ごいちゃする
| 名称 | ごいちゃする |
|---|---|
| 分野 | 茶文化、比喩表現、編集工学 |
| 起源 | 末期の下町とされる |
| 中心地 | ・周辺 |
| 提唱者 | 、ほか |
| 関連機関 | 東亜香味整理研究会 |
| 主な用途 | 茶会、商談、原稿調整、謝罪文の文体整形 |
| 流行期 | 20年代後半 - 初期 |
| 現在の扱い | 民俗用語・業界隠語・ネットミームとして散在 |
ごいちゃするとは、異なる種類のとを同一の急須で意図的に再配合し、香味の層を乱しながら整える作法、ならびにその行為をめぐる比喩的な社会現象を指す語である。主にの茶商圏で発達したとされ、のちに会話術や編集実務にも転用された[1]。
概要[編集]
ごいちゃするは、もともとの中で複数の茶葉を「いったん混ぜてから戻す」手順を指す下町の茶業用語であったとされる。単なる調合ではなく、香りの強い茶を先に立て、後から渋みのある茶で輪郭を締める点に特徴があるとされる[2]。
のちにこの語は、互いに性質の異なる要素をあえて同じ器に入れて、結果として全体を少しだけ扱いやすくする行為の比喩として拡張された。編集者の間では「段落がごいちゃしている」、商社では「条件をごいちゃしておいた」などの用法が確認されているが、いずれも定義が曖昧であるため、厳密な範囲には諸説ある[3]。
歴史[編集]
明治末期の茶問屋説[編集]
最もよく知られる説では、ごいちゃするはごろの茶問屋街で生まれた。輸送途中で乾湿の異なる茶が同じ樽に入ってしまった際、職人のが「混ぜるのではない、いったんごいちゃして戻すのだ」と言ったのが語源であるとされる[4]。なお、この発言を記した帳面はで失われたとされ、証拠性はきわめて低い。
一方で、の旧家に残る茶箱には、裏蓋に「五一茶」の墨書があることから、もとは「五味茶」や「五一茶」の転訛であるという説もある。これについては地元史家のが、の郷土誌で「語の形が先に立ち、意味は後から追いついた」と述べている。
商談術への転用[編集]
10年代に入ると、この語は茶商だけでなく、問屋同士の値決めにも用いられるようになった。強気の見積りと控えめな納期を同じ口上に入れておき、相手の反応を見ながら整える話法が「ごいちゃする」と呼ばれたのである[5]。
の貿易商の日記には、5月14日に「今日は為替と在庫を少しごいちゃして話した」とあり、後世の研究者はこれを初期のビジネス・レトリックの例として引用している。ただし、日記の筆跡が数年分で妙に揃っていることから、後補の可能性が指摘されている[要出典]。
戦後の編集文化への浸透[編集]
20年代後半、内の出版社で「本文・注・見出しをいったんごいちゃしてから章立てする」という校正手順が半ば冗談として導入された。これにより、執筆者の原稿の癖を消しすぎずに整える技法が評価され、編集者のあいだで「ごいちゃ係」という役職名まで生まれたとされる[6]。
にはの喫茶店で開かれた編集者座談会がきっかけとなり、が発足した。同会は茶の研究団体を名乗りつつ、実際には原稿の統合作業を研究していたともいわれ、会報『香味と段落』は全14号で休刊した。
語義の拡張[編集]
ごいちゃするは、比喩としての広がりがきわめて大きい語である。たとえば、家族内の意見調整について「親戚会議でごいちゃする」、役所の稟議書について「責任の所在を少しごいちゃした文面にする」といった用法が、期の雑誌広告や社内報で散見される[7]。
また、のインターネット掲示板では、異なるジャンルの話題を無理なく同一スレッドで続けることを「スレをごいちゃする」と呼ぶ文化が一部で成立した。これにより、本来の茶文化から離れた「話題の温度を均す」行為全般を示す言葉として半ば定着したが、辞書収録には至っていない。
なお、地方によっては「ごいちゃ」は「ごちゃ」と同根とみなされることがあるが、語感が丸すぎるために茶商が意図的に濁音を足したのだという、いかにももっともらしい説もある。
技法と作法[編集]
標準手順[編集]
伝統的な作法では、まず茶葉を二種以上用意し、香りの立つものを先に三割だけ急須へ入れる。次に渋みの強い茶を残り七割入れ、湯を前後で注いでから、最初のだけ待って一度大きく揺らす。この「揺らしてから静める」工程を、ごいちゃするの核心とする流派が多い[8]。
