うんこ粥
| 作品名 | うんこ粥 |
|---|---|
| 原題 | Porridge of Excrement |
| 画像 | Unekogayu_poster.jpg |
| 画像サイズ | 220px |
| 画像解説 | 初公開時の劇場用ポスター |
| 監督 | 霧島蓮司 |
| 脚本 | 霧島蓮司、真田礼子 |
| 原案 | 真田礼子 |
| 製作 | 北條正雄 |
| 製作総指揮 | 三好徳一 |
| ナレーター | 沢木久美 |
| 出演者 | 片桐三千代、神谷修、井上芳朗 |
| 音楽 | 杉本義彦 |
| 主題歌 | 「灰の椀」 |
| 撮影 | 中村英治 |
| 編集 | 石田由紀子 |
| 制作会社 | 東洋彩映プロダクション |
| 製作会社 | うんこ粥製作委員会 |
| 配給 | 大映東和 |
| 公開 | 1978年11月18日 |
| 製作国 | 日本 |
| 言語 | 日本語 |
| 製作費 | 1億2800万円 |
| 興行収入 | 6億4300万円 |
| 配給収入 | 3億2100万円 |
| 上映時間 | 107分 |
| 前作 | なし |
| 次作 | うんこ粥II 密林の湯気 |
『』(うんこがゆ、英: Porridge of Excrement)は、に公開されたのである。監督は、主演は。地方の山村に伝わる禁忌の食文化をめぐる物語で、公開当初は物議を醸したが、のちにカルト映画として再評価された[1]。
概要[編集]
『』は、が後半に撮り上げたであり、の山間部に伝わる「粥断ち」の風習を題材としている。題名は一見すると低俗な俗称に見えるが、作中では肥沃な土壌と禁忌の食事法を結びつける象徴語として扱われ、当時の配給資料でも「農村神話の異色再構成」と説明されていた[1]。
映画はの企画で始まり、脚本の基礎となったのは民俗研究家がの旧家で採集したという聞き取り記録である。ただし、その記録の一部は後年の再取材で所在が確認できず、編集者の間では「霧島自身が創作した半民俗資料ではないか」との指摘がある[2]。
公開後は、や系の成人向け二本立て枠で小規模に上映され、口コミによって半年ほどで異例のロングランとなった。なお、初週の観客アンケートには「本当に食べ物映画なのか」「湯気の撮り方が異様に真面目」などの感想が多く、宣伝部はのちにこの反応を逆手に取って再上映版のキャッチコピーを「見てはいけない、おかわりもいけない」と改めた[3]。
あらすじ[編集]
初期、山深いの寒村・では、飢饉の年に限り「うんこ粥」と呼ばれる秘儀が行われていた。村人は一見すると穀物粥を炊くが、その鍋の底には必ず昨年の灰と、祠から持ち出した黒い土が混ぜられるとされ、これが「腸の寒さを返す」効用を持つという。
東京から赴任した衛生学者は、この風習を迷信として否定しようとする。しかし、村の宿屋を切り盛りする演じるは、亡き祖母から受け継いだ木椀を手に、粥の真の意味が「汚れを食べる」のではなく「恐れをのみ込み、来年の米を呼ぶ」ことにあると語る。やがて神谷は、村の裏山で毎夜鳴る釜鳴りの正体と、村長が隠してきた干魃記録を知る。
終盤、村は大洪水に見舞われ、鍋は泥に沈むが、そこへ雪解け水が流れ込み、黒い粥が白く泡立つ場面がある。この場面は撮影現場でも一度しか成功せず、霧島監督は「衛生と呪術の和解を撮った」と述べたとされる。もっとも、後年のインタビューでは、実際には泡の正体は重曹と卵白であったことが明かされ、観客をさらに混乱させた[4]。
登場人物[編集]
主要人物[編集]
は、白椀村で唯一、禁忌の粥を炊く技法を継承する女性である。飢饉の年に生まれたという設定で、作中では笑顔と哀しみが同居する人物として描かれる。演じたは、撮影前に実際にの旧家で一週間の炊飯修行を受けたとされるが、修行内容の詳細は記録が曖昧である。
は、出身の衛生学者で、村に近代的な合理主義を持ち込む役回りである。序盤では潔癖を誇るが、終盤には自ら粥を口にし、「味ではなく、記憶が舌に残る」とつぶやく場面が有名である。
は村長であり、表向きは古い風習の保護者だが、裏ではに粥の珍味性を売り込もうとしていたことが示唆される。
その他[編集]
は村の子どもたちに粥を配る老婆で、毎回「三口で泣け」と言う台詞がある。台詞の由来は脚本段階で削除された民謡にあるとされるが、音響スタッフは「ただの即興」と証言している。
は、村の怪異を迷信ではなく食中毒として処理しようとする人物である。中盤で一度だけ登場するにもかかわらず、再上映時のパンフレットでは主演級の扱いを受けた。
はクレジット上では「その他」とまとめられるが、実際には地元中学校の演劇部12名が参加しており、雪の中で鍋を囲む集団場面は当時の新聞で「異様に統率された少年合唱」と評された。
声の出演またはキャスト[編集]
- お雪 - 神谷修 - 井上芳朗 - ナレーター - お梅 - 黒木巡査 - 田所医師 - 村の子どもたち
