といれ
| 分野 | 都市衛生政策・生活史 |
|---|---|
| 成立時期(とされる) | 末〜初期 |
| 主な関係組織 | 内務省衛生局・鉄道院建築課(とされる) |
| 制度形態 | 届出制・点検制・衛生点数制(仮称) |
| 地域差 | 東海道沿いで早く普及したとされる |
| 関連技術 | 消毒石・流量調整桝(架空の用語) |
| 論点 | プライバシー規程と点数主義の対立 |
といれは、で日常的に用いられる「人の用を足すための場所」を指す語として知られている。語源は地方の方言とされることもあるが、実際には衛生行政の標準化文書の誤記から広まったとする説が有力である[1]。なお本項では、語としての「といれ」だけでなく、その社会制度としての発展についても扱う[2]。
概要[編集]
は、公共空間および住宅における「排泄行為の受け皿」として理解されることが多い。もっとも制度史の観点では、単なる建築物ではなく、衛生行政が生活を“計測可能”にするための装置として位置づけられてきたとされる。
具体的には、当時の衛生局が導入した「といれ規格書」により、臭気・清掃頻度・流量などが“数値化”され、各施設が点検対象として運用されるようになったと説明される。ここで重要なのは、名称自体が行政文書の誤記から固定され、結果として人々の会話や慣習にまで影響が及んだ点である。
ただし、この語がどの程度「誤記」から生じたのかについては諸説あり、鉄道施設の掲示板の版違いが原因だったという説もある[3]。なお、以下では「といれ」を、制度・文化・監査の総称として扱う。
語源と定義の“ズレ”[編集]
「便所」ではなく「といれ」になった理由[編集]
語源としては、いわゆる「便所(べんじょ)」が明治期に広まりつつあった一方で、が配布した雛形書式で「といれ」と誤読・誤植され、全国の自治体にそのまま写されたとする見方がある[4]。書式には「取調べ(とりしらべ)」の欄があり、活字組版の段階で「といれ」へ崩れたというのが、最も“それらしい”説明とされる。
一部の研究者は、地方役場での手書き写しの癖がそのまま行政文書に残ったため、読み手が「といれ」を“正式な場所名”と誤認したと指摘している。なお、この説を補強する資料として、の旧公文書館に保管されていた「衛生点検表(大正三年版)」の筆跡が引用されることが多い[5]。
定義が“建物”から“運用”へ移った経緯[編集]
「といれ」は当初、単なる建物の指示語として扱われた。ところが鉄道駅舎の改築が相次ぎ、旅客の衛生苦情が統計化されるにつれ、施設は“運用”(清掃、消毒、換気)まで含めて評価されるようになったとされる。結果として、の対象になる施設ほど「といれ」と呼ばれ、呼称が制度優先で更新されたという。
この流れは、の一部自治体が導入した「臭気指数」試験とも結びついた。臭気指数の計算式は「換気 = 出入口面積 × 〇.〇一(単位は不明) − 清掃間隔(時間)×0.3」とされ、当時の広報では“計算が苦手でも安心”といった文言が添えられていたと記録される[6]。この式の成立過程がどこにも残っていない点は、後述の批判としてしばしば挙げられる。
歴史[編集]
衛生点数制と「二度拭き」の発明[編集]
といれ制度が本格的に運用されたのは、期の衛生官僚改革の波であるとされる。特に有名なのが「衛生点数制(えいせいてんすうせい)」で、施設ごとに月次の得点が付与された。得点は概ね、(1)清掃回数、(2)消毒石の補充、(3)臭気苦情の件数の三項目で構成されたとされる。
当時の記録によれば、清掃回数の最低基準は「一日あたり二度拭き(にどふき)」であった。ここでいう二度拭きは、単に回数ではなく、拭き取り布を「午前用(銀糸配合)」と「午後用(黒炭配合)」に分けることが推奨されたという点が特徴である[7]。なお、この分類はなぜか“機関車の回送区分”と同じ凡例で統一されたとされ、鉄道院建築課が関わった可能性が指摘されている。
もっとも、得点の計算方法は自治体により揺れがあり、では「消毒石補充」を三日で一回とする運用が採用された一方、では「氷結しない範囲で毎週」とする説明が付けられたとされる。地域差は気候要因だけでなく、倉庫管理の都合だったのではないかとも推測されている。
駅前広告の“といれ標識”と都市生活の変化[編集]
昭和に入ると、駅前の掲示板に「といれ標識」が設置され、利用者に対して“手順”が示されるようになった。標識の書式は図解が多く、特に有名なのが「利用者の行動を三段階に分ける」方式である。段階は「一、位置確認」「二、所要時間 4分±40秒」「三、清掃点検(利用者自身)」とされる[8]。
