うんちんこ
| 名称 | うんちんこ |
|---|---|
| 別名 | 端数唱え、駅前うんちんこ、三円半則 |
| 成立 | 明治後期〜大正初期 |
| 発祥地 | 東京市下谷区および大阪市南区の一部 |
| 提唱者 | 野村玄一郎、梶原ミネ |
| 主な用途 | 運賃端数の暗算、帳簿の照合作業、口頭伝票の復唱 |
| 隆盛期 | 昭和8年〜昭和24年 |
| 再評価 | 平成以降の民俗学・交通史研究 |
| 関連文書 | 鉄道省簡易計算要覧、下町口承語彙採録集 |
うんちんこは、においての端数処理との語感が結びついて成立したとされる、独特の民間算術用語である。現在では主に鉄道愛好家や地方自治体の税務担当者のあいだで、やや半ば冗談めいて用いられることがある[1]。
概要[編集]
うんちんこは、やの運賃が複雑化した時代に、切符売り場の係員が端数を素早く唱え上げるために編み出したとされる民間の補助表現である。語形は幼児語に似るが、実際には「運賃・近・小銭」を圧縮したものと解釈する説が有力である[2]。
この語は一定の規則に従っていたとされ、当時の記録では「三円二十銭なら、うん・ちん・こ、で三拍」などと記されている。ただし、後年の聞き取りでは説明が人によって微妙に異なり、語源学者のあいだでは「体系があるように見えて、現場のノリで拡張された可能性が高い」とも指摘されている。
成立の経緯[編集]
東京下谷の帳場から広まった説[編集]
最もよく知られる説では、ごろ下谷区の乗車券販売所で、紙幣と硬貨の受け渡しを誤らないために、係員が三拍子で金額を確認する癖から生じたとされる。特に周辺では、朝の混雑時に「うん・ちん・こ」と唱えるだけで釣銭の確認が済むとされ、の臨時検査係が試験的に黙認したという記録が残る[3]。
大阪南区の寄席文化との混交[編集]
一方で南区の寄席や米穀問屋では、数字の端数を笑いに変えるための符牒として受容されたとされる。ここでは「安い」「早い」「間違えない」の三要素を指す合言葉として使われ、の震災後に帳簿を失った商店が、復旧時の暫定会計で多用したという逸話がある。なお、この大阪系の用法は語頭の響きがやや荒く、東京系よりも強く語尾を落とす傾向があったともされる。
文書化と禁忌化[編集]
初期になると、うんちんこは一部の学校で「口に出すと計算が雑になる」として半ば禁句扱いになった。にもかかわらず、の内部研修資料『運賃端数読上ノ心得』第7版には、赤鉛筆で「この種の略唱は現場で有効」と余白書きされていた形跡があるとされる。ここから、表向きは排除されつつ、実務上は温存されたという二重構造が生じた。
語源[編集]
語源については複数説があるが、現在は「運賃」からの連想に「ちん」(小銭)と「こ」(個数確認)が重なったとする折衷説が比較的支持されている。民俗語彙研究者のは、の論文で、うんちんこは「音の面白さが意味を先導した珍しい例」であると述べた[4]。
これに対し、は、下谷の女車掌たちが使っていた「運賃こみ」「ちょいのこ」といった語の縮約が偶然ひとつに収斂したにすぎないと主張した。もっとも、彼女自身の聞き取り記録には、回答者が笑いをこらえきれずに説明を途中で変えてしまう例が多く、語源学上の厄介さが際立っている。
また、の一部ではうんちんこを「運・賃・庫」と書き分け、駅の倉庫番が在庫確認の掛け声として応用したという地方異聞もある。これは後世の創作とみる向きが強いが、の古い伝票束から「うんちんこ」の走り書きが見つかったとする報告もあり、完全には否定されていない[要出典]。
普及[編集]
鉄道業務への浸透[編集]
には、各地のでうんちんこが簡易暗算の補助として広がったとされる。特に沿線の一部駅では、硬貨の不足を防ぐため、係員が「うんちんこ表」と呼ばれる小さな木札を机上に置いていたという。木札には三拍・五拍・七拍の三種があり、繁忙日には一日平均でほど叩かれていたという記録がある。
戦時下の縮小と戦後の再流通[編集]
戦時下では、簡略語の統制により表立った使用が減少したとされるが、実際には検札所の裏で密かに使われ続けた。戦後になるとの通貨管理資料と混同された結果、うんちんこは「占領期の民間会計補助法」として再発見され、には『都市交通と端数文化』に紹介記事が掲載された。この再評価を契機に、東京都内の一部高等学校で郷土研究の題材に採用された。
用法[編集]
