きのこの山
| 名称 | きのこの山 |
|---|---|
| 英語名 | Kinoko no Yama |
| 発祥 | 日本・長野県松本市周辺とする説がある |
| 考案年 | 1968年頃と推定されている |
| 分類 | チョコレート菓子、保存性菓子 |
| 主原料 | チョコレート、焼菓子、微量の香料 |
| 考案機関 | 明治菓子研究所 製品設計室 |
| 関連規格 | JMS-73 立体菓子標準仕様 |
きのこの山は、で生まれたとされる菓子の一種であり、状の部分と状のを組み合わせた二層構造で知られている[1]。もともとは中期のにおいて、湿度管理の難しさを解決するために考案された保存菓子であるとされる[2]。
概要[編集]
きのこの山は、系の菓子文化の中で発達したとされる立体菓子で、一般には「きのこ型のチョコスナック」と説明されることが多い。もっとも、初期の文献では「携帯時に折損しにくい観測用菓子」とも記されており、単なる嗜好品としてではなく、野外作業用の間食としても位置づけられていた[3]。
その名称は、製品の外観がに生えた菌類の群生を想起させることに由来するとされるが、実際にはの山間部で行われた形状試験の際、積雪に埋もれた試作片が偶然きのこ状に見えたことから定着したという説が有力である。なお、このエピソードには当時の研究員が「山のかたちより傘の角度のほうが重要だった」と述べたとする記録があるが、真偽は定かでない[要出典]。
歴史[編集]
試作期[編集]
起源は後半、の小規模な試食会にさかのぼるとされる。開発主任のは、当時流行していた板状チョコレートに対し、「持ち歩くうちに欠けやすい」「手の熱で溶ける」との苦情が多かったことから、支柱付きの構造を採用したという。試作番号はA-17からA-29まで確認されており、A-23では傘部が過度に大型化して輸送箱に収まらず、会議で一度廃案になったと伝えられている。
一方で、製造記録にはの菓子工場で行われた温湿度実験の数値が細かく残されており、1969年11月18日午前10時42分、試作品12箱のうち9箱が輸送振動で先端破断したことが記載されている。この失敗を受け、支柱部分にクラッカー生地を採用する案が採択された。
量産化と普及[編集]
量産化は前後に進み、の流通拠点で包装形態が整備された。特に、縦積み時の圧力を分散するため、箱内に0.6ミリの空隙を設ける「きのこ隙間法」が導入されたことが知られている。これにより、当初は1箱あたり平均14.3%だった欠け率が、翌年には3.1%まで低下したとされる[4]。
また、普及の背景には学校遠足文化との相性があった。角ばった菓子に比べて箱詰め時に整列しやすく、班単位で分配しやすいことから、の小学校では「見た目で公平感がある菓子」として扱われたという。なお、当時のPTA会報には「一本ずつ分ける際、必ず最後の一枚をめぐって沈黙が生じる」との記述が残る。
名称をめぐる議論[編集]
名称については、発売初期から「山なのか、きのこなのか」という議論が続いた。1974年にはの非公開会合で、正式名称を「山上菌菓」に変更する案が提出されたが、消費者調査で支持率が18.2%にとどまり、採用されなかったとされる。代わりに、愛称としての親しみやすさが重視され、広告では「山に生えた夢の断面」といった文句が用いられた。
この時期、の広告代理店が提案した「食べるたびに森が近づく」というコピーが一部地域で話題となり、自然保護団体から「森林の比喩として過剰である」との抗議があった。もっとも、結果としてこの論争が知名度を押し上げ、1975年の売上は前年同月比で27%増加したとされる。
製品設計[編集]
きのこの山の設計思想は、単なる味の問題ではなく「手に持ったときの安定感」に重きを置いた点にある。傘部と支柱部の比率は7:3が理想とされ、これを超えると「きのこ性」が失われるとでは定義されていた。
製品工学の視点では、先端の丸みを帯びた形状が衝撃を逃がし、輸送耐性を高めると説明されることが多い。研究資料によれば、角度が54度を超えると口当たりが重くなり、逆に41度未満ではチョコレートの保持力が不足するため、標準品は48.7度前後に収束したという[5]。
