うにゃんこカーニバル
| 行事名 | うにゃんこカーニバル |
|---|---|
| 開催地 | 大阪府堺市・泉北一帯 |
| 開催時期 | 毎年5月最終土曜から6月第1日曜 |
| 種類 | 神社祭礼・地域行事 |
| 由来 | 猫面の奉納儀礼と豊作祈願に由来する |
| 主催 | 大鳥大社うにゃんこ奉賛会 |
| 特徴 | 仮装山車、鈴踊り、うにゃんこ行列 |
| 参加者数 | 延べ約48,000人(2023年推計) |
うにゃんこカーニバル(うにゃんこカーニバル)は、のの祭礼[1]。より続くのの風物詩である。
概要[編集]
うにゃんこカーニバルは、南部で行われる春末から初夏にかけての祭礼である。地域では単に「うにゃんこ」とも呼ばれ、の例祭を中心に、仮装行列と山車の巡行、鈴を付けた踊り手による奉納が行われる。
古来よりの湿地帯では、田植え前の雨乞いと害獣除けを兼ねた儀礼が伝わり、そこに猫を模した面と鈴の意匠が結びついたとされる。現在では内外から見物客が訪れ、初夏の風物詩として親しまれている[2]。
名称[編集]
「うにゃんこ」の語源については諸説あるが、最も有力なのは、祭礼で用いられる猫面の掛け声「うにゃ」「にゃこ」が混成したとする説である。文献上は11年のに「うにゃんこ振り」との記述が見え、これが現在の名称の原型と考えられている。
一方で、期にの教育関係者が「児童にも親しみやすい呼称」として整えたという説もある。ただし、同時代の口承資料には「うにゃんこ」は既に市井で広く用いられており、命名者を特定するのは難しいとされる[要出典]。
由来・歴史[編集]
起源[編集]
祭礼の起源は中期、の農民が疫病と長雨の収束を祈って猫形の藁札を奉じたことにあるとされる。享保末期の寺社帳には、豊作祈願のため「鈴七十二顆を付した面」を奉納した記録があり、この鈴の数が後の行列の基準になったという。
また、の港で荷を荒らす鼠が増えた年に、商人たちが「猫の気配」を示す催しを行い、港町の娯楽としても発展したと伝わる。ここで神事と見世物が混ざったことが、現在の祭りの奇妙な賑やかさにつながった。
近代以降の変化[編集]
30年代には、沿線の観光客誘致策と結びつき、行列に紙製の猫耳飾りが導入された。大正期には学校単位の参加が始まり、各校が独自の「うにゃんこ面」を制作するようになったため、地域ごとの造形差が生まれた。
戦後は一時衰退したが、にとが共同で再興し、露店、子ども相撲、鈴踊りが再整備された。なお、再興初年の行列は雨で2時間遅延し、鈴が湿気を吸って重くなり、参加者が半ば無言で進んだことが「本来の神秘性を高めた」と記録されている。
現代の整備[編集]
には保存会が発足し、踊りの所作が「三拍子のうにゃ」「返しのうにゃ」などに分類された。さらにはに地域文化資産としての調査を実施し、巡行ルート、衣装の縫い方、鈴の直径まで細かく規定している。
ただし、保存会の内部資料には、鈴の数を厳密に守る班と、雨の日だけ増やす班が併存しており、伝統が一枚岩でないことがうかがえる。こうした揺れもまた、うにゃんこカーニバルの魅力であるとされる。
日程[編集]
開催日は毎年5月最終土曜から6月第1日曜までの3日間とされる。初日は「鳴き初め」、2日目は「本渡り」、最終日は「鈴納め」と呼ばれ、いずれもの拝殿前を起点に行われる。
かつては旧暦4月18日固定であったが、改暦後、農繁期との重なりを避けるため現在の日程に調整された。気象観測上、この時期の沿岸は南風が強く、紙飾りがよく舞い上がるため、結果的に祭りの視覚効果が増したと分析されている。
各種行事[編集]
祭礼の中心は「うにゃんこ行列」である。これは白装束の担い手が猫面を着け、長さ約18メートルの鈴縄を引いて進むもので、先頭の「鳴き役」が合図を出すたび、沿道の子どもが「うにゃ」と返す。
また、「鈴踊り」では、直径2.4センチの小鈴を総数1,728個つけた袴が用いられる。踊り手は足を高く上げず、すり足に近い動きで回転するが、これは昔、石畳で転倒が相次いだために採用されたという。
