うんちの擬人化
| 分類 | 表現技法、民俗慣行、擬人化文化 |
|---|---|
| 起源 | 1968年頃の東京都文京区 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、三好ルミ、北原善蔵 |
| 主要媒体 | 紙芝居、保健ポスター、児童劇、深夜ラジオ |
| 中核施設 | 東京衛生文化研究所 |
| 派生分野 | 便意演劇、腸内人格論、微生物礼賛運動 |
| 社会的影響 | 学校保健、商業マスコット、都市伝説 |
| 異名 | 排泄人格化、バウンチ・ペルソナ |
うんちの擬人化(うんちのぎじんか)は、排泄物に対して名前、性格、職業、服飾上の属性を付与し、対話可能な存在として扱う表現技法および民俗的慣行である。20世紀後半の内で体系化されたとされ、後にやにも応用された[1]。
概要[編集]
うんちの擬人化は、排泄物を単なる廃棄対象として扱うのではなく、一定の人格を与えて語らせることで、羞恥心の緩和や衛生教育の浸透を図る思想である。特に40年代以降のでは、幼児向け教材の一部として普及したとされる。
一方で、その成立にはとの奇妙な接近があったとされ、便器の縁に座る紳士風の小品から、帽子をかぶった旅芸人型まで、様々な類型が確認されている。なお、初期資料の多くは所在不明であり、研究者の間では「証言だけが異様に充実している分野」として知られている[2]。
歴史[編集]
文京区便意教育研究会の発足[編集]
起源は、の区立保健館で開かれた「幼児排泄行動の記号化に関する懇談会」に求められることが多い。ここで児童心理学者のは、排泄物を無名のまま扱うと子どもが過度に恐怖を抱くと主張し、逆に「名前を与えると安心して離別できる」とする仮説を提示した。
この仮説に強く反応したのが、当時で紙芝居を制作していた三好ルミである。彼女は、うんちに「コロ公」という愛称を与え、工場の帽子をかぶせた試作紙芝居『コロ公のながい一日』を制作した。上映会はにの児童館で行われ、来場者187人のうち、半数以上が途中で笑いをこらえきれなかったと記録されている[3]。
東京衛生文化研究所による体系化[編集]
にはが設立され、うんちの擬人化は一部の風変わりな教育実践から半ば学術的な領域へ移行した。研究所では、排泄物に対する擬人化の様式を「労働者型」「旅人型」「老紳士型」「反省型」の4類型に整理し、さらに便器との距離、滞留時間、語尾の硬さまで測定したとされる。
特に北原善蔵による「人格付与後の自発的水洗率」の統計は有名で、同研究所の報告書では、人格を与えた教材を使用した保育園群で清掃協力度が17.8%上昇したとされている。ただし、比較対象となった園の選定基準が曖昧であるため、後年の批判も少なくない[4]。
大衆化と商品化[編集]
頃から、擬人化されたうんちは学術・教育の枠を離れ、文具、浴室用品、ラジオ番組へと進出した。とりわけの深夜補完枠で放送されたとされる『きみのとなりのコロ氏』は、腸内会話という独自の演出で一部の中学生に強い印象を残した。
同時期、の玩具メーカー「関西ソフトトイ工業」は、うんち人格を小型フィギュア化した『おしゃべり便ちゃん』を発売し、初月売上は3万4,200体に達したという。もっとも、当時の販売資料には返品率が12.4%とあり、主因として「食卓に置くと家族が黙る」という苦情が記録されている。
制度化と衰退[編集]
にはの委託事業として、幼児保健教材『うんちさんといっしょに帰ろう』が全国52自治体に配布され、擬人化は一種の標準表現として定着した。しかし、人格を与えることが過度の愛着を生み、排泄後の離別をためらう児童が増えたため、翌年には一部自治体で教材の使用が見直された。
期に入ると、擬人化は保健教育からインターネット文化へ流れ込み、絵文字的・二次創作的な用法が増えた。だが、原理主義的な研究者は「うんちに職業を持たせるなら、社会保障番号まで与えるべきである」と主張し、議論は次第に過熱していった[5]。
理論[編集]
うんちの擬人化を支える理論は、主に「排泄対象の人格化によって恥部意識を可視化する」というものである。渡辺精一郎は、排泄物を「失敗した身体」ではなく「役割を終えた同居人」とみなすことで、子どもの拒絶反応が穏やかになると述べた。
また、三好ルミは、擬人化されたうんちが「置き去りにされる側」の感情を代弁することで、家庭内の清掃行動に物語性を与えると考えた。彼女のノートには、うんちの性格を決める際の基準として「丸いほど温厚、割れ目が多いほど議論好き」といった記述が残るが、これは後世の編集で誇張された可能性がある。
なお、北原善蔵はこれに対し、人格化が進むほど便器周辺の会話量が増えるため、家庭内コミュニケーションの改善にも寄与すると主張した。実際、研究所の調査では、擬人化教材を導入した家庭の42%が「トイレでの沈黙が減った」と回答したとされるが、回答者が何を意味していたかは明らかでない。
