それはまた別の話
| 分野 | 言語学・会話分析・社会心理学 |
|---|---|
| 用法 | 論点転換/次元の変更(暗黙の打ち切り) |
| 成立時期 | 江戸末期の書簡文化に由来するとする説 |
| 関連概念 | 別話律、論点位相差、余白協約 |
| 利用場面 | 裁判傍聴、議会討論、家庭内交渉 |
| 代表的フレーズ | 「それはまた別の話で」 |
| 影響 | 紛争の“先送り”と合意形成の両面を生んだとされる |
(それはまたべつのはなし)は、会話の途中で論点を意図的に切り替えるための慣用句である。議論の着地点を曖昧にしつつ話題を移す表現として広く知られている[1]。なお、語源には「別話律」と呼ばれる独自の学説があるとされる[2]。
概要[編集]
は、相手の指摘や反論に対して、同一の枠組みでは扱えないとして話を切り替える言い回しである。表面上は「話がずれているだけ」という穏当な態度に見えるが、実務上は“検証の打ち切り”や“論点の保留”を伴いやすいとされる。
一方で、会話分析の文脈では、対話のエネルギーを無駄に消耗させないための安全弁としても理解されている。とくにの所蔵の速記原本に、類似の運用が「第3者の疲労を減らす規範」として記録されていたことから、単なる口癖以上の社会技術であった可能性が指摘されている[3]。
この慣用句が制度化される過程で、「別話律」なる暗黙のルールが整備されたとする説がある。同律は、話題の切り替えを“謝罪なしで許可する”とする点に特徴があるとされるが、同時に紛争の長期化にも寄与したとも報告されている[4]。
歴史[編集]
書簡文化から“別話律”へ[編集]
語源は、江戸末期の書簡に求める説が最も知られている。具体的にはの町役人の通信様式において、相手の要求を逐語的に受けるのではなく「先の段(だん)」「後の段(だん)」として分類し、後続の返答を“別枠”に退ける慣行があったとされる[5]。この“段替え”が、後に口頭で「それはまた別の話」として圧縮されたという。
また、の古文書調査班が、のとある訴状下書きに「別話、別帳、別方角」という三語が並置されていたのを根拠に、話題切替の論理が会計帳簿の構造(品目ごとの別台帳)から来た可能性を述べている[6]。ただし当該下書きの墨の濃淡が異なるため、後年の筆写が混入した可能性も示されている。
この段替えが言い回しとして完成した背景には、当時の通信の“遅延コスト”があったと考えられている。実際にが飛躍的に整備される前、返信を急ぐあまり行き違いが起き、裁定者が逐次対応を強いられる事態が増えた。その対策として、裁定者側が「今は別の段の審理である」と明示することで、当日の疲労を—後年の推計では—最大で減らしたとする調査がある[7]。数値の根拠はあくまで“議事速記の主観語の頻度”であり、厳密性には欠けるとされるが、物語としては強い。
結果として、は“礼儀としての言い換え”と“実務としての打ち切り”を同居させたまま定着した。ここがのちの論争点になったとされる。
裁判傍聴と議会討論の安全弁化[編集]
明治期になると、やでの運用が目立つようになった。とくにの地裁支部で行われた傍聴記録の分析では、尋問の連鎖が過熱した際に「それはまた別の話」が挿入される頻度が上がる傾向が報告された[8]。報告書では「言い換えの挿入が、証拠の照合に必要な往復回数を平均減らす」と推計されているが、対象事件の選定が偏っていた可能性も指摘されている。
この傾向は、同時期に増えた“蒸し返し訴訟”対策と結びついた。相手が同一争点を繰り返すほど、裁判官の注意資源は分散し、判断の速度が落ちる。そこで“今は別の話”とすることで、判断の粒度を調整したのが制度的意義であると考えられたとされる。
一方、政治の場では逆の影響も出た。たとえばの予算委員会で、質問者が「それは答弁で触れていた件では」と食い下がる場面が増え、議事録上では「別話の境界線」が争点化した。ある編集者は、そこからという“言外の譲歩ルール”が発達したと書いているが、同書は議事録の原文より口語のニュアンスを重視しており、再現性の面で批判がある[9]。
家庭内交渉における“保留の科学”[編集]
昭和後期には、家庭内での運用が観察研究の対象になったとされる。家庭内交渉では、生活コストの最適化と感情の鎮静が同時に必要になるため、論点を“別の領域”に退ける言い回しが有効だった可能性がある。統計としては、に周辺の研究会がまとめたとされる非公開資料で、夫婦の会話に占める「それはまた別の話」系の表現が、喧嘩のピーク前に現れる確率をと推定している[10]。
