千留 大井
| 氏名 | 千留 大井 |
|---|---|
| ふりがな | ちる だい |
| 生年月日 | 1897年4月18日 |
| 出生地 | 東京都神田区(現・千代田区) |
| 没年月日 | 1964年11月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗記録家、配列学者、演出家 |
| 活動期間 | 1919年 - 1962年 |
| 主な業績 | ちるだい式口承転写法の確立、巡回講演会「千留式夜話」の開催 |
| 受賞歴 | 帝都文化奨励賞(1948年)、地方記録功労章(1957年) |
千留 大井(ちる だい、 - )は、の民俗記録家、配列学者、ならびに地方巡回演芸の演出家である。独自の「ちるだい式口承転写法」を創案した人物として広く知られる[1]。
概要[編集]
千留大井は、末期から中期にかけて活動した日本の民俗記録家である。とりわけ、失われかけた口承を紙片・帳簿・音譜に同時転写する「ちるだい式口承転写法」を考案したことで知られる。
その方法は、内の下宿屋やの港湾労働者宿舎で試験的に導入され、のちにの地方調査班にも参照されたとされる。なお、本人は生前これを「記録ではなく、記憶の配達」であると述べたという[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
千留大井は、神田区の表具屋の長男として生まれた。幼少期から帳面の余白に近隣の噂話や祭礼の順序を書き写す癖があり、近所では「余白の子」と呼ばれたという。
には父の勧めで相当の夜学に通い、と速記を並行して学んだ。学費の一部は、下町の寄席で配布された広告刷り紙の裏面を再利用することで賄ったとされるが、この点は記録が一定しない[3]。
青年期[編集]
、方面で開催された講演会を見物した際、話者の身振りと観客の反応が一枚の紙面では再現しきれないことに強い関心を抱いたとされる。その後、民俗学者のの系譜に連なる私塾に出入りし、口承資料の整理を手伝った。
の後には、焼失した地域の口伝を採集するため、からにかけて徒歩で巡回した。彼はこの時期に「聞いた順に書くと、真実より先に疲労が残る」と記しており、以後は証言者ごとに色鉛筆を変える方式を採用したという。
活動期[編集]
、千留はの準会員となり、の貸会議室で最初の公開講座「ちるだい夜話法」を実施した。参加者は初回わずか17名であったが、終演後の質疑が3時間に及んだため、翌月からは床に畳を追加する運用が始まった。
には、の出版社・浪速文庫と共同で『転写便覧・第一輯』を刊行し、凡例として「ひとつの話を三つの順序で書け」と命じた。この書物は図版112点を収録し、うち9点は実際には図版ではなく照明器具の配置図であったが、編集上の誤りとしては最後まで修正されなかった。
、千留はを受賞した。授賞理由には「地方口承の保存における形式美と、聞き手の沈黙に対する学術的尊重」が挙げられている。受賞式で彼は、壇上で原稿を落とした際にそのまま観客へ拾わせ、それを「共同編集」と呼んだという。
晩年と死去[編集]
後半になると、千留は三島市近郊の療養所に滞在し、晩年の研究ノート「折り返し帳」をまとめた。ここでは、記録対象の話者が話し終える前に雨が降ると原稿の信頼度が上がる、という独特の経験則が記されている。
に最後の巡回講演を終え、11月2日、で死去した。死因は心不全とされるが、遺族は「最後まで配列の順番にこだわっていた」と証言しており、枕元には未整理のメモ紙が43枚残されていたという。
人物[編集]
千留大井は、寡黙で規律を重んじる人物として語られる一方、講演の開始10分前になると急に菓子パンを3個まとめて買う癖があったとされる。本人は「空腹のまま記録すると、語尾が先に逃げる」と説明したという。
また、来訪者に対しては必ず机の角度を北東に5度だけずらしてから応対した。これはの貸間で見た占い師の真似であったとも、紙面の影を均一にするためであったともいわれるが、定説はない。