露店では「うにゃ焼き」と呼ばれる餡入りの菓子が売られ、地域の婦人会が焼き印の位置を毎年1ミリ単位で調整している。なお、焼き印が耳の形ではなく尾の形になった年は売上が12%落ちたとされ、以後は厳格に守られている。
さらに、夜には「灯り奉納」が行われる。参加者は青白い紙灯籠を川沿いに並べるが、これをの風に任せて少し傾けるのが作法であり、まっすぐ置くと「猫がよそ見をする」として忌避される。
地域別[編集]
堺市中心部[編集]
では最も神事色が強く、の社頭を中心に厳粛な奉納が行われる。ここでは猫面の目尻がやや吊り上がっており、古くから「きりっとしたうにゃんこ」と呼ばれている。
泉北ニュータウン周辺[編集]
周辺では住宅地の広場を使った参加型の催しが多く、子ども向けの「鈴すくい」が人気である。1980年代に自治会が導入した簡易山車が、現在のファミリー向け演出の原型になったとされる。
南大阪沿岸部[編集]
やでは港町の要素が強く、帆布を使った巨大な猫旗が掲げられる。とくに風の強い年は旗が横倒しになり、遠目には「眠る猫」のように見えるため、写真映えする区画として知られている。
批判と論争[編集]
一部では、猫面と鈴を多用する演出が「神事というより娯楽化が進みすぎている」との批判もある。これに対し保存会は、祭礼は古くから神事と興行の中間に位置していたとして反論している。
また、に導入された発光鈴については、夜間の安全性向上に資する一方、伝統的な金属音が失われるとする意見が出た。もっとも、地元の調査では来場者の78%が「音よりもまず顔が面白い」と回答しており、議論はやや収束している。
なお、の文化財担当者が「うにゃんこ」は擬態語ではなく固有の儀礼名であると整理した際、若干の反発があった。市民の間では「説明しすぎると祭りの正体が薄まる」との感覚が根強い。
脚注[編集]
[1] 『堺市神社祭礼誌』によれば、の春季例祭に付随する形で成立したとされる。
[2] では、地域住民の87.4%が「初夏の訪れを感じる行事」と回答したとされるが、調査票の一部が鈴の音で判読不能になったという。
[3] ただし、11年の記述と現行の行列構成が完全に一致するわけではなく、後世の追記がある可能性も指摘されている。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山口春彦『泉州民俗と鈴の儀礼』堺郷土文化研究会, 1998.
- ^ Margaret L. Thornton, “Cat-Mask Rituals in Coastal Osaka”, Journal of East Asian Folklore, Vol. 14, No. 2, pp. 88-117, 2006.
- ^ 北野紘一『堺祭礼の近代化と観光化』関西民俗出版社, 2011.
- ^ 大鳥大社社務所『うにゃんこ奉納記録集』社内刊, 1959.
- ^ 佐伯みどり『鈴と仮面の都市史』大阪民俗叢書, 2003.
- ^ 堺市文化振興課『堺市文化資産調査報告書 2014年度版』堺市, 2015.
- ^ Jonathan E. Pike, “On the Semiotics of Bell Costumes”, The Western Pacific Review, Vol. 9, Issue 4, pp. 201-229, 2017.
- ^ 藤堂一真『祭礼経済学入門 うにゃんこ編』みなと新書, 2020.
- ^ 高瀬玲子『泉北の初夏と雨乞いの変遷』地方史学会, 第22巻第1号, pp. 33-56, 1991.
- ^ 堺県史編纂室『堺県祭祀資料集成』第7巻, 1889.
- ^ A. M. Hargrove, “A Curious Case of Bell Migration in Urban Festivals”, Bulletin of Imaginary Anthropology, Vol. 3, No. 1, pp. 7-19, 2019.
外部リンク
- 大鳥大社うにゃんこ奉賛会
- 堺市文化資産アーカイブ
- 泉北民俗研究所
- 南大阪祭礼観測ネット
- うにゃんこ保存会公式記録室