おくのほそみっっち
| 名称 | おくのほそみっっち |
|---|---|
| 分類 | 民俗地理学・紀行文化 |
| 成立 | 説が有力 |
| 提唱者 | 松浦 玄庵、佐伯 露風ほか |
| 主な分布 | ・の旧街道沿い |
| 関連機関 | 日本細道学会 |
| 俗語義 | 狭いのに情報が多すぎる状態 |
| 象徴 | 一文字多い道標 |
| 派生行事 | ほそみっっち踏査会 |
おくのほそみっっちは、からにかけての細い街道と沿道文化を指す民俗地理学上の概念である。元来は期の紀行研究から派生した語とされるが、現代では「道幅に対して情報量が過剰な場所」を総称する俗語としても知られている[1]。
概要[編集]
おくのほそみっっちは、後期に成立したとされる街道観察の概念であり、実際の地形よりも「道の細さ」と「沿道に蓄積した逸話の密度」を重視する点に特徴がある。特にの旧、の山間集落、の宿場跡では、道幅2.4メートル前後の小径がしばしば対象となったという。
本来はの紀行をめぐる注釈語として使われたが、のちにの非公式地図班が「細いのに文化的に太い道」を分類する内部用語として採用したことで広まったとされる。なお、の『細道観測白書』では、全国で確認されたおくのほそみっっち候補地はとされているが、同書の付録にはなぜかの登山道も含まれていた[2]。
歴史[編集]
元禄期の萌芽[編集]
起源については諸説あるが、もっとも有力なのは、がの古書肆で『奥之細道』の写本を誤読し、「ほそみち」を三重に強調した写し書きを残したという説である。これが後世、筆写の癖として「っっ」を含む表記を生み、道幅に対する執着を意味する符丁になったとされる。
一方での測量記録には、細い道に関する注記として「道口の狭さ、しかして話は広し」との文言があり、これを「ほそみっっち」の最古形とする研究もある。ただし、この記述はとされ、原本の一部が味噌樽の底板に再利用されていた可能性が指摘されている。
明治期の再発見[編集]
に入ると、地理局の若手技師が、全国の細い旧道を巡って「細径文化」を整理した。彼はからにかけてでを歩き、道幅だけでなく「会話の長さ」「曲がり角の数」「饅頭屋の有無」を記録したという。
佐伯はこの調査の末、「道が細いほど記憶は太る」と結論づけ、報告書『狭路雑録』を提出した。これがの地誌講義で引用され、学生のあいだでおくのほそみっっちが半ば冗談、半ば学術語として定着したとされる。
戦後の制度化[編集]
戦後になると、がに設立され、道幅、曲率半径、沿道伝承を満たすものをおくのほそみっっちと定義した。会員は当初であったが、の東京大会では、なぜかとが多数参加し、議論が「道」から「文体」へ逸脱したという。
このころから、細道そのものよりも「細道をめぐる語り」が重要視されるようになった。たとえばの旧宿場で行われた実地調査では、道幅の坂道に対して住民の証言が集まり、研究者が「これはもはや舗装ではなく口伝である」と評したと伝えられている。
特徴[編集]
おくのほそみっっちの最大の特徴は、狭小な空間に過剰な説明が付随する点である。標識が一枚しかないのに案内板が七枚ある、橋が一本しかないのに伝説が十四本ある、といった現象が好例とされる。
また、利用者の心理的圧迫感も重要な要素である。の調査では、初めておくのほそみっっちを歩いたのうちが「身体より先に情報が挟まる感じがする」と回答した。研究者の間では、この状態を「説明過密」と呼ぶことがあるが、定義は学会ごとに微妙に異なる。
社会的影響[編集]
以降、おくのほそみっっちは観光業にも影響を与えた。のある町では、全長の細道に「一方通行の朗読会」を組み合わせた企画が成功し、年間来訪者数がに増加したという。
さらに、の地域特集番組で取り上げられたことを契機に、各地の商店街が「うちはほそみっっち認定済み」を掲げ始めた。もっとも、の認定審査では、道幅は十分に広いが看板がやたら多い商店街が合格しており、審査基準の曖昧さが議論を呼んだ。
批判と論争[編集]
批判の中心は、そもそもおくのほそみっっちが学術概念なのか、風変わりな観光キャッチコピーなのか判然としない点にある。の民俗学者・高瀬 恒一は「道幅と文化密度を同一平面で扱うのは危険である」と述べたが、これに対し日本細道学会は「危険だからこそ細道である」と応酬した。
また、に刊行された『おくのほそみっっち大全』では、巻末索引の約が実在しない地名で占められており、編集委員会は「踏査時の霧による」と説明した。しかし、同書に掲載されたはどころか、地元住民の誰も見たことがないとされる。
代表的な研究者と実地踏査[編集]
松浦 玄庵[編集]
江戸後期の国学者とされ、最初期に「ほそみっっち」の表記を使った人物である。彼はの減り方を道の品質指標とみなし、の旅で草鞋を消費した場合のみ「良路」と認定したという。
佐伯 露風[編集]
明治期の測量技師で、細道の曲がり角を測るために自作の角度器「くるり計」を用いたとされる。彼の調査ノートには、道幅の数字よりも茶屋の娘の噂話が多く、後世の研究者を困惑させた。
北村 いずみ[編集]
昭和後期の研究者で、細道を「情報の圧縮形式」とみなす独自理論を提唱した。彼女はの講演で、1本の路地にの歴史が折りたたまれていると説明し、聴衆の半数を納得させた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松浦 玄庵『奥路細聞録』古書堂文庫, 1701.
- ^ 佐伯 露風『狭路雑録』内務省地理局刊, 1892.
- ^ 北村 いずみ『細道の情報圧縮理論』民俗地理学会誌 Vol.12, No.3, pp. 41-67, 1989.
- ^ 高瀬 恒一「おくのほそみっっちの文体論的変異」『国語と地誌』第8巻第2号, pp. 15-29, 1976.
- ^ Japan Society of Narrow Roads, Proceedings of the 4th Annual Conference, Vol. 4, pp. 88-103, 1964.
- ^ 荒木 俊介『路地と伝承の境界線』地理文化出版社, 2004.
- ^ Margaret L. Thornton, "The Semiotics of Over-Narrow Paths", Journal of Folkloric Geography, Vol. 9, No. 1, pp. 1-22, 1998.
- ^ 渡辺 精一郎『ほそみっっち踏査記』東北踏査協会, 1931.
- ^ 編集委員会『おくのほそみっっち大全』日本細道学会出版部, 2004.
- ^ 小林 由佳『一方通行の朗読会と地域再生』地方文化研究所, 2012.
外部リンク
- 日本細道学会
- 細径文化アーカイブ
- ほそみっっち踏査会
- 旧街道口伝データベース
- 奥州道幅研究センター