この所要時間の指定は、当時の衛生官が“滞留が臭気を増幅する”と考えたことに基づくとされるが、実際には利用者が守れるかどうかが問題視された。結果として、守れない場合は“自責カード”に丸を付けさせる運用が一部地区で導入されたという。自責カードは厚紙で、色は緑(守れた)・黄(遅れた)・赤(失敗)とされ、駅員が回収したとされる[9]。この仕組みが、のちにプライバシー論争へ発展した。
といれ文化の具体例(制度が生活に侵入する瞬間)[編集]
といれは、単に排泄の場を意味する語から、社会のふるまいを“点検可能な行為”へ変換する語として浸透していったとされる。たとえば、家庭内でも「といれ清掃の当番」が家計簿と結びついた時期がある。
では、清掃用具の購入額が家計簿に別枠で記載され、その月の合計が一定額(具体的には「前月比+12%以下」)を超えた場合は、衛生局の嘱託が“浪費チェック”に来たとされる[10]。当然ながら、家庭内での清掃が厳密に行われるようになった側面がある一方、儀礼化により疲弊する家庭も出たと報告される。
またでは、運動会の準備の合間に「といれ換気テスト」が行われた。換気テストは、紙片を差し込み、吸い込みの勢いで合否を出す方式であったとされる。教員の間では「勝敗が決まるのはいつも風向き」という諦めが共有されていたとも言われるが、当時の教育委員会議事録では合格率が“97.2%”と記載され、なぜその小数が必要だったかが後の笑いどころになっている[11]。
批判と論争[編集]
といれ制度は“衛生の合理化”として語られる一方で、過剰な監査・数値化の弊害が指摘された。とりわけ批判の核は、点数制が人々の行為を「標準化された手順」へ縛り、失敗を“記録される恥”へ変えた点にあったとされる。
また臭気指数の計算式が実測の根拠に乏しいとする批判もある。実測とは異なる「単位不明の定数」が用いられていた可能性が指摘され、ある地方紙では「換気 = 面積 × 〇.〇一 − 清掃間隔×0.3 で神は救われるのか」と揶揄されたとされる[6]。さらに、自責カード回収が過度であるとして、に関する抗議が自治体窓口へ提出された事例が知られる。
一方で擁護側は、当時の感染症対策として、少なくとも清掃頻度の改善に寄与したと主張した。結果として、制度は全面撤廃ではなく「点数の公開度」を下げる方向で縮小されたとされる。ただし、縮小後も“監査の名を変えた継続”があったという証言が複数残っており、笑いの中に不安が残る形で終息したとまとめられる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯周平『衛生行政の活字事故史—誤記が制度を生むまで』幻灯書房, 1998.
- ^ Margaret A. Thornton『Bureaucratic Sanitation and Household Compliance: A Case Study of Early 20th Century Japan』University of Kyoto Press, 2009.
- ^ 【日本衛生史学会】編『都市衛生点数制の社会学』第3巻第1号, 2012, pp. 41-78.
- ^ 岩城精次『駅前標識と行動規範—「といれ標識」運用報告の読み解き』鉄道文化研究所, 2003.
- ^ 中村玲子『臭気指数の数式はなぜ生き延びたか』清掃工学叢書, 2016, pp. 112-139.
- ^ Klaus Rehmann『Quantification of Hygiene: Audits, Scales, and Unmeasured Constants』Vol. 12, No. 4, Journal of Domestic Infrastructure, 2014, pp. 205-227.
- ^ 【静岡県】旧公文書館『衛生点検表(大正三年版)解題資料』, 1975.
- ^ 山口邦彦『二度拭きの技術史—銀糸・黒炭の合意形成』日本消毒協会, 2001, pp. 9-33.
- ^ 小田切幸雄『教育委員会議事録に見る換気テストの統計記述』学校建築史研究会, 2010, pp. 67-88.
- ^ Takeshi Hoshina『Self-Exculpation Cards in Public Sanitation Policy』Annals of Urban Behavior, 第7巻第2号, 2018, pp. 301-319.
外部リンク
- といれ語源調査アーカイブ
- 臭気指数計算研究室
- 駅前標識コレクション
- 衛生点数制資料館
- 二度拭き実験ログ