逸話として有名なのは、にの古書店で売れ残った帳簿28冊を一括購入し、翌週その全てに「無音の証言」と題して蔵書印を押した事件である。店主は驚いたが、千留は「押す音で記憶が整う」と述べたと伝えられている。
業績・作品[編集]
千留の最大の業績は、話者の証言を「時系列」「感情の強度」「沈黙の長さ」の三層で記録するちるだい式口承転写法の確立である。この方法はには一部の地方紙編集部でも採用され、祭礼記事の見出し作成に応用された。
代表作には『』『転写便覧・第一輯』『折り返し帳』『港湾労働者聞書のための基礎配列』などがある。とくに『折り返し帳』は、本文より欄外注記の方が長く、注記だけで講演録2回分に相当すると評された。
なお、彼がに発表した論文「沈黙の採集可能性について」は、後年の所蔵目録において著者名の一部が「千留大丼」と誤記され、これが一時的な再評価のきっかけになったという。
後世の評価[編集]
戦後の民俗学界では、千留の方法は「過剰に丁寧であるがゆえに有効」と評価され、には地方史編纂の現場で参照された。また、以降は映像記録の字幕制作や博物館の展示順序設計にも影響を与えたとされる。
一方で、彼の理論には「記録者の気分を定量化しすぎている」との批判もある。とくに、温度計の目盛りで聞き取りの質を補正するという記述は、後世の研究者から「実務上は再現困難である」と指摘された[4]。
それでも、内の一部の書店や演芸研究会では、今なお千留式の余白処理が実践されている。2021年にはの小規模ギャラリーで回顧展「話は紙より広い」が開かれ、来場者312名のうち約半数が注記欄に最も感心したと報告されている。
系譜・家族[編集]
千留家は、もともとで表具と帳面商を兼ねる家であったとされる。父・千留勘太郎は糊の配合に厳格で、母・千留ミネは近隣の冠婚葬祭の進行を手伝うことが多かったという。
妻の千留静枝はの書店勤務であり、千留の草稿の誤字を「誤字ではなく余韻」と言い換えることで知られた。二人の間には長男・千留正夫と長女・千留和子がいたが、正夫は家業を継がずの映画館支配人となった。
また、千留の甥にあたる千留一三は戦後に関連の記録整理に携わったとされ、親族の間では「大井の筆は大井で止まる」との家訓めいた言葉が伝わっていた。
脚注[編集]
1. 千留大井に関する初期伝記資料は、戦災で散逸したものが多い。 2. 「記憶の配達」は『千留式夜話集』所収の講演記録による。 3. 夜学在籍の経緯には諸説ある。 4. 温度補正法は、後年の研究者により再現実験が試みられたが、結果は一定しなかった。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 千葉房子『千留大井研究序説』中央公論社, 1978年.
- ^ M. A. Thornton, “On the Chiru-Dai Method of Oral Transfer,” Journal of Folklore Arrangement, Vol. 12, No. 3, 1956, pp. 44-71.
- ^ 井口龍平『口承と配列――千留大井の現場』岩波書店, 1984年.
- ^ 佐伯由紀『沈黙を数える人』筑摩書房, 1991年.
- ^ Harold P. Wexler, “Sequential Listening in Postwar Japan,” Pacific Ethnographic Review, Vol. 8, No. 2, 1969, pp. 101-129.
- ^ 高見沢春雄『転写便覧の周辺』みすず書房, 2002年.
- ^ 渡会真澄『ちるだい式夜話の成立と展開』吉川弘文館, 2010年.
- ^ Eleanor K. Finch, “The Problem of Silence Indexing,” Asian Memory Studies, Vol. 4, No. 1, 1974, pp. 15-38.
- ^ 山辺薫『折り返し帳の倫理』新曜社, 2016年.
- ^ 『千留大井全集・別巻 余白の科学』国立配本研究所, 1968年.
外部リンク
- 日本配列学会アーカイブ
- 千留大井記念資料室
- 地方口承保存センター
- 神田民俗文庫デジタル館
- 余白研究会公式年報