こにのまて
| 名称 | こにのまて |
|---|---|
| 別名 | 小荷の間手、古荷留め |
| 起源 | 18世紀後半の江戸市中における帳合儀礼 |
| 用途 | 期日調整、契約の保留、厄除け |
| 材料 | 奉書紙、墨、胡粉、麻紐 |
| 伝承地 | 日本橋、浅草、上野周辺 |
| 提唱者 | 白石蘭斎 |
| 現代の研究状況 | 民俗学・経済史の周縁領域として散発的に研究 |
| 関連組織 | 東都民俗資料研究会 |
こにのまては、に成立したとされる、細い紙片を折り畳みながらの流れを「留める」ための儀礼的な装置、またはその作法を指す用語である[1]。主に後期のやで用いられたとされ、のちに内の民俗研究者らによって再発見されたとされる[2]。
概要[編集]
こにのまては、紙を特定の回数だけ折り返し、結び目の位置と墨書の方向によって「未了のまま固定された予定」を表現する作法であるとされる。古文書上ではから年間にかけて散見されるが、用法は極めて限られており、主に蔵前の紙問屋や寺社の寄進記録に現れる。
一見すると帳簿上の符牒に近いが、研究者の間では、実際にはの結束やの延期交渉を可視化するための半儀礼的技法であったとの説が有力である。また、上手に結ばれたこにのまては「三日延びる」「雨を避ける」などの効能を持つとされ、都市民間信仰の一端をなしていたと考えられている[3]。
名称[編集]
名称の語源には諸説ある。最も広く知られるのは、「小荷(こに)」が小規模な荷物、すなわち持ち越しの用件を意味し、「まて」が待機・留保の命令形であるとする説である。これに対し、系の研究者であるは、もともと「古荷の間手」であり、古い荷を手元に留める行為から転じたと主張した。
なお、期の風俗研究では「子煮の間手」と誤記され、家庭料理の一種として紹介された例もある。この誤解は図書館の蔵書目録にまで残っており、後年の民俗学者を妙に悩ませたとされる。
歴史[編集]
成立[編集]
成立は末から初頭にかけてと推定される。折しもでは物価の変動と雨天遅延が重なり、商人たちは口約束だけでは済まない延期の合図を必要としていた。そこでの紙細工職人が、奉書紙を八折にして麻紐で結び、墨で「未」「留」「後」などを記す簡略な標式を作ったのが始まりとされる。
もっとも、これを最初に制度化したのはの米問屋・近江屋辰五郎であるという説も根強い。辰五郎は、配達の遅れが三度続いた際、帳場で「次の算段を紙の形で残せ」と命じ、結果としてこにのまての原型が生まれたという[4]。
江戸後期の普及[編集]
からにかけて、こにのまては寺院の年中行事や町内会合で広まった。とくにの寺社圏では、雨天の法要延期を伝えるために赤墨で結ばれたものが使われ、参詣人がそれを見て予定を「飲み込む」習慣があったという。
の『町触留』には、こにのまてを無闇に開封すると「用向きが二度戻る」と記されているが、これは実際には帳簿の書き直しを嫌った商家の警句であるとみられる。なお、この頃には庶民の間で簡易版が流行し、子どもが竹ひごに紙を巻き付けて遊ぶ姿も周辺で確認されたという。
近代以降[編集]
維新後、近代的な郵便制度と時刻表の普及により、こにのまては急速に実務上の役割を失った。しかし、期の郷土研究ブームの中で「延期の民俗」として再評価され、には民俗講習会で実演が行われた。
戦後になると、企業の会議文化における「先送り」の象徴としてしばしば引用され、に誌上で紹介された際には、経営史との接点があるとして注目を集めた。ただし、実物がほとんど残っていないため、再現展示の多くは研究者の想像力に依拠している。
作法[編集]
こにのまての基本は、紙片を四角形に切り、中央に短い墨線を引き、左上から右下へ向けて二度折ることである。最後に麻紐で結び、結び目を紙の裏側へずらすと「外から見えない延期」が成立するとされた。
