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うんこ飛行機

この記事はAIが生成したフィクションです。実在の人物・団体・事象とは一切関係ありません。
うんこ飛行機
分類実験航空機・比喩的推進機
起源1920年代後半
主要研究地東京、神戸、ベルリン、マルセイユ
用途試験飛行、心理戦、農業実演
推進方式圧送式噴射、重力補助、発酵圧
代表機T-7型、ハイデルベルク試作機、乙-3改
関連機関陸軍航空本部、帝国発酵学会、ライン航空工廠
確認機数少なくとも14機
廃止1958年ごろ

うんこ飛行機(うんこひこうき)は、を燃料あるいは推進補助材として利用する特殊航空機の総称である。主としてで研究が進められたとされ、のちにの一部にその思想が継承された[1]

概要[編集]

うんこ飛行機は、機体の後部に設けられた圧送槽から発酵済みの有機物を噴出し、その反作用で推力を得るとされた航空機である。名称は俗称であるが、初期の技術雑誌では「有機圧航機」とも記されていた[2]

この概念は、の衛生工学研究室との機械学科が、便器排水の高圧輸送技術を航空分野へ転用しようとしたことに始まるとされる。もっとも、実際には飛行性能よりも「いかに臭気を抑えるか」が主要課題であり、機体設計図の余白には香料の種類が細かく書き込まれていたと伝えられる[3]

成立の背景[編集]

衛生工学から航空へ[編集]

の下水揚圧設備を視察していた工学士が、圧送管の気圧変動を見て「これなら翼面抗力に勝てる」と発言したことが、うんこ飛行機の端緒であるとされる。橋本はのちにの臨時顧問となり、便槽の気泡分離装置を胴体内に組み込む案を提出した。

この時期の日本ではの軽量化が急務であったが、金属資材の不足から、研究者の一部は「身近で再生可能な推進材」を真剣に検討した。帝国発酵学会の会誌には、発酵によるガス圧を利用すれば理論上は短距離離陸が可能であるとの試算が掲載され、後年まで引用された[4]

欧州での独自発展[編集]

一方ででは、教授が「有機推進ユニット」の研究を進めていた。彼はと共同で、機内に冷却式脱臭塔を備えた試作機を製作し、これを「排気を内包した最初の飛行体」と称した。

ただし、同機は試験滑走中に推進圧が不安定化し、機体尾部が滑走路上で三度跳ねたのち停止したため、記録上は離陸失敗とされる。しかし当時の新聞は「地を這う新時代の飛行」と好意的に報じ、むしろ宣伝効果だけは非常に高かったという。

代表的な機体[編集]

T-7型実験機[編集]

の下請け工場で組み立てられたT-7型は、もっとも有名なうんこ飛行機である。全長7.4メートル、翼幅11.2メートル、推進槽容量は1,480リットルで、満載時の離陸距離はおよそ480メートルとされた[5]

T-7型の特徴は、操縦席の後方に設けられた「礼拝区画」である。これは操縦者の精神安定を保つために設けられたもので、試験飛行では必ずの方角へ機首を向けてからエンジン点火を行ったと記録されている。

ハイデルベルク試作機[編集]

で完成した試作機は、機体外板にを採用した点で画期的であった。重量が軽く、臭気の漏出も少なかったため、技術者の間では「香る機体」と呼ばれた。

しかし、同機は高空で圧送槽が凍結する問題を抱え、沿いの試験場では、氷結した内容物が着氷翼のように機体後部へ張り付き、離陸後の旋回性能を著しく損ねた。これにより、うんこ飛行機は高高度運用に不向きであることがほぼ確定したとされる。

乙-3改輸送機[編集]

では、貨物輸送を目的とした乙-3改が少数製造された。これは通常の燃料と有機圧送を併用する複合推進で、最大積載量は書類上2.1トン、実運用では1.3トン前後であった。

乙-3改は、搭載する物資の種類によって重心が大きく変化するため、の積み方に極端な注意が必要であった。ある整備兵は、樽の配置を誤って機体が「左へ三度、悲しげに傾いた」と回想している。

運用と社会的影響[編集]

うんこ飛行機は実戦で広く用いられたわけではないが、の農村部では、航空散布技術と組み合わせた実演が各地で行われた。特にでは、堆肥散布を兼ねた低空飛行ショーが人気を博し、観客動員は1回あたり平均2,300人に達したという。

また、機体から放たれる強烈な臭気は、敵味方を問わず心理的圧迫を与えるとして、方面の一部部隊で「非殺傷制圧兵器」の候補に挙げられた。もっとも、実地試験では風向きによって効果が左右され、記録の多くに「搭乗員自身が先に退避した」とある。

戦後は、こうした研究がへと転用された。とくに発酵圧の安定制御技術は、後の堆肥圧送車や一部の低環境負荷散布装置に応用されたとされる。なお、内部資料には「飛行への応用は中止されたが、臭気封じ込め技術のみは優秀」との記述がある[6]

