しろがね人
| 別名 | 銀影衆、白金手、しろがね組 |
|---|---|
| 活動時期 | 17世紀末 - 20世紀初頭 |
| 活動地域 | 、、下町 |
| 主な言語 | 、鉱山符牒、計算帳記法 |
| 主な職能 | 銀の選鉱、秤量、出納、夜間警備 |
| 信仰 | 月読信仰、鍛冶神への奉納 |
| 関連施設 | 白釜坑、三枚蔵、しろがね会所 |
| 消滅要因 | 産業近代化、帳簿制度の標準化 |
| 象徴色 | 銀白色 |
| 通称の由来 | 精錬場の粉塵で衣服が灰白色に見えたため |
しろがね人(しろがねびと、英: Shirogane People)は、の鉱山地帯において銀精錬と帳簿管理を担ったとされる半職能集団である。のちにの都市伝承と結びつき、白い粉塵にまみれた作業着の色からその名が定着したとされる[1]。
概要[編集]
しろがね人は、銀鉱山の周辺で形成された職能的共同体であり、採掘そのものよりも精錬・運搬・検量・記録に強みを持っていたとされる。とくに後期には、鉱山支配の末端を担う準公的な存在として扱われ、帳簿の読める労働者として重用された。
一方で、彼らは単なる労働者集団ではなく、婚姻・相互扶助・夜番の分担を含む独自の慣行を保持していたとする説が有力である。現在では実在性よりも、近世鉱業と都市伝承が混ざり合って生まれた「半ば制度、半ば伝説」の事例として研究されている[2]。
名称[編集]
「しろがね」は古くは銀そのものを指す語であるが、しろがね人の場合は金属名よりも「白く粉を帯びた者」という意味合いが強いとされる。佐渡の古文書には「白衣の者」「灰白衆」とも記され、呼称は地域ごとに揺れがあった。
の民俗調査では、坑口付近で働く者が朝夕に月明かりを浴びるため、遠目には銀色に見えたことが名の由来であるという伝承が採録されている。ただし20年代の再編帳では、事務方が意図的に「しろがね人」を職階名として採用した形跡があり、名称の制度化は比較的遅いとみられている。
成立史[編集]
鉱山共同体としての起源[編集]
しろがね人の起源は期の銀山再興に求められることが多い。銀の含有率が低下したことで、採掘よりも選鉱と再精錬の精度が重視され、秤量に長けた者が集住した結果、半ば閉鎖的な共同体が成立したとされる。特にの白釜坑周辺では、1日あたり平均17人が「帳場見習い」に振り分けられたという記録がある[3]。
この頃のしろがね人は、坑夫と役人の中間に位置する微妙な身分であった。鉱山奉行所は彼らに朱印付きの札を与え、夜間の通行と倉庫出入りを認めたが、その代わり毎月2回の秤量検査を課した。検査でわずか0.4匁でも誤差が出ると、帳場全体が半日停止したという。
都市への流入[編集]
年間の銀流通が不安定になると、しろがね人の一部はへ移住し、両替商の下働きや金座周辺の運搬に従事した。ここで彼らは、鉱山由来の厳密な秤量術を都市金融に持ち込み、特定の町では「銀皿の人」と呼ばれた。
なお、の古い長屋では、彼らが紙の目方を目で測る技法を使い、誤差を数厘単位で当てていたという逸話が残る。ただし同じ資料には、ある冬に37枚の帳簿を一晩で溶かしたという不可解な記述もあり、研究者のあいだで要出典扱いになっている。
近代化と消滅[編集]
維新後、鉱山行政は系の統一規格に組み込まれ、しろがね人の職能は「精鉱係」「出納係」「坑内監督補」などに分解された。これにより共同体としての輪郭は急速に失われたが、旧来の婚姻ネットワークだけは期まで残存したとされる。
にで行われた調査では、元しろがね人の家系が21戸確認され、そのうち14戸が依然として家計簿を縦書きで付けていた。調査報告は「習俗的な保存」と結論づけたが、報告書末尾には「夜に銀箔が鳴る」とだけ書かれた注記があり、後世の研究者を悩ませている。
社会的役割[編集]
しろがね人は、単に銀を扱う技能集団ではなく、山間部の情報伝達網としても機能していたとされる。鉱山から港へ向かう荷の量、役人の巡察日、疫病の流行などが、彼らの間で暗号化された口伝として流通したという。
また、彼らは祭礼にも深く関与した。の一部地域では、銀粉を混ぜた白い紙片を焚き上げる「白焚き」が行われ、これは豊穣祈願と帳簿清算の双方を意味したと説明されている。経済と呪術が同じ儀礼に重ねられていた点が、しろがね人研究の特色である。
文化[編集]
衣装と持ち物[編集]
代表的な衣装は、麻布の上に防塵用の袖掛けを重ねたもので、粉塵で白く見えることから「しろがね袴」と呼ばれた。腰には短い竹製の算木入れを差し、外出時には銀の欠片を3粒だけ布袋に入れる慣習があったという。
とくに帳場役の人物は、胸元に小さな鈴を2つ縫い付け、歩くたびに金属音で所在を知らせた。これは盗難防止のためとされるが、夜間の坑道ではむしろ幽霊避けの意味を持ったとも言われる。
歌と伝承[編集]
しろがね人に関する歌は、短い労働歌が中心であるが、なかには異様に長いものもある。『白を量れば月が減る』で始まる歌は、の集落で6節まで確認されており、最後の節だけ帳簿の利息計算になっている。
のによれば、これらの歌は作業手順の暗記法として用いられたが、実際には「歌うと銀の目減りが止まる」という迷信を補強する役目が大きかったという。なお、この説は口承採集の回数が少ないため、やや慎重に扱う必要がある。
しろがね人の一覧[編集]
以下は、しろがね人の系譜や伝承でとくに著名とされる人物・集団である。史料の性格上、実在性の境界は曖昧であるが、・・の各系統を中心に整理されている。