ただしこの推定は、当時の録音機器が雑音除去に弱かったため、語尾が聞き取れないケースを手作業で補正したとされる。補正基準が記録されていないため、厳密性に欠けるとする批判もある[11]。それでも、研究会は“ピーク前に切り替えることで相互攻撃が止まる”という機序を提示し、実務家からの支持を得た。
このように、は社会の複数領域で、緩衝材としても、責任回避としても機能し得る“両義性の装置”として位置づけられた。
社会的影響[編集]
が広まったことで、対話は“問題解決”と“関係調整”に分割される傾向が強まったとされる。言い回し自体が柔らかい響きを持つため、相手の面目を潰しにくいという利点がある。その結果、会話が短期決着しやすくなり、場の温度が上がりにくいと報告された[12]。
一方で、社会制度の側では“論点の運搬”が増えたとも解釈できる。たとえば、労使交渉では、賃金の要求が出たときに「それはまた別の話」として福利厚生側へ話題を移し、結果として“制度の議論”と“心情の議論”が別日程で処理されることが増えたとされる。ここでいう別日程は、記録上に設定される例が多いとされるが、これは単なる集計の偏りの可能性がある。
さらに、メディアはこの表現を“逃げ文句”としても再生産した。ニュースのコメンテーターが、視聴者からの質問を「それはまた別の話」と切り、専門家の語りを成立させる場面が増えた。すると視聴者側は「結局どうなのか」を求めるが、回答は“別話”の枠内で無限に遅延されることがある。この遅延は、感情の悪化だけでなく、制度への不信にもつながり得ると指摘されている[13]。
批判と論争[編集]
批判としては、が“責任の回避”を正当化する語として機能し得る点が挙げられる。言い回しが柔らかいほど、論点の所在が曖昧になるため、相手が反論できない空気が作られるという指摘である。特に政治の場では、記録上「別話」が挿入された直後に、当該争点の再審理が一切行われない例が一定数見られたという調査報告がある[14]。
一方で擁護側は、話題の転換そのものが非難されるべきではないと主張する。現実の問題は多層であり、同じ言葉で全てを扱うと混乱が増えるため、「次元を変えること」は合理性を持つとされる。実際にの支持者は、「議論の位相差(相手と自分で扱っている時間・目的・尺度が違う状態)」を整える技術として位置づけている。
ただし、位相差を“誤魔化し”に利用することも可能であり、ここが最大の論争点になったとされる。ある判例研究者は、位相差の計測ができない限り、「それはまた別の話」は判定者の気分に依存する危険があると述べている[15]。この指摘に対し、別話律研究会は「測れないからこそ、言い回しで調律する」と反論し、議論は収束しなかった。結果として、用語の信頼性を巡る論争が続いた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐倉啓太『会話の刃を丸める技術:別話律の実証と誤差』青灯書房, 1989.
- ^ 田中光希『言い回しと責任:それはまた別の話の政治言語学』東京大学出版会, 2001.
- ^ Matsumoto, R. “Another-Story Pragmatics in Japanese Deliberation,” 『Journal of Interpersonal Semantics』Vol. 12 No. 3, 2014, pp. 55-78.
- ^ 山城千秋『裁判傍聴速記にみる安全弁フレーズ』法学叢書館, 1976.
- ^ Kuroda, S. & Thornton, M. A. “Phase Distance and Defensive Reframing,” 『International Review of Discourse Studies』第8巻第1号, 2019, pp. 101-129.
- ^ 【要出典】編集部『議事録の行間:余白協約の誤読』議会資料センター, 1996.
- ^ 加賀谷理沙『江戸書簡の段替え構造と語用論』京都学術出版, 2010.
- ^ 【微妙に誤植が多い】中里健『余白協約の数理(第2版)』丸善アカデミア, 2022.
- ^ 北條真一『家庭内交渉の保留パターン:録音データの再構成』福祉統計研究所, 1983.
- ^ 林潤平『説明の境界線:位相差が生む信頼の崩れ』日本評論社, 2007.
- ^ 田辺隆広『メディア言説における“別の話”の再生産』放送文化研究所, 2016.
外部リンク
- 別話律アーカイブ
- 余白協約・会話事例データベース
- 議事録温度計(実験室)
- 位相差推定器(デモサイト)
- 裁判傍聴フレーズ辞典