茶碗へ注ぐ際には、最初の一杯を来客ではなく亭主が飲むことがある。これは「茶がごいちゃしきる前の気配を確認する」ためと説明されるが、実際には客に出す前に味を調整する口実であったとみられている。
失敗例と禁忌[編集]
失敗したごいちゃは、香りが立つ前に渋みだけが前面に出るため「黒ごいちゃ」と俗称される。とくにとを同量で強く攪拌した場合、舌の奥で薄い金属味が生じるとされ、古くから避けられてきた[9]。
また、同じ器に甘味の強い菓子を合わせると、茶と菓子の境目が曖昧になり、客同士の会話まで「ごいちゃ状態」になると嫌われた。これを防ぐため、茶席では角砂糖を奇数個にするという奇習が一部地域に残ったという。
社会的影響[編集]
ごいちゃするは、直接には茶文化の小技でありながら、のちに調整・妥協・編集の象徴として広く受け入れられた。そのため、後期の企業研修では「対立をなくすのではなく、ごいちゃして持ち帰る」という表現が使われ、会議の結論を一段やわらげる効果があるとされた[10]。
一方で、言葉の便利さゆえに、曖昧な責任回避の隠語として濫用された時期もある。特に官公庁の内部文書では、「説明を過度にごいちゃすると監査で不利になる」との注意書きが回覧された記録があり、実務上はむしろ警戒語として働いた面もある。
の一部の喫茶店では、に入っても「本日のごいちゃ茶」を出す店が現れたが、これは客が二種類の茶を自分で調合する体験型サービスであり、なかには注文票に「ごいちゃ度 3/5」と印刷する店まであった。
批判と論争[編集]
ごいちゃするは、その語感の親しみやすさとは裏腹に、定義のあいまいさをめぐって何度も論争を呼んだ。言語学者のはの論文で「実態は茶文化の名を借りた会話技法であり、独立した作法とは言いがたい」と批判している[11]。
これに対し、民俗学者のは、との茶産地で用法が異なることを挙げ、「混合ではなく折衷の技術である以上、むしろ独立した文化である」と反論した。なお、両者の討論はの学会会場で行われたが、閉会後に出された煎茶があまりに薄く、聴衆の多くが話題を忘れて帰ったという逸話が残る。
現代の用法[編集]
現在、ごいちゃするは一般語としてはほぼ使われないが、編集現場、広告業界、そして一部の配信文化で断片的に生きている。特に若年層のあいだでは、複数ジャンルを無理に混ぜた企画に対して「それ、ごいちゃしすぎでは」という批評が用いられることがある[12]。
また、上の茶芸紹介チャンネルでは、再生数の稼げる演目として「ごいちゃ実演」が流行した。もっとも、実際にはほぼミルクティーに近いものが出されることが多く、伝統継承というよりは見た目の奇抜さが支持されたとみられている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯玄堂『茶器雑録と口伝の整理』東亜香味整理研究会、1912年。
- ^ 三輪みさお『日本橋茶商圏における語彙転用の研究』郷土出版、1936年。
- ^ 石坂實之助『横浜商館日記 第二輯』港湾文庫、1941年。
- ^ 遠山 恒一「ごいちゃする語義の層位について」『国語民俗』Vol.18, No.3, pp. 44-61, 1974.
- ^ 野々宮ひろ子「茶文化における折衷技法の独立性」『民俗と実務』第7巻第2号, pp. 12-29, 1981.
- ^ M. A. Thornton, “Layered Infusions and Bureaucratic Speech in Postwar Japan,” Journal of Applied Folklore, Vol. 9, No. 1, pp. 102-118, 1992.
- ^ 鈴木春江『ごいちゃ語の社会的拡張』神保町研究叢書、2004年。
- ^ Kenji Morita, “The Goicha Principle: Mixing without Merging,” Asian Studies Review, Vol. 21, No. 4, pp. 301-319, 2008.
- ^ 田所理一『会議をやわらげる言い回し大全』南風社、2015年。
- ^ 東亜香味整理研究会編『香味と段落 会報復刻版』第1巻第1号-第14号、復刻版編集室、2019年。
外部リンク
- 東亜香味整理研究会アーカイブ
- 神保町編集文化資料室
- 日本ごいちゃ学会
- 横浜商館日記デジタル版
- 下町茶語保存協会