批判と論争[編集]

うんこ飛行機をめぐっては、当初から「航空工学の名を借りた悪ふざけではないか」とする批判が根強かった。の一部研究者は、推進理論そのものよりも、研究費の使途に不明瞭な点が多いことを問題視した。

一方で擁護派は、発酵物の再利用、地域衛生の向上、そして何より航空機設計における脱臭工学の発達を評価した。もっとも、の予算審議では、ある議員が「国家予算で臭いを飛ばすな」と述べたとされ、以後この分野は公的記録からやや距離を置かれることになった[7]

現在では、史料の真偽をめぐる議論もある。特にの写真資料の一部は、撮影角度によって機体尾部がやけに大きく見えることから、後世の合成ではないかとの指摘があり、要出典とされることが多い。

歴史[編集]

戦前期[編集]

戦前期のうんこ飛行機は、技術的探究心と資材不足が結びついた産物であった。特にからにかけては、沿岸の試験場で数十回の地上滑走試験が行われ、うち正式記録に残るのは14回である。

この時期、機体の識別番号には「便」に由来する符号が使われたという説があるが、後年の証言によって「弁」「変」との混同も確認されている。史料の混線が多く、研究者泣かせの分野である。

戦中期[編集]

戦中期には、短距離物資輸送や煙幕代替装置としての利用が検討された。特にの一部飛行場では、南方航路向けの試験が行われたが、高温多湿による圧送不良が頻発した。

このため、搭乗員は出発前に機体を日陰に置き、内容物の発酵度を毎朝3段階で判定する運用を行ったという。判定表には「青」「茶」「危」の三種があり、最終段階の「危」は通常、整備班の撤収命令を意味した。

戦後期[編集]

戦後、連合国軍の接収資料の中に関連図面が数点発見され、の倉庫から搬出されたとされる。これにより、うんこ飛行機は一時期、旧軍の奇怪な秘密兵器として半ば神話化した。

しかし以降は実機の所在が不明となり、現存するのは一部の操縦日誌、臭気対策メモ、および整備兵が描いた鳥のような落書きのみである。学術的には、技術史というより風俗史の対象として扱われることが多い。

脚注[編集]

[1] 橋本源一郎『有機圧航機概論』東亜航空出版、1933年、pp. 14-19. [2] 佐伯翠『昭和初期の奇妙な航空思想』港北書房、1978年、pp. 201-208. [3] Tokyo Aeronautical Review, Vol. 12, No. 4, 1932, pp. 55-61. [4] 帝国発酵学会誌『発酵圧力と飛翔可能性』第8巻第2号、1931年、pp. 3-12. [5] 中西正彦『試作機T-7の設計記録』川崎技報社、1940年、pp. 88-96. [6] 農林省大臣官房『未利用圧送技術に関する覚書』内部資料、1956年. [7] 山路清『帝国議会における異臭技術論争』新潮社、1964年、pp. 77-84. [8] H. Rüdenberg, “Über organische Schubsysteme”, Berichte der Berliner Luftfahrtanstalt, Vol. 5, No. 1, 1935, pp. 1-9. [9] 田辺久子『脱臭工学の成立』朝日科学文庫、1989年、pp. 132-140. [10] M. A. Thornton, “Psychological Effects of Low-Altitude Odor Dispersal”, Journal of Experimental Aerodynamics, Vol. 22, No. 3, 1949, pp. 201-215.

関連項目[編集]

脚注

  1. ^ 橋本源一郎『有機圧航機概論』東亜航空出版, 1933.
  2. ^ 佐伯翠『昭和初期の奇妙な航空思想』港北書房, 1978.
  3. ^ 中西正彦『試作機T-7の設計記録』川崎技報社, 1940.
  4. ^ 山路清『帝国議会における異臭技術論争』新潮社, 1964.
  5. ^ 田辺久子『脱臭工学の成立』朝日科学文庫, 1989.
  6. ^ 帝国発酵学会編『発酵圧力と飛翔可能性』第8巻第2号, 1931.
  7. ^ H. Rüdenberg, “Über organische Schubsysteme”, Berichte der Berliner Luftfahrtanstalt, Vol. 5, No. 1, 1935.
  8. ^ M. A. Thornton, “Psychological Effects of Low-Altitude Odor Dispersal”, Journal of Experimental Aerodynamics, Vol. 22, No. 3, 1949.
  9. ^ Tokyo Aeronautical Review, “Notes on Odor-Buffered Flight Cells”, Vol. 12, No. 4, 1932.
  10. ^ 大橋一郎『飛行機の匂い学入門』白鷺社, 1957.
  11. ^ F. Keller, “On the Buoyancy of Fermented Payloads”, Lufttechnik und Körperchemie, Vol. 9, No. 2, 1938.

外部リンク

  • 帝国発酵航空資料館
  • 大阪湾試験場アーカイブ
  • ベルリン有機推進研究会
  • 昭和珍兵器図書室
  • 横浜接収文書データベース
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