本作は実写映画であるが、霧島監督がの絵コンテ法を強く意識したため、クレジット表記には「声の出演」が併記されている。これは当時の配給担当が「人間が喋っているのか、土が喋っているのか分からない」と述べたことに由来するとされる[5]。
スタッフ[編集]
映像制作[編集]
撮影は、編集は、美術はが担当した。特に湯気の描写は、の老舗蒸籠工場で撮られた素材を逆光処理で合成したもので、当時としては珍しい「食品の煙だけを主役にする」手法である。
特殊技術は出身のが中心となり、粥の表面に浮かぶ泡を6層の寒天と米糠で再現した。なお、泡の揺らぎを自然に見せるためにの用水路で実地撮影したカットが1秒だけ使われている。
製作委員会[編集]
製作委員会は、、の三者によって組成された。民俗保存団体が映画製作に関与した事例としては比較的早く、各地の郷土資料館でパンフレット付き前売券が販売されたという。
ただし、委員会の会議議事録には「題名の第一案を『椀の底の人』とする」提案が記されており、最終的に現在の題名へ変更された経緯は、編集者の間でもしばしば議論の的となっている。
製作[編集]
企画[編集]
企画の発端は、夏にで行われた民俗講演会で、真田礼子が「粥は食べるものではなく、村の記憶を煮る装置である」と発言したことにあるとされる。この言葉に霧島が強く反応し、その夜に旅館の押入れで脚本の初稿を3ページ書いたという逸話が残る。
一方で、後年の再現インタビューでは、霧島が「本当は配給会社から“食べ物で怖い映画を”と頼まれた」とも述べており、企画の純文学性はやや誇張である可能性が高い。
制作過程[編集]
撮影は10月から、、で断続的に行われ、豪雪により2度中断した。特に村の祠の場面では、セットの屋根に積もった雪が落ちる音があまりに大きく、スタッフはこれをそのまま効果音として採用した。
出演者には毎朝、実際に米を研ぐ義務があり、片桐は1日平均4.3kgの米を扱ったと記録されている。これにより手首を痛めたが、完成後の試写会では「米の粒が演技している」と称賛された。
美術・CG・撮影[編集]
美術のは、粥椀を「神殿の縮尺模型」とみなし、村の台所を祭壇のように組み上げた。CGは用いられていないが、湯気の一部だけがの分離焼き付け技法で補正されており、これが後年のDVD色調問題の原因になったとされる。
撮影監督の中村は、夜景の青みを強めるためにフィルムを一晩だけ冷蔵庫で保管したという。これは業界誌で「冷えたフィルムは粥に合う」と紹介されたが、実用性は不明である。
音楽・主題歌・着想の源[編集]
音楽はが担当し、竹筒、鉄鍋、箒を使った打楽器中心の編成で書かれた。主題歌「」はが歌い、B面には「よそって、さまして、忘れて」が収録された。
着想の源は、の粥文化との年取り膳、さらにの薬膳観念を霧島が独自に混ぜたものと説明されている。ただし、霧島は別の座談会で「最初の発想は深夜に見た給食の白粥だった」とも述べており、作品解釈は一定しない。
興行[編集]
宣伝[編集]
宣伝では、各地の劇場前に実物大の木椀を置く展示が行われたほか、新聞広告には「試写室で匂いを感じた」という読者投稿風の文面が採用された。これにより、食欲と嫌悪感の境界を揺さぶる作品として話題となった。
キャッチコピーは「すすった者から、村になる」であったが、電話帳広告に載せた際に活字が潰れ、短期間だけ「すすった者から、椀になる」と読める状態になっていた。
封切り[編集]
11月18日、のほか12館で封切られた。初週の成績は平均客席占有率41.7%で、同時期の大作に比べれば地味であったが、深夜回の入りは80%を超えたという。
第3週にはの一部劇場で立ち見が出るほどの反響となり、配給収入は当初予測の2.4倍に達した。なお、劇場側が「汚れに見える演出」を理由にポスターを入口から2m離して掲示したという逸話が残る。
再上映・映像ソフト化[編集]
とにリバイバル上映が行われ、後者ではデジタル修復版が公開された。もっとも、修復版は粥の白がやや青白くなったため、一部ファンから「DVD色調問題」と呼ばれた。
映像ソフト化は、、、の順で行われたが、発売のDVD初版では特典映像の音声が本編より2秒先行する不具合があり、回収騒ぎとなった。
海外での公開[編集]
海外ではで『Bouillie Interdite』として紹介され、の単館系劇場で2週間上映された。英語圏では題名の訳語に困り、宣伝資料の一部では『The Forbidden Porridge』、別資料では『Excrement Porridge』と表記が揺れている。
では食文化映画として受容され、深夜テレビ枠で放送された際に字幕担当が「粥」の訳を6通り使い分けたことが、逆に作品の神秘性を高めたとされる。
反響[編集]
批評[編集]
公開当時の批評は賛否が割れた。『映画週報』は「下品な題名に反して、鍋の音が日本映画の倫理を更新した」と賞し、一方で『文化観察』は「民俗の仮面を被った胃袋の映画にすぎない」と評した。
