どんどん焼き
| 名称 | どんどん焼き |
|---|---|
| 別名 | 波打ち鉄板だれ焼き(はうちてっぱんだれやき) |
| 発祥国 | 日本 |
| 地域 | 周縁の商家の食文化(とされる) |
| 種類 | 鉄板焼き風スナック、屋台版と家庭版 |
| 主な材料 | 小麦粉、刻みネギ、豆乳、甘辛だれ、削り粉 |
| 派生料理 | どんどん焼きサンド、豆乳とろみ版、辛味増量版 |
どんどん焼き(どんどんやき)は、をしたのである[1]。
概要[編集]
どんどん焼きは、鉄板で焼かれた生地に甘辛い香味だれを重ね、表面に細かな艶の層を作る料理として知られている。一般に“どんどん”とは、混ぜ・焼き・塗りの工程が連続して進む調理リズムを指すとされる。
現在では屋台での提供が象徴的である一方、家庭では少量の豆乳と刻みネギを足す作り方が広く親しまれている。特に周縁では、雨天の日に鉄板の熱が落ちにくい“薄縁設計”が工夫されたと語られ、地域の方言と結び付けて語られることが多い。
この料理には、由来の異なる複数の系譜があるとされ、結果として「同じ名でも食感が違う」現象が“伝統”として扱われてきた点が特徴である。
語源/名称[編集]
名称の「どんどん」は、関西の労働唄に由来するとする説が有力である。鉄板に生地を落とす際、木べらで生地を押し広げる動作の音が、太鼓のリズムに似ていたことから“どんどんの工程”と呼ばれたのが最初である、とする語りが残っている。
また、別の語源として「段々(だんだん)焼き」が訛ったものだという見解もある。実際には、商店街の試作ノートに「だん→どんの転記は家ごとに異なる」と書かれていたとされるが、史料の所在は確認されていないため、説として扱われている。
呼称の派生として、香味だれを追加し続ける食べ方を「追いどん」、豆乳を多めにして焼き面の水分を保つ作り方を「しっとりどん」と呼ぶ例がある。
歴史(時代別)[編集]
前史(“鉄板香味”以前)[編集]
どんどん焼き以前には、周縁の商家で“塩と香草の乾焼(かんしょう)”が行われていたとされる。そこに旅人の間で流行していた豆乳の焙煎粉が混ぜられ、焼き上がりに甘い香りが立つようになった、という物語が伝わっている。
この転換は、期の船荷帳に「乳粉(ちちこ)を鉄板で扱う試み」として一度だけ記されたことが起点である、という俗説がある。ただし、同じ帳簿の別頁では“鉄板”ではなく“石板”と表記されており、解釈が揺れていると指摘されている。
成立期(江戸末〜明治)[編集]
成立期には、鉄板の規格化が進んだことが背景として語られている。とりわけ、屋台用の鉄板を「縁の高さ3.2cm」「焼面の厚み6.0mm」「受け皿の傾斜14度」に統一した職人がいたとする伝承があり、結果として同じ工程が再現しやすくなった、と説明されることが多い。
さらにの商工系の講習会で、香味だれの配合比を「醤油1:砂糖1:酢0.25:削り粉0.1」とする“薄艶(うすつや)型”が推奨されたとされる。この比率は、講習の参加者が領収証に書き残した数値として語られており、あまりに具体的であるため、かえって“話が盛られた”のではないかと疑う声もある。
この時期には「鉄板を挟み、だれを分離して塗る」二段工程が導入され、外側の香り層と内側の粘り層が分かれるようになった。
戦後〜高度成長期[編集]
戦後には、物資不足の中で豆乳が比較的手に入りやすい食材として扱われ、どんどん焼きは“しのぎの甘味”として定着したとされる。特にの市場周辺では、翌日の仕込みを想定して「生地は前夜に混ぜておき、焼く直前に刻みネギを足す」方式が普及した。
高度成長期には、屋台が高速道路のサービスエリアへ出店するようになり、香味だれが改良された。ここで登場したのが“二度塗り”であり、最初は黒糖寄りの甘み、二度目は柑橘の酸味を足すことで、口当たりの変化を楽しませたとされる。
一方で、工場化された甘辛だれが味を均一化しすぎたとして、家庭の作り手が「追い削り粉(0.3秒でふる)」のような秘伝を作った、という対立も語られている。
現代(多様化の時代)[編集]
現在では、駅前の立ち飲みスタイルに合わせて小型化された“ミニどんどん”や、チーズ風味の“伸び層”を追加するアレンジが登場している。一般に、焼き面の表面温度が高いほど艶が細かく出るため、家庭ではフライパンの予熱時間を測るようになった。
また、環境配慮の流れから、削り粉の代替として乾燥野菜パウダーを使う「やさいどん」が普及したとされる。ただし、この置換は“香味の層が薄くなる”として、古参の食べ手からは好みが分かれる。
さらにSNSでは、だれをかける瞬間の音を“どんどん指数”として評価する遊びが広まり、結果として工程が細分化されている。
種類・分類[編集]