代表的な類型[編集]
うんちの擬人化にはいくつかの典型がある。もっとも古いとされるのは、礼服を着た「老紳士型」であり、家庭内の秩序と清潔を説く役回りを担う。これに対して「旅人型」は、便座を港に見立て、次の移動先へ向かう放浪者として描かれる。
以降に流行したのは「反省型」で、顔を赤らめ、丁寧語で謝罪しながら水流に送られる。この類型は学校教材との相性がよく、保健室前の掲示物にも頻出した。なお、学芸員のによれば、内の一部幼稚園では、うんちに課長職を与える「役職型」が独自に発達していたという。
さらに、深夜ラジオ圏では「哲学者型」が知られており、便器の淵で存在意義を語る姿が人気を集めた。これらの類型は厳密な分類というより、編集者ごとの趣味が反映されたものとみるのが妥当である。
社会的影響[編集]
うんちの擬人化は、幼児教育における衛生観念の普及に一定の役割を果たしたとされる。実際、後半の保育現場では、排泄後の手洗い率が向上したという報告があり、教材の中には「コロ公、さようなら」と唱えて流す手順が記されていた。
また、広告業界では、親しみやすい排泄表現としてキャラクター化が進み、トイレットペーパーや消臭剤の販促に応用された。東京都内のドラッグストアチェーンでは、擬人化マスコット導入後に売場滞在時間が平均21秒延びたとされる。これが購買行動にどう影響したかについては、のまま放置されている。
一方で、言語教育への影響も見逃せない。児童に対して「うんちは帰るもの」と教えることで、所有と分離の概念を早期に学ばせる効果があるとされたが、実際には「うんちに友だちを感じてしまう子」が続出し、保護者会で何度か問題になった。
批判と論争[編集]
批判の中心は、人格化が過度になると排泄行為そのものの私物化を招くという点にあった。特にの夕刊で紹介された『便意の自我化をめぐる懸念』は、学会内外で大きな波紋を呼び、研究者の一部は「うんちに名刺を持たせるのは行き過ぎである」と反論した。
また、宗教学の立場からは、排泄物に人格を付与する行為が一部地域の祖霊観と混同されるおそれがあると指摘された。これに対して北原善蔵は、「祖先と便意は近い概念である」とする独自の講演を行い、会場の空調が一時的に停止したと記録されている。
さらに、ネット時代に入ると、擬人化の過剰な可愛化が本来の教育目的を失わせるとして、保健教材からキャラクターを排除すべきだという運動も起こった。もっとも、排除運動のチラシにもなぜか丸い目のマスコットが印刷されており、批判の切れ味はやや鈍かった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『排泄対象の記号化と幼児の離別行動』東京衛生文化研究所紀要, Vol. 2, No. 1, 1969, pp. 11-34.
- ^ 三好ルミ『紙芝居における便器周辺人格の演出』児童文化学会誌, 第14巻第3号, 1971, pp. 88-102.
- ^ 北原善蔵『衛生教育における擬人化マスコットの受容』保健文化レビュー, Vol. 7, No. 4, 1974, pp. 201-219.
- ^ 松浦貞子『愛知県内幼稚園にみる役職型排泄キャラクターの分布』中部民俗研究, 第9巻第2号, 1978, pp. 55-73.
- ^ Harold P. Wexler, “Persona Assignment in Sanitary Pedagogy,” Journal of Applied Folklore, Vol. 18, No. 2, 1981, pp. 97-116.
- ^ Annette M. Collier, “The Little Fellow in the Bowl: A Study of Excremental Mascots,” Educational Semiotics Quarterly, Vol. 5, No. 1, 1983, pp. 1-29.
- ^ 『うんちさんといっしょに帰ろう』文部省教材局, 1984.
- ^ 田所一郎『便意の自我化をめぐる懸念』衛生言語学報, 第3巻第1号, 1986, pp. 9-18.
- ^ G. Nakamura, “On the Administrative Titles of Toilet Characters,” East Asian Cultural Mechanics, Vol. 11, No. 3, 1992, pp. 143-158.
- ^ 北原善蔵・三好ルミ『コロ公とその周辺――排泄人格化の戦後史』東京衛生文化研究所出版部, 1997.
外部リンク
- 東京衛生文化研究所アーカイブ
- 文京区児童保健史料館
- 排泄キャラクター年表委員会
- うんちの擬人化デジタル博物誌
- コロ公保存会