逸話はとされることが多い。
量産化と港湾需要[編集]
にはの貨物倉庫で小規模な量産が始まり、漁業者や夜勤労働者向けに18mL缶が配布された。港湾関係者は、寒冷期に湯と醤油さえあれば短時間で満足感が得られる点を評価し、箱単位での発注が急増したという。
一方で、缶の内圧が季節により変動し、夏場に開封すると麺液が先に飛び出して顔面に付着する事故が相次いだ。これを受けては、缶底に「静かに三回回してから湯へ」と書くよう指導したが、かえって儀式性が高まり、学生寮では開封時の作法として定着した。
全国普及と学校給食[編集]
に入ると、の食育実験事業に採択され、全国の一部小学校で「うどんポーション再構成実習」が行われた。子どもたちは理科室で溶液の粘度変化を観察し、そのまま給食として食べるという二重の体験をしたため、授業時間が大幅に超過したという。
特にとの一部校では、麺の太さを競う「復元率コンテスト」が始まり、1本あたりの最大復元長を記録するクラスが表彰された。1978年の都内大会では、のある児童が規定量の2.4倍を加えた結果、直径9mmの麺が38mmに肥大し、審査員が「これはうどんというより柱である」と評した[3]。
災害備蓄としての定着[編集]
以後、うどんポーションは長期保存食として再評価され、にの一部地域支部が備蓄倉庫へ試験導入した。軽量であるうえ、湯の量を変えることで汁物にも固形麺にも対応できる柔軟性があり、避難所の炊き出し担当者から高い支持を得た。
ただし、避難所では「みんなで一斉に希釈すると味が同じにならない」という問題があり、自治体は湯量の目盛りが印刷された「配給用計量柄杓」を配布した。これにより、うどんポーションは単なる食品ではなく、分配公平性を象徴する道具として扱われるようになったとされる。
製法[編集]
標準的なうどんポーションは、由来の澱粉懸濁液にを加え、低温で熟成させたのち、真空封入される。工場によっては、希釈時の伸びを安定させるため、微量のと乳化剤が用いられる。
復元時は、80〜92℃の湯で12〜18秒攪拌するのが一般的とされる。業界団体の資料では、18mL缶で約180g相当、45mL缶で最大520g相当まで膨張すると記載されているが、同一ロットでも気温差により最大14%の誤差が出るという。なお、家庭用の「手動ゆらぎ式」製品では、鍋の振り方によって麺のコシが変わると宣伝されている[4]。
文化[編集]
香川の贈答文化[編集]
香川県では、うどんポーションは歳暮や引っ越し祝いの定番品として扱われた時期がある。とくにの商家では、箱の表面に「開封後は三分以内に召し上がれ」と書いた紅白包装が用いられ、正月の親族会で湯気を立てること自体が縁起物とみなされた。
一部の家庭では、成人式の前日に祖母がポーションを手渡し、「これができて一人前」と言う慣習があったとされる。地域史研究者のは、この慣習を「麺の通過儀礼」と呼んでいる。
メディアへの登場[編集]
の深夜ラジオ番組で、パーソナリティが「ポケットに入るうどん」として紹介したことをきっかけに、若年層のあいだで一種のアイロニー商品として流行した。続くには、系の生活情報番組で「湯さえあれば完成する地方工業の結晶」として取り上げられ、問い合わせが一時的に月8,400件まで増えたという。
また、の観光土産としてミニ缶を模した文鎮型商品も発売され、土産物店では「食べる前に飾る人が多い」との報告があった。これは保存食としてはやや本末転倒であるが、文化財的価値が先に立つ好例とされている。
批判と論争[編集]
うどんポーションには、発売当初から「うどんは麺で食べるべきであり、液体にして携帯するのは本末転倒である」という批判があった。特にの職人らは、コシの概念が工業的に規格化されることに反発し、にはで反対声明が出されたとされる。
また、学校給食への導入時には、子どもが缶を振りすぎて泡立ちが強くなり、理科教材としては成功したが昼食としては騒がしすぎるという意見があった。さらに、復元後の麺長を競う地域大会では、審査基準が不透明であるとの指摘があり、ある年は審査員のうどんの好みが結果に影響したと報じられた[5]。
現代の展開[編集]
以降は、災害食としての地位を保ちながら、アウトドア用品店や鉄道売店での販売が増えた。特にの一部駅構内では、発車ベルに合わせて湯戻しタイマーが鳴る限定商品が人気を集め、旅の記念品として購入されることが多い。
2021年には、内の食品メーカーが糖質調整版「ライトポーション」を発売し、希釈後の麺量を通常品の72%に抑えた。これに対し、保守的な愛好家は「72%ではうどんの霊気が足りない」と主張したが、若年層からは深夜の軽食に便利であるとして支持された。
現在では、自治体の防災訓練で湯を注ぐ体験が行われるほか、海外の日本食イベントでも紹介されている。ただし、やの催事では希釈率の説明が難しく、参加者が「飲み物なのか麺なのか」を最後まで理解しないまま列を作ることが多い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒川重助『麺液復元試験報告書』香川県立工業試験場紀要, Vol.12, pp. 41-58, 1959.
- ^ 藤原道彦『瀬戸内における麺類携行化の研究』地方食文化研究, 第7巻第2号, pp. 112-139, 1974.
- ^ M. A. Thornton, "Concentrated Noodle Suspensions in Postwar Japan", Journal of Applied Culinary History, Vol. 18, No. 4, pp. 201-229, 1988.
- ^ 『うどんポーション使用手引き』四国麺類工業協会, 1966.
- ^ 佐伯千秋『防災備蓄食としての麺液製品』日本食品保存学会誌, 第22巻第1号, pp. 33-47, 1997.
- ^ Hiroshi Kagawa, "The Portability of Wheat: Udon Potion and Regional Logistics", East Asian Food Systems Review, Vol. 9, pp. 77-96, 2003.
- ^ 村上さやか『給食室における再構成麺の教育効果』教育と調理, 第14巻第3号, pp. 5-19, 1981.
- ^ 『高松市防災食料備蓄白書 2019年度版』高松市危機管理局, 2020.
- ^ 山下啓一『湯戻し儀礼の社会学――うどんポーションの地域浸透』社会食研究叢書, Vol. 3, pp. 1-88, 2011.
- ^ R. S. Bennett, "When Noodles Become Liquid: A Survey of Portable Udon", Culinary Technology Quarterly, Vol. 6, No. 1, pp. 14-31, 1979.
外部リンク
- 香川県麺類工業資料館
- 四国即席食品史アーカイブ
- 高松港生活文化研究会
- 全国うどんポーション保存会
- 災害食レトロ工業博物誌