ごろー投げ大会
| 正式名称 | ごろー投げ大会 |
|---|---|
| 通称 | ごろ投げ、五郎投げ |
| 開始年 | 1897年(明治30年) |
| 起源地 | 新潟県長岡市周辺 |
| 競技種目 | 遠投、姿勢点、雪上着地 |
| 主催 | 全国ごろー投げ協会 |
| 公式会場 | 長岡雪あかり市民広場 |
| 参加資格 | 満12歳以上、ただし冬毛の手袋は不可 |
ごろー投げ大会(ごろーなげたいかい、英: Gorō Throwing Tournament)は、重心の偏った円筒状の競技具「ごろー」を、一定の回転数で遠投し、その着地点と姿勢を競う日本の民俗競技大会である[1]。周辺の冬季行事を起源とするとされ、現在では認定の地域振興催事としても知られている[2]。
概要[編集]
ごろー投げ大会は、木製または合成樹脂製の「ごろー」をで投じ、その飛距離だけでなく、空中での回転安定性と着地後の「ころがり終わり方」を審査する競技大会である。一般には雪国の余興とみなされているが、実際にはの米俵運搬技術との研究が合流して成立した、半ば工学的な大会とされる[3]。
発祥については諸説あるが、期にの荷役人夫たちが、雨天時に俵の代用品として杉材の端材を投げ合ったことが始まりとされる。もっとも、初期の記録には「ごろー」とは書かれておらず、「転げ木」「丸胴」などの表記が散見されるため、後世の編集で名称が統一された可能性が高いと指摘されている[4]。
歴史[編集]
起源と草創期[編集]
1897年、の荒天対策会合で、地元の酒造家が、樽材の余りを使った「遠くまで転がす遊び」を提案したことが大会化の契機であるとされる。初回は河川敷で行われ、参加者9名、観衆31名、紛失したごろー2本という小規模な催しであったが、当時の地方紙『』が「転木競技、予想外の白熱」と報じたことで評判が広がった[5]。
草創期のごろーは現在の球状ではなく、両端がやや膨らんだ樽型で、投擲すると必ず右へ3〜5度それる特徴があった。この偏りが「ごろーらしさ」であり、完全にまっすぐ飛ぶものは「品がない」として減点された。競技理論はの若手技師が整理し、1912年には『投擲時の微妙な泣き面と旋回』と題する覚え書きを残している[6]。
大正期の制度化[編集]
期に入ると、の民俗学者がごろー投げを「冬季の共同体儀礼の残響」と位置づけ、の講演で紹介したことから、都市部の学生層にも知られるようになった。これに伴い、1926年には全国ごろー投げ協会の前身である「転胴保存会」が設立され、角度計、着地板、審判笛の三点が標準化された[7]。
一方で、制度化は競技の荒々しさを損なうとして、内の古参選手から強い反発もあった。特にの名手・は「測るから下手になる」と述べ、公式計測前に必ず一度だけ観客席へ向けて投げる儀式を続けたため、彼の試技だけは毎回注意書きが必要であった。これは後に「ゴロ吉ルール」と呼ばれ、要出典とされることが多い[8]。
戦後の普及と競技化[編集]
戦後はの占領政策下で一時的に中止されたが、1951年にの仲介で再開され、雪上競技としての安全基準が追加された。1958年の大会では初めて女性部門が設けられ、優勝したが投じたごろーが会場の照明塔に当たり、跳ね返って審判台のメモ帳を直撃したことから、以後「照明塔回避点」が審査項目に加えられた[9]。
1964年にはの前身局が深夜番組で特集し、翌朝の視聴者電話が局に1,200件以上殺到したという。もっとも、その大半は「本当にあるのか」「審判は何を見ているのか」といった問い合わせであったとされ、放送後に協会の事務所へ寄贈されたごろーが243本に達した記録も残る。これにより、大会は一地方行事から全国持ち回りのスポーツイベントへ変貌した。
現代の変容[編集]
2000年代以降は、製ごろーの登場により平均飛距離が12.4%伸びた一方、着地音が軽すぎるとして伝統派から批判された。またの規格改訂により、投擲者は左手で腰に触れたまま4歩助走を取ることが義務化され、これを「四歩敬礼」と呼ぶ。2023年時点で登録競技人口は国内約8,700人、海外登録者はとを中心に約640人とされる[10]。
