おだぎりフェスティバル
| 正式名称 | おだぎりフェスティバル |
|---|---|
| 別名 | 小田切式都市祝祭 |
| 開始 | 1987年ごろ |
| 起源地 | 東京都新宿区四谷 |
| 主催 | 小田切研究会、後に都市祝祭推進協議会 |
| 主な内容 | 反復展示、迷路回遊、低周波演奏、仮設屋台 |
| 参加者数 | 年間延べ約18,000人(2019年時点) |
| 特徴 | 「同じ景色を三度見ると完成する」とされる |
| 公式モットー | 迷いは、都市の礼儀である |
は、を中心に展開される、鏡面素材と低周波音響を用いた都市型参加芸術の総称である。末期にが提唱した「歩行者の迷いを祝祭化する」思想を起源とし、現在はやなどで断続的に開催されている[1]。
概要[編集]
おだぎりフェスティバルは、、、を用いて、来場者自身の位置感覚を揺らがせることを目的とする都市祝祭である。一般には芸術祭の一種とみなされるが、主催側は「交通動線の再教育」と呼ぶことを好んでいる。
名称は、初期の設計責任者であったの姓に由来するとされるが、一方で「おだぎり」は古語の「おだやかに切り替わる」の転訛であるという説もある。なお、この説はの1994年大会で一度だけ報告され、その後ほぼ引用されなくなった[2]。
成立の背景[編集]
1980年代後半の周辺では、再開発に伴う地下通路の複雑化が進み、通勤者の回遊行動を観察する私設調査が相次いだ。小田切らはこれを「都市が住民に出す無言の試験」と解釈し、逆に試験を祝うための催しとして試作展示を行ったのである。
最初期の催しはの倉庫街で行われ、参加者は配られた地図が実物よりも一回り小さいことに気づかないまま3回転させられた。このとき、迷わず出口へ出られた者よりも、途中で屋台を見つけて戻ってきた者の方が高い評価を受けたと伝えられている[3]。
名称と定義[編集]
「フェスティバル」と称しながら、実際には音楽・演劇・回遊装置の混成であるため、行政文書上の分類が長く定まらなかった。の内部資料では一時「その他の可搬式祝意表現」に括られていたことがある。
また、来場者の多くが持ち帰る記念品は、会期ごとに色味だけが異なる方位磁針であり、これが「帰宅後も少しだけ進路を迷わせる装置」として問題視されたこともある。ただし、翌年にはの協力で磁力が1/8に抑えられ、苦情件数は前年比で37%減少したとされる[4]。
歴史[編集]
創成期(1987年-1993年)[編集]
初回開催は、正式には「小田切回遊試演会」と呼ばれた。会場は近くの空き地で、参加者は白い腕章をつけて5分ごとに展示位置を入れ替える役割を与えられた。
には、低周波太鼓「おだぎり鼓」が導入され、聴覚よりも胸骨でリズムを感じる演出が話題となった。ある来場者が「見終わったあと、駅の階段がやけに祝祭的に見えた」と記したことから、以後のパンフレットには「帰路の感情変化に注意」と小さく記載されるようになった[5]。
拡大期(1994年-2004年)[編集]
、会場が一帯に拡張され、動物園前の広場で「静かな旗揚げ」が行われた。ここで採用された白旗の素材は、湿度によって半透明になる特殊繊維で、午後3時以降は旗というより「迷いの雲」に見えたとされる。
にはの商店街と連携し、店先の看板をすべて同じ高さに揃える試みが実施された。結果、来場者の購買額は増加したが、帰り道を見失う者も増え、地元の交番に「おだぎり方面はどちらか」という問い合わせが1日平均44件寄せられた。なお、この記録は町会の会計報告書にのみ残っている[6]。
制度化と国際化(2005年以降)[編集]
にはが設立され、会場安全基準、音圧上限、鏡面反射率の3項目が標準化された。これにより、かつては「偶然の迷子」として処理されていた現象が、正式に「回遊経験」と呼ばれるようになった。
の「東京・歩行者年」では、海外の研究者も視察に訪れ、の公共空間設計者が「都市を案内するのではなく、都市に案内される発想」と評したと伝えられている。ただし、この発言の原文はドイツ語版パンフレットにしか残っておらず、日本語訳はやや意訳が強いとされる[7]。
特徴[編集]
おだぎりフェスティバルの特徴は、観客参加型でありながら、参加すればするほど案内板が減っていく点にある。会場の中心には必ず「未完成の広場」と呼ばれる空白区画が設けられ、そこに立つと周囲の展示が一斉に遠近を変えるよう設計されている。
また、各会期では「第1回は赤、第2回は青」のような単純な色分けを避け、あえて同じ色相のわずかな差異で区別する慣行がある。このため、常連客の中には前年の記念布を見分けるためにの講座へ通う者もいたという。
さらに、公式記録においては「最も人気の高い出し物」が毎年ほぼ異なり、屋台、舞踊、仮設講演、沈黙の朗読などがその都度1位を争う。これは実際の来場者投票ではなく、会場内で回収された半券の紙質から推定された順位であるとされ、集計方法については今なお要出典のまま残っている[8]。
主要プログラム[編集]
主要プログラムには、回遊演目「三度めの角」、低音演奏「午後四時の床鳴り」、屋台企画「鏡のたこ焼き」などがある。とくに「三度めの角」は、同じ曲がり角を3回通過すると景品が出る仕組みで、実際には景品より先に自分の現在地を把握することが目的であった。
一方、「鏡のたこ焼き」は具材に見た目の反射率を混ぜたため、照明が強いほど中身が分からなくなるという欠点があったが、地元では「味が見えないほどうまい」と評された。
運営と安全[編集]
運営面では、毎回12名から20名程度の「誘導補助員」が配置され、来場者が出口に向かいすぎないよう見守る。彼らは黄色い笛ではなく、音の出ない木札を携帯していたため、初見ではただの買い物客に見えたという。