### 佐渡系
- 白岩 重蔵(1689年頃) - しろがね人の祖型とされる人物で、白釜坑で秤量法を改良したと伝えられる。秤の針が1度だけ止まらず、翌朝には坑道の角度がわずかに変わっていたという逸話がある。 - お千代(1712年頃) - 帳簿を書ける女性として珍重され、銀粉を混ぜた墨で記帳したとされる。彼女の帳面は現在に類似資料が1冊だけ残るが、ページ数が途中で増えている。 - 久保田 喜兵衛(1734年 - 1791年) - 夜番を統括した人物で、坑口の鐘を11回打つことで異常を知らせた。彼が遅刻した日は、決まって井戸水の味が変わったという。
### 会津系
- 松平屋 弥三郎(1750年頃) - 銀輸送の護衛を担い、馬1頭につき荷箱を3箱まで許可する独自規定を作った。これが後の荷役組合の原型になったとされる。 - 榛名屋 きぬ(1768年頃) - 目利きに優れた女性で、砂金と銀滓を嗅ぎ分けたという。晩年は味噌汁にまで「銀の気配」があると語り、家族を困らせた。 - 相馬 文右衛門(1783年 - 1846年) - 山間の通信網を整え、3里ごとに符牒を変える仕組みを導入した。彼の系統は後に郵便制度の先駆けと誤認されることがある。
### 江戸系
- 神田 しろ(1801年頃) - 日本橋の問屋街で帳簿修正を請け負った人物で、誤差を和紙の湿度で補正したとされる。彼女の名が「しろがね人」の「しろ」と同一視されたという説もある。 - 三河屋 伝十郎(1819年 - 1888年) - 金座周辺の物資監督を務めたが、終生銀器を使わず木椀を好んだ。理由は「銀は静かすぎる」からだとされた。 - 谷口 すえ(1836年頃) - 明治初期に最後のしろがね帳を校正したと伝えられる。彼女が修正した1行だけ、なぜか西洋式の分数が混じっている。
批判と論争[編集]
しろがね人の研究は、史料の多くが後世の口承記録であるため、当初から実証性に疑義が呈されてきた。とくに史料編纂所系の研究者からは、同一人物が「坑夫」「会計補助」「夜警」「祈祷者」として4役を兼任している点について、社会構造の単純化に見えるとの批判がある。
また、40年代に刊行された地方誌では、しろがね人が「銀の流れを止める呪詛」を行ったと記され、これが鉱山事故の責任転嫁ではないかという議論を呼んだ。一方で、の一部では現在も年1回の「白銀清算祭」が行われており、保存文化か創作神事かをめぐって見解が割れている。
評価[編集]
近年の民俗学では、しろがね人は実在の単一民族ではなく、銀山労働者、帳場係、輸送人夫、都市の両替補助などが外部からまとめて呼ばれた総称であった可能性が高いとみなされている。つまり、固定した血統よりも、技能と規律によって可視化された「職能共同体」と理解する方が自然である。
ただし、佐渡と江戸の双方に似た慣習があることから、何らかの移動可能な規範集団が存在したのではないかとも言われる。もっとも、文献の末尾にしばしば「銀は夜に増える」といった注記が現れるため、研究史そのものがしろがね人の伝承化の一部になっているとも指摘されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒川定次郎『佐渡鉱山余聞における白衣集団の研究』地方史料研究会, 1978年, pp. 41-89.
- ^ 中村由紀子「しろがね人と近世銀流通の周縁」『日本民俗経済史』第12巻第3号, 1994年, pp. 15-37.
- ^ Harold P. Winters, "Accounting Dust and Ritual Labor in Early Modern Japan", Journal of Proto-Industrial Studies, Vol. 8, No. 2, 2001, pp. 201-229.
- ^ 山田清一『鉱山共同体の符牒と婚姻』東北文化出版, 1986年, pp. 102-176.
- ^ Margaret L. Fenwick, "The Silver-White People of Sado: A Reappraisal", Asian Historical Quarterly, Vol. 19, No. 4, 2010, pp. 77-104.
- ^ 渡辺精一郎「明治初期におけるしろがね職階の解体」『工部省史料集成』第5巻第1号, 1969年, pp. 3-28.
- ^ 佐久間みどり『白焚きの民俗誌』新潮社, 2004年, pp. 55-93.
- ^ Eleanor J. Blake, "Moonlit Ledgers and the Shirogane Kinship Network", The Review of Japanese Labor History, Vol. 27, No. 1, 2015, pp. 11-46.
- ^ 斎藤一馬『銀は静かすぎる――江戸問屋街の夜番伝承』岩波書店, 1991年, pp. 88-119.
- ^ Tomás R. Aguilar, "A Note on the So-Called Shirogane People", International Journal of Invented Ethnographies, Vol. 2, No. 1, 2022, pp. 1-18.
外部リンク
- 佐渡鉱業民俗資料アーカイブ
- 東京下町口承史研究会
- 白釜坑デジタル記録室
- 近世帳簿文化センター
- 銀影衆資料館