てるもり
| 分類 | 照明法、民俗技術、擬似林業用語 |
|---|---|
| 成立 | 1927年頃 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎ほか |
| 主な用途 | 製紙、撮影、祭礼、伐採時の視認補助 |
| 中心地域 | 岐阜県郡部、東京都下町、長野県南部 |
| 関連機関 | 林野試験所照度班、東亜光学研究会 |
| 特徴 | 葉影を利用して対象物の輪郭を強調する |
| 別名 | 森かげ式、照葉法 |
てるもりは、木材や紙面に強い順光を与えた状態を指す、日本の照明・民俗・林業が交差する独特の概念である。末期にの山間部で体系化されたとされ、のちに写真術や舞台照明にも応用された[1]。
概要[編集]
てるもりは、太陽光を枝葉でいったん散乱させたのち、特定の面に再集束させることで、対象の色調を柔らかく見せる技法および観念である。一般には林業の現場で生まれたものとされるが、のちにの写真館やの芝居小屋に持ち込まれ、視認性と情緒を両立する手法として知られるようになった。
名称は「照る森」の意とも、「テルモリ村」の訛転とも説明されるが、決定的な資料は見つかっていない。もっとも、の前身機関である山林局の記録に、1928年の照度比較表とともに「てるもり状」の語が登場するため、少なくとも昭和初期には実務用語として流通していたとみられている[2]。
成立史[編集]
山間部の採光実験[編集]
この手法は当初、作業員の間で「葉のつくる明るい日陰」と呼ばれていたが、のちに測量係のが、照度計の針が安定することに着目し、「てるもり」と命名したという。なお、同時期のの宿営地でも同様の手法が独立に生まれていたとの証言があり、起源をめぐる論争は現在も続いている。
写真術への転用[編集]
1931年、東京・の写真館主が、てるもりを肖像撮影に応用したことで一般社会に広まった。彼は、背後に竹簾を立て、窓外の街路樹をわざとフレーム内に入れることで、顔の輪郭だけを明るく抜く技法を完成させたと主張している。
この方法は「不自然に自然である」と評され、当時の『』誌では「肌の艶が一段上がるが、眉毛だけ妙に森になる」と批判と賞賛が同時に寄せられた。広告写真では特に好まれ、の百貨店で撮影された洋装写真の約38%に、何らかのてるもり的補光が施されていたと推定されている。
民俗化と祭礼[編集]
1935年以降、てるもりは「豊穣の木陰」を再現する年中行事として各地の鎮守社に持ち込まれた。の一部集落では、祭礼前夜に杉葉を束ねて参道へ吊るし、翌朝の最初の陽光を神饌台へ落とす儀式が行われたという。これにより米の粒立ちが良くなると信じられ、昭和10年代には近隣から見学者が年間1,200人を超えたとされる[4]。
ただし、儀礼との結びつきは後年の再解釈である可能性が高い。実際には、祭礼の準備中に照明係が余った枝葉を立てかけたことが発端だったとも言われ、民俗学者のは「後付けの神聖化がもっともらしさを増した」と述べている。
技法[編集]
てるもりの基本は、直射光を完全に遮るのではなく、葉影・簾・薄布などで一度分解し、再び対象へ戻す点にある。これにより、光は「明るいが鋭すぎない」状態になり、木材の木目、紙の繊維、人物の頬などが過剰に強調される。
技法は大きく三型に分けられる。第一に、伐採現場で用いられる「地面返し型」、第二に、撮影や舞台で使われる「窓外樹影型」、第三に、祭礼や見世物で用いられる「吊葉型」である。いずれもよりも陰影の運動を重視する点が共通している。
また、熟練者は葉の密度を「七分透け、三分曇り」と呼ばれる比率で調整するという。1938年のの報告では、葉を1平方メートルあたり約240〜280枚の割合で重ねたとき、最も「てるもり感」が高いとされたが、測定法が主観的すぎるとして要出典のまま残っている。
社会的影響[編集]
てるもりは、単なる採光技術にとどまらず、戦前日本の「節約しながら見栄えを整える」美意識を象徴するものとして受容された。特に初期の都市住宅では、南向きの窓辺に鉢植えを置いて擬似的なてるもりを作る家庭が増え、住宅雑誌『』は1937年に特集号を組んでいる。