儀礼としては、作成者が相手の名前を一度だけ読み上げ、紙片を掌で三回温めたのち、縁側や帳場の隅に置くのが通例であった。これにより、案件は最大で七日から九日ほど静止するとされ、特に雨乞いの行事や盆前の支払いに効力があると信じられていた[5]。
また、紙の角をわずかに湿らせる「露返し」と呼ばれる手順があり、これが成功すると翌朝までに相手方が来訪するという。もっとも、この効果についてはとされることが多く、実際には単なる連絡の行き違いを美化したものともいわれる。
社会的影響[編集]
こにのまては、単なる民俗技法にとどまらず、都市の交渉術そのものに影響を与えたと考えられている。江戸の商家では、即答を避けたいときに「こにのまてを切る」と言って返事を保留する慣習があり、これが後の「検討します」の婉曲表現に繋がったという説がある。
一方で、寺社側からは、寄進の延期が美徳化されることで実際の集金が遅れるとして批判もあった。周辺の古い控帳には、「紙の結びはほどけても、貸しはほどけぬ」との辛辣な文句が見える。にもかかわらず、町人層ではむしろ「急がぬ才覚」の象徴として人気を博した。
20世紀後半には、の一部で「こにのまて型マネジメント」という比喩が流行し、決裁を先延ばしにする会議術の説明に使われた。現在でも、地方の古書店や民芸店で、観光向けに再解釈されたこにのまてが細々と販売されている。
批判と論争[編集]
こにのまてをめぐる最大の争点は、その実在性である。民俗資料としての記述は多数あるものの、18世紀以前の物証が極端に少なく、初期の研究のいくつかは後世の創作を含む可能性が指摘されている。とくにの写本は、用語の周辺に異様なまでに細かい寸法記録が付されており、実際には蘭斎自身の実験記録ではないかと疑われている。
また、にが発表した復元図は、結び目の位置が毎回少しずつ違っていたため、「研究者ごとに別のこにのまてを作っている」と批判された。これに対し、同会は「地域差の反映である」と説明したが、説明がかえって事態をややこしくした。
なお、近年のデジタル人文学の調査では、こにのまてに関する初出の多くが同じ筆跡の模写であることが示されており、現代の研究者の間では「実在した習俗を後世が過剰に体系化したもの」とする見方も有力である[6]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 白石蘭斎『古荷留考』東都書林、1821年。
- ^ 竹内澄江『江戸町人の延期作法』河出仮書房、1978年。
- ^ M. T. Holloway, "Paper Ties and Temporal Suspension in Late Edo Commerce," Journal of East Asian Folklore, Vol. 12, No. 3, pp. 211-244, 1994.
- ^ 佐伯十郎『町触留と民間符牒』岩波民俗文庫、1965年。
- ^ H. Sakamoto, "The Koninomate Phenomenon Reconsidered," The Tokyo Review of Ritual Studies, Vol. 8, pp. 77-103, 2008.
- ^ 東都民俗資料研究会編『復元図版 こにのまて』東都民俗資料研究会出版部、1934年。
- ^ 北村環『紙の民俗と都市の待機』新泉社、2001年。
- ^ A. J. Whitfield, "Delays Made Visible: Small Ritual Objects in Merchant Japan," Proceedings of the Society for Invented Histories, Vol. 5, No. 1, pp. 9-31, 2012.
- ^ 黒田妙子『子煮の間手誤記集』中央異本社、1911年。
- ^ 長谷川理恵『こにのまて図像集成』民俗叢書刊行会、2019年。
外部リンク
- 東都民俗資料研究会アーカイブ
- 日本紙儀礼協会
- 江戸町人文化データベース
- 民間符牒研究所
- こにのまて復元展示室