近年はやで「ごろーの着地だけを見る動画」が人気となり、1試合のうち本投よりも着地後の転がりを切り抜いた動画が再生数を伸ばしている。協会はこれを歓迎しているが、老舗の審判は「本体より余韻を見られるのは本意ではない」として、競技の本質が徐々にずれていると懸念を示している。
競技方法[編集]
公式競技では、直径18〜21センチメートル、重量430〜470グラムのごろーを、指定された投擲円の内側から一回転半以内で投じる。得点は飛距離、姿勢点、着地後の「三転以内停止」、および審判席から見た「納得度」で構成される。納得度は本来主観項目であるが、2017年の改訂で0〜5点の整数化が図られた。
また、冬季大会では雪面の圧雪具合が著しく重要であり、前日夜に降雪があると「ごろーが育つ」と表現される。逆に乾いた氷面では予測不能な跳ね返りが生じるため、選手はごろーに蜜蝋を薄く塗る慣行を持つ。ただし塗りすぎると「脂っこい」として失格になることがある。
社会的影響[編集]
ごろー投げ大会は、内の冬季観光と地場産業に少なからぬ影響を与えたとされる。関連土産として「ごろー最中」「転がり守り」「審判笛ストラップ」などが生まれ、2022年の大会期間中には周辺宿泊施設の稼働率が平均91.3%に達したという[11]。
また、教育現場では、回転運動の説明教材として活用されることがあり、の理科授業で「なぜごろーは斜めに逸れるのか」を題材にする事例が報告されている。もっとも、実際には理科よりも学級委員の選出に使われることが多く、各班が自作のごろーを持ち寄って競うため、学級崩壊の前兆として扱われることもある。
批判と論争[編集]
ごろー投げ大会には、伝統と現代化の対立が常につきまとう。特に2010年以降、が安全対策としてヘルメットと膝当ての着用を義務化したことで、「武骨さが失われた」とする批判が保守派から相次いだ。一方で、過去には観客席までごろーが転がった事例が少なくとも14件記録されており、規制強化は妥当とする意見も強い[12]。
また、2021年の北陸大会では、準優勝者の投球が風を受けて隣接する倉庫の屋根上に乗り、これを「史上初の屋根上停止」として認定するかが問題となった。審判団は最終的に「屋根は地面ではない」として無効としたが、地元紙は翌日、一面で「投げたのではなく、預けた」と皮肉交じりに報じた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺清十郎『転木競技の沿革と地方社会』越後文化社, 1908年.
- ^ 高瀬安之助『投擲時の微妙な泣き面と旋回』帝国農事試験場報告 Vol.12, No.3, pp. 41-58, 1912年.
- ^ 三浦房枝『冬季儀礼としてのごろー投げ』民俗學雑誌 第27巻第4号, pp. 201-219, 1931年.
- ^ 佐藤ゴロ吉『測るから下手になる: 地方競技の身体技法』小千谷体育評論社, 1948年.
- ^ 全国ごろー投げ協会編『公式競技規程 第8版』全国ごろー投げ協会出版局, 1967年.
- ^ Margaret L. Thornton, 'Rotational Bias in Regional Throwing Toys', Journal of Northern Sports Studies Vol. 18, No. 2, pp. 77-103, 1984.
- ^ 田所真一『新潟県の冬季行事と観光経済』地方行政研究所, 2001年.
- ^ Hiroshi Kameda, 'The Aesthetics of Landing: A Study of Gorō Dynamics', Proceedings of the International Folklore Mechanics Conference Vol. 5, pp. 12-29, 2015.
- ^ 斎藤美和『照明塔回避点の導入経緯』日本競技史研究 第14巻第1号, pp. 5-17, 2018年.
- ^ 国際ごろー投げ連盟『四歩敬礼規則集 2023年度版』ロンドン事務局, 2023年.
外部リンク
- 全国ごろー投げ協会
- 長岡雪あかり市民広場
- 越後民俗競技アーカイブ
- 国際ごろー投げ連盟
- 新潟冬季文化資料館