一方で、過度に用いると室内が「森の会議室」のように見えるとして批判もあった。ある百貨店では、婦人服売場に導入した結果、試着室の中で客が「どこまでが壁でどこからが木か分からない」と苦情を述べ、3日で撤去されたという逸話が残る。なお、撤去後も照明だけが妙に残り、商品の色が半年ほど実物と違って見えたと記録されている。
批判と論争[編集]
てるもりをめぐる最大の論争は、これが本当に独立した技法なのか、それとも既存のやの再命名にすぎないのか、という点にある。とりわけ戦後の照明学会では、「てるもり」という語は地方の慣用表現を中央官庁が拾い上げたに過ぎないとする見解が強く、1962年の討論会では会場の照明が2回落ちたため、議論自体が「てるもり的失敗」と報じられた。
また、林業史の分野では、渡辺精一郎の実在性すら疑う声がある。署名のある報告書が7通残る一方、同じ筆跡で日付だけが微妙に異なる文書が12通見つかっており、研究者の間では「一人の技師が三人分の経歴を背負った可能性」が指摘されている[5]。もっとも、こうした曖昧さ自体がてるもりの性格をよく表しているとも評される。
現代における再評価[編集]
21世紀に入ると、てるもりは写真家や舞台美術家のあいだで再評価された。とくにの古民家再生ブームと相性がよく、2020年頃には「てるもり風内装」を売りにする飲食店が、、に相次いで開店した。木漏れ日を模したLEDと観葉樹を組み合わせる方式が主流で、実際には森がないのに森だけが明るいという逆転現象が生じている。
また、の地域照明保存事業において、山間部の旧製材所跡が「採光民俗遺産」として仮登録されたことから、てるもりは半ば観光資源として定着した。2024年には岐阜県内で「全国てるもり選手権」が開催され、最優秀賞は、杉葉の影を使って2.4メートル先の茶碗の湯気だけを浮かび上がらせた高校生チームに授与されたという。
脚注[編集]
[1] 山田省吾『日本照明民俗史序説』風景社、1984年、pp. 41-58。 [2] 農商務省山林局『昭和三年 山間作業照度記録』官報附録、1929年、第12巻第4号、pp. 7-13。 [3] 渡辺精一郎「葉影反射による木口乾燥の試験」『林業と工藝』Vol. 3, No. 2, 1930, pp. 112-119。 [4] 千葉紀子『祭礼採光の民俗学』青灯館、1991年、pp. 203-221。 [5] 佐伯隆一「てるもり技師渡辺精一郎の書誌学的検討」『近代山村研究』第8巻第1号、2007年、pp. 15-29。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山田省吾『日本照明民俗史序説』風景社, 1984.
- ^ 渡辺精一郎「葉影反射による木口乾燥の試験」『林業と工藝』Vol. 3, No. 2, 1930, pp. 112-119.
- ^ 農商務省山林局『昭和三年 山間作業照度記録』官報附録, 1929, 第12巻第4号, pp. 7-13.
- ^ 三浦静太郎「窓外樹影と肖像写真の輪郭強調」『写真工藝』Vol. 11, No. 6, 1932, pp. 54-67.
- ^ 千葉紀子『祭礼採光の民俗学』青灯館, 1991.
- ^ 佐伯隆一「てるもり技師渡辺精一郎の書誌学的検討」『近代山村研究』第8巻第1号, 2007, pp. 15-29.
- ^ Margaret H. Thornton, The Semi-Canopy Method in Rural Lighting, East Asia Journal of Applied Aesthetics, Vol. 4, No. 1, 1958, pp. 9-21.
- ^ 河合一郎『木漏れ日工学とその周辺』星港出版, 1976.
- ^ Suzanne P. Leclair, Shadows That Improve Grain: Notes on Terumori, Journal of Imaginary Folklore, Vol. 2, No. 3, 1964, pp. 201-214.
- ^ 『新家庭の光』編集部『窓辺のてるもり術』新家庭社, 1937.
- ^ 岡本春枝「照葉法と都市住宅の景観形成」『住宅史評論』第5巻第2号, 2012, pp. 88-101.
外部リンク
- 東亜光学研究会アーカイブ
- 岐阜県山村民俗資料室
- 昭和採光史デジタル館
- 全国てるもり保存協会
- 近代林業用語索引DB