後年になると、の映画研究会やのゼミで教材として扱われ、湯気のフレーミングが的であるかどうかが小論争になった。もっとも、比較の妥当性にはなお議論がある[要出典]。
受賞・ノミネート[編集]
ので美術賞、録音賞、特別審査員賞を受賞したほか、では審査員特別賞にノミネートされた。主演の片桐は、地方映画祭で「台所を神話に変えた演技」として女優賞を受けている。
ただし、最優秀作品賞の受賞は同年のに譲り、霧島は授賞式で「うんこ粥は勝つ映画ではなく、残る映画である」と述べたと記録されている。
売上記録[編集]
配給収入はで、の中規模怪奇映画としては異例の成績であった。公開から2年で関連書籍とパンフレットの総売上が9万部を超え、再上映版の前売券は発売初日に完売した。
なお、のある劇場では、上映終了後に観客が本当に粥を食べ始めたため、売店が急遽白米を追加発注したという。記録は劇場日誌に残るが、真偽は定かでない。
テレビ放送[編集]
初回のテレビ放送はに系深夜枠で行われ、平均視聴率は5.8%を記録した。放送当日は画面右下に「内容が強いので食後にご覧ください」とテロップが出されたが、逆効果で翌日以降に視聴者問い合わせが急増した。
ではの特集「日本怪奇映画の夜」で紹介され、司会者が本作の椀の造形を「戦後の食卓美学の極北」と評した。また、の深夜再放送では、CM前の無音時間に湯気だけが映り続ける編集が話題になった。
関連商品[編集]
作品本編に関するもの[編集]
公開時には木製のミニ椀、灰色の絵皿、劇中の台詞を収録した便箋セットが発売された。とくに「三口で泣け」湯のみは、通販カタログの誤植で「三口で抜け」と印刷され、短期間だけ幻のレア商品になった。
は全17曲で、うち5曲は鍋の蓋を叩く音のみで構成されている。初回盤には「粥の作法」小冊子が付属し、実際の調理法ではなく、撮影所での椀の角度の付け方が解説されている。
派生作品[編集]
続編『』は公開で、舞台をの架空都市へ移している。ほかに舞台版『椀の底の人たち』、ラジオドラマ『粥と祠のあいだ』、そして学習絵本『ぼくの しろい どんぶり』が制作された。
また、には地方の民俗館で「うんこ粥再現展示」が行われたが、監修者の意図に反して来館者が笑いをこらえられなかったため、展示解説パネルだけが妙に厳格な文体で残された。
脚注[編集]
注釈 [1] 配給資料では興行収入の算定方法が時期により異なる。 [2] 真田礼子名義の採集記録には、複数版が存在するとされる。 [3] 劇場側保存のコピーは現存しない。 [4] 霧島の発言は座談会記録による。 [5] これが実際のクレジット表記に反映されたかは不明である。
出典 [6] 北條正雄『奇妙な食卓映画史』東洋出版, 1983年. [7] 霧島蓮司『湯気の倫理』第2巻第4号, 映画工房社, 1980年, pp. 41-58. [8] 真田礼子『山村民俗と禁忌の粥』民俗文化研究, Vol. 12, No. 3, 1977年, pp. 9-27. [9] 片桐三千代『椀を持つ手』青土社, 1991年. [10] 映画評論特集『怪奇喜劇映画の系譜』キネマ新報社, 1999年.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北條正雄『奇妙な食卓映画史』東洋出版, 1983年.
- ^ 霧島蓮司『湯気の倫理』映画工房社, Vol. 2, No. 4, 1980年, pp. 41-58.
- ^ 真田礼子『山村民俗と禁忌の粥』民俗文化研究, Vol. 12, No. 3, 1977年, pp. 9-27.
- ^ 片桐三千代『椀を持つ手』青土社, 1991年.
- ^ 映画評論特集『怪奇喜劇映画の系譜』キネマ新報社, 1999年.
- ^ 杉本義彦『鍋の鳴る夜』レコード芸術社, 1980年, pp. 12-19.
- ^ 大山久美子『日本の禁忌食とスクリーン』文化資料館出版, 2002年.
- ^ Robert E. Henshaw, "Fermentation and Fear in Late-Show Japanese Cinema", Journal of Asian Screen Studies, Vol. 8, No. 1, 1997, pp. 88-104.
- ^ Margaret L. Thornton, "The Porcelain Bowl and the Forbidden Porridge", Cinema & Ritual Review, Vol. 14, No. 2, 2004, pp. 33-49.
- ^ 真木良介『粥のしずく、土の声』第1巻第1号, 映像と迷信社, 1978年, pp. 1-14.
外部リンク
- 東洋彩映プロダクション資料室
- 日本怪奇映画アーカイブ
- 白椀村民俗資料館デジタル展示
- 深夜映画研究会
- うんこ粥ファンブック委員会