また、クラッカー部にはわずかに塩を含ませることで、上部の甘味を引き立てる工夫がなされたとされる。これは当時の和洋折衷菓子に共通する発想であり、茶の間で食べる際にも「ひとつだけ妙に気取って見える」ことから人気を集めた。
社会的影響[編集]
きのこの山は、後期の家庭用菓子の象徴として語られることが多い。特に、来客用菓子棚に置いた際に箱の背が低く、しかし存在感だけはあることから、「控えめな自慢」と呼ばれる現象を生んだとされる。
教育現場では、図工や家庭科の題材としても扱われた。あるの小学校では、1978年に「菓子の構造と持続力」を学ぶ授業が行われ、生徒31人中28人が実習中に先端部を先に食べる傾向を示した。この行動はのちに「先端優先型消費」としてマーケティング資料に引用された。
さらに、山岳愛好家のあいだでは、山名と菓子名が同一の語感を持つことから、登山記録の見出しに使われることがあった。とりわけ周辺では、休憩中に本品を差し入れることが「軽い縁起担ぎ」とされ、山小屋の帳面に箱数まで記録する慣習があったという。
批判と論争[編集]
批判としては、まず「名称が視覚印象に依存しすぎている」との意見がある。これに対し製造側は、名称は製品の機能を補助するものであり、むしろ外観と食感の結びつきが消費体験を強めると反論した。
また、1970年代末には「同じ箱に入っているが一本ごとの太さが微妙に違う」との指摘があり、の前身にあたる事務局で簡易調査が行われた。調査では、標準偏差0.18ミリ以内なら「視認上は均一」とされ、以後の品質基準に組み込まれたという。
なお、最も有名な論争は、きのこの山派と別菓子派の対立である。雑誌『菓子評論』1982年2月号では、両派の投書欄が14ページにわたり続き、「先に食べるのは傘か支柱か」という設問が読者アンケートの65%を占めた。これが原因で家庭内の菓子皿が分割運用される例もあったとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『立体菓子の設計と保存性』明治菓子研究所出版部, 1973.
- ^ 小林由紀子『昭和菓子流通史』中央食品文化協会, 1981.
- ^ Harold J. Bennett, “Textural Stability in Mushroom-Shaped Confectionery,” Journal of Applied Sweets, Vol. 12, No. 4, 1976, pp. 201-219.
- ^ 佐藤久美『菓子包装における空隙設計』食品工学評論, 第8巻第2号, 1972, pp. 45-63.
- ^ Margaret L. Owens, “Consumer Attachment to Portable Snacks in Postwar Japan,” Pacific Food Studies, Vol. 5, No. 1, 1980, pp. 17-34.
- ^ 『日本菓子協会議事録抄 1974』日本菓子協会資料室, 1975.
- ^ 高橋園子『遠足と菓子の社会学』関東教育出版, 1986.
- ^ Kenji Arakawa, “On the Mushroomness of Snack Geometry,” International Review of Culinary Form, Vol. 3, No. 2, 1979, pp. 88-97.
- ^ 田中一郎『箱菓子の摩擦係数と破断率』東京食品科学会誌, 第14巻第6号, 1978, pp. 122-139.
- ^ Elizabeth P. Morrow, “The Slightly Regal Snack: Status and Humility in Japanese Confectionery,” East Asian Consumption Quarterly, Vol. 9, No. 3, 1984, pp. 55-71.
外部リンク
- 明治菓子研究所アーカイブ
- 日本立体菓子史研究会
- 昭和スナック文化資料館
- 箱菓子工学センター
- 菓子評論データベース