うんちんこは単なる掛け声ではなく、金額確認・人数確認・票数確認の三段階を同時に済ませるための実践的技法であったとされる。たとえば「うん」で運賃、「ちん」で釣銭、「こ」で個数を確定するという使い方が記録されている[5]。
また、帳簿上では「うんちんこ済み」と書くことで、口頭確認と紙面確認が一致したことを示した。これはの前身組織の一部でも採用されたとする報告があるが、正式文書への記載は極めて少なく、実際には現場独自の符牒に近かったとみられる。
地方によっては意味がさらに膨らみ、雨天時の増便判断、窓口の待機人数、回数券の残枚数まで含めて「うんちんこ」で済ませる例もあった。こうした拡張性の高さが、逆に語の曖昧さと神秘性を強めたと評価されている。
社会的影響[編集]
うんちんこは、一見ふざけた響きを持ちながら、実際には昭和前期の都市交通における「正確さと速度の折衷」を象徴する語として機能した。商家の女将や駅員、配達人のあいだで共有されたことで、専門知識を持たない者でも会計の場に参加しやすくなったとされる。
一方で、語感の強さから学校教育にはなじみにくく、の一部文書では「児童に誤用の連鎖を生むおそれがある」として注意喚起が行われた。これに対し、民間側は「言葉が面白いほど覚えやすい」と反論し、の『庶民計算語彙の実用性』では、うんちんこ使用地域の釣銭誤差率が非使用地域より低かったと報告されている。
批判と論争[編集]
うんちんこをめぐっては、そもそも実在したのかという根本的な疑義が絶えない。特に以降の言語学者の間では、複数の証言が互いに食い違い、しかも証言者の年齢がみな妙に若返ることから、後世の記憶改変ではないかとの指摘が出た。
また、の非公開メモとされる資料には、うんちんこが「笑いながら発話すると最も誤差が少ない」と記されていたが、原本は所在不明である。さらに、とで説明が違いすぎることから、両都市の編集者が互いに自説を足し合わせた結果、ある種の合成民俗語になったという見方もある。
現在の扱い[編集]
現在、うんちんこは日常語としてはほぼ消滅しているが、民俗学、交通史、ユーモア研究の境界領域でしばしば言及される。とりわけ末期からにかけて、古い駅舎の保存運動と結びつき、「失われた窓口文化」の象徴として再評価された。
にはの私設資料館で「端数の民俗」展が開かれ、来場者の約が最終的に「うんちんこ」の意味よりも、展示パネルの字面の破壊力に注目したとされる。研究者のあいだでは、概念としての実用性は失われたものの、語彙史上の生命力はむしろ増した、という評価が一般的である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 野村玄一郎『都市交通における端数唱和の研究』民俗語彙研究会、1936年、pp. 41-68.
- ^ 梶原ミネ『下町口承語彙採録集』東京文化資料刊行会、1941年、pp. 112-129.
- ^ 佐伯達夫『鉄道省簡易計算要覧』鉄道時報社、1929年、pp. 7-19.
- ^ Margaret H. Ellison, "Minor Call-Signs in East Asian Fare Systems", Journal of Transit Folklore, Vol. 12, No. 3, 1978, pp. 201-224.
- ^ 高瀬一郎『駅前会計と笑いの技法』東洋庶民文化出版、1957年、pp. 88-103.
- ^ Yasuko Tanabe, "Onomatopoetic Accounting in Prewar Tokyo", Japanese Studies in Urban Language, Vol. 5, No. 1, 1964, pp. 15-39.
- ^ 本多静雄『戦後都市交通語彙の変遷』国土資料研究所、1961年、pp. 54-77.
- ^ 小林春樹『庶民計算語彙の実用性』日本交通民俗学会誌、第8巻第2号、1956年、pp. 3-26.
- ^ 平野麗子『うんちんこ文書の真偽判定について』国立語彙史研究紀要、第14巻第1号、1984年、pp. 61-82.
- ^ 渡辺精一郎『都市の三拍子—掛け声と会計の近代史』青海社、1997年、pp. 145-171.
外部リンク
- 日本端数文化アーカイブ
- 下町口承語彙データベース
- 都市交通民俗研究会
- 駅前会計史料館
- 東アジア符牒研究ネット