安全対策として、2010年代以降は床面に微弱な発光線を敷設し、1時間あたりの迷走距離を2.4km以内に制限する方式が採用された。ただし、大雨の日は発光線が水面に反射し、かえって案内が増えるという逆効果が報告されている。
社会的影響[編集]
おだぎりフェスティバルは、都市回遊を「不便」ではなく「参加可能な遊び」として再定義した点で評価されている。とくに商店街では、祭りの会期中だけ売上が伸びるのではなく、終了後も来場者が戻ってくる「再迷来」が確認されたことから、地域観光のモデルケースとして紹介された[9]。
また、の都市文化研究では、本催しが「道順の記憶を共同体で共有する稀有な事例」として扱われた。研究チームは、参加者の約62%が翌年以降も同じ会場を探そうとする一方、18%は会場名だけ覚えて場所を忘れると報告しているが、この数字の算出方法はかなり雑であると注記されている。
文化面では、会場で発生した偶発的な合唱や、帰宅時に発見された見知らぬ記念スタンプが、SNS以前の口コミ文化を象徴するものとして語られるようになった。なお、2017年には海外の都市計画雑誌が特集を組み、「日本で最も整然と混乱している祝祭」と評した[10]。
批判[編集]
批判としては、来場者に対して過度な自己位置確認を促す点、また高齢者にとっては案内板の少なさが負担になる点が挙げられる。とくにの会期では、会場の一部が「思ったより広い」と苦情を受け、翌年からは徒歩距離の目安として「コーヒー1杯分」「文庫本40ページ分」など比喩的な表示が導入された。
一方で、主催側は「理解しやすさが祝祭を弱めることもある」と反論している。この主張は一部の都市民俗学者から支持されたが、一般向けパンフレットにそのまま載せるには少し難解すぎるとして採用されなかった。
行政との関係[編集]
行政との関係は概ね良好であるが、毎年1回だけ、会場周辺の案内標識を何本立てるかで折衝が行われる。側は初年度に84本を提案したのに対し、主催側は「標識が多いと祝祭性が損なわれる」として11本に抑えた。
最終的には、交差点ごとに向きを変える可動式標識が採用され、昼と夜で内容が違って見えるようになった。これにより、行政文書上は整備されているのに、現場では依然として迷うという、きわめておだぎり的な状態が生まれた。
関連人物[編集]
中心人物として知られるは、建築家、民俗学者、元地下鉄案内係の3つの経歴を自称した人物である。実際にはどこまでが本当か不明だが、本人が「案内は答えではなく余白である」と語った記録が残っている[11]。
ほかに、音響設計を担当した、照明演出の、屋台群を統括したなどがいる。佐伯は毎年同じ場所で甘酒を売りながら、来場者の半数以上に「去年もここで会いましたね」と言われたため、本人が半ば会場の一部として扱われるようになった。
なお、2000年代後半には若手演出家のが参加し、鏡面素材にQRコード風の模様を焼き付ける「読み取れそうで読み取れない作品」を導入した。この試みは一部で高く評価されたが、古参の参加者からは「迷いにデジタルは早い」との声もあった。
小田切勇三[編集]
小田切はにの港湾倉庫で展示補助をしていた際、貨物用の反射板が観客の流れを変えることに着目したとされる。その後、都市を歩く人間の視線の癖を研究し、祝祭を「視線の迂回路」と定義した。
本人の手帳には「道を示すのではなく、道を考えさせる」と繰り返し書かれていたというが、同じページに献立メモも混在しており、思想家なのか単なる几帳面なのかは今も判然としない。
周辺協力者[編集]
周辺協力者の中でもの学生たちは、毎年「帰れない展示」を担当したことで知られる。彼らは展示終了後に片付けを始めるのではなく、片付けの順番を来場者に選ばせることで、撤収そのものを参加型作品に変えた。
また、地域商店会の協力者は、祭りの期間中だけでなく翌週の買い物客まで見込んで割引札を発行した。これが後に「おだぎり割」と呼ばれることになり、周辺の文房具店でまで適用されるようになったのは少し広げすぎだったとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 小田切勇三『都市祝祭の反射経路』新潮都市研究社, 1992.
- ^ 宮地澄子『低周波と群衆心理』東京音響出版, 1998.
- ^ 佐藤泉『歩行者の迷いをめぐる民俗誌』青林堂文化新書, 2004.
- ^ Harper, Jonathan. "Reflective Corridors and Civic Rituals." Journal of Urban Folklore, Vol. 12, No. 3, 2011, pp. 44-67.
- ^ Voss, Helena. "The City as a Host." Urban Loop Quarterly, Vol. 8, No. 1, 2013, pp. 5-19.
- ^ 河野竜太郎『都市照明と祝祭の境界』美術公論社, 2009.
- ^ 田中修一『新宿再開発と可搬式祝意表現』日本都市史学会紀要 第18巻第2号, 2006, pp. 101-128.
- ^ Matsuda, Erica. "Wayfinding Without Direction." Proceedings of the International Symposium on Participatory Cities, Vol. 5, 2017, pp. 88-93.
- ^ 『おだぎりフェスティバル公式記録 第14集』都市祝祭推進協議会, 2016.
- ^ 木下一郎『鏡の屋台とその周縁』地方文化評論, 第23巻第4号, 2020, pp. 12-29.
外部リンク
- 都市祝祭推進協議会アーカイブ
- おだぎりフェスティバル年報館
- 新宿回遊文化資料室
- 台東区仮設芸術ログ
- 東京歩行者研究センター