どんどん焼きは、だれの性格と生地の水分保持によって分類されることが多い。代表的には「薄艶(うすつや)型」「粘艶(ねんつや)型」「香波(かんなみ)型」があり、いずれも“食べる順番”を前提に設計されているとされる。
薄艶型は焼き上がり直後の香りを優先するもので、一般にだれは一度塗りで済まされる。粘艶型では二段工程で豆乳のとろみを残し、表面がしっとりと保たれるように調整される。
香波型は、削り粉の量を0.1〜0.2gずつ増やし、香りの立ち上がりを段階的に変化させるのが特徴である。なお、提供場所によっては「屋台正規」「家庭簡便」「夜更かし版(冷めても成立)」に分ける慣行もある。
材料[編集]
材料としては、小麦粉、豆乳、刻みネギ、香味だれ、削り粉が基本とされる。だれには醤油と砂糖に加え、酢と少量の香草抽出液が用いられることが多い。
生地の配合では「粉:豆乳:水=5:4:1」とする簡便説がある一方、地域の記録では「粉:豆乳:水=6:3.5:0.8」とされており、わずかな差が焼き面の食感を変えると説明されている。
また、鉄板に流す直前に泡立て器で20回ほど空気を含ませる“二十回儀式”が語られることがある。実際にこの手数がどの程度再現性を左右するかは検証されていないが、料理人の間では「波が立つ回数」として語り継がれている。
削り粉は鰹系が多いとされるが、現代では昆布乾燥片の微粉を用いる例もあり、結果として旨味の立ち方が変わる。
食べ方[編集]
食べ方は工程設計と密接に結びついている。一般に、最初の一口はだれが固まる前にとり、次は数十秒置いてから食べることで温度差による味の違いを楽しむとされる。
屋台では、紙の受け皿に盛る前に“表面だけ”追加だれを行い、内側の塩気を保つ作法が取られる。家庭では、焼き上がり直後に追い削り粉をして、香りが落ちる前に食べるのが好まれる傾向がある。
変わった食べ方として、ソースをかけずにまずネギの香りだけを味わい、その後にだれを別添で注ぐ「分離どん」がある。分離どんは、栄養学の講義で“順序によって満足度が変わる”と紹介されたことがきっかけになったとする説明があるが、裏付けは十分でないとされる。
なお、箸よりも竹串で“端から波形を崩す”方法が推奨されることもあり、これは崩し方が食感を均一にするためだと説明される。
文化[編集]
どんどん焼きは、地域の祭礼と結び付けて語られることが多い。特に周縁では、夜店(やたい)が立つ時期に合わせて、鉄板を“叩いて音をそろえる”儀式が行われたとする語りが残っている。
また、企業の福利厚生として扱われた例もあり、の食品関連組合で「四半期ごとの試食会」では必ずどんどん焼きが出る、といった伝統が語られている。組合名としてはが挙げられることがあるが、同名の団体が複数存在したため、厳密さには注意が必要であると指摘されている。
一方で、現代には“手数至上主義”への反発もある。二十回儀式や二度塗りなど工程を増やすほど「本物」と見なされやすい空気があるため、忙しい家庭では“妥協どん”が称賛される流れもある。
さらに、だれの甘さが子どもの食欲を刺激しすぎるとして、学校給食の試験導入で議論になったとする話もある。ただし、実施の詳細は資料が乏しく、誤伝の可能性があるとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 中村澄人『鉄板香味の技法史』大阪民俗出版社, 2012.
- ^ 松下礼二『豆乳調理の地域分岐(第3巻)』関西調理研究会, 2006.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton “Street-Grid Tastes in Postwar Osaka,” Journal of Culinary Memory, Vol. 18 No. 2, 2019, pp. 41-63.
- ^ 吉田光正『焼面温度と艶の相関(論考編)』製菓工学社, 2015, pp. 77-88.
- ^ 佐伯いずみ『屋台出店の物流と香味だれ』鉄板物流研究会, 2009.
- ^ 高島健太『だれ配合の比率文化:1:1:0.25仮説』味覚数理叢書, 2018, pp. 12-29.
- ^ 山本和哉『波形を食べる:竹串の食感制御』食体験設計研究所, 2021, pp. 203-211.
- ^ 田中啓三『伝承の史料批判と“二十回儀式”』大阪歴史校閲会, 2010.
- ^ Kobayashi, R. “Fermented-Not-Fermented: A Study of Dondon Yaki Flavor Layers,” Bulletin of Imaginary Gastronomy, Vol. 9, 2020, pp. 1-19.
- ^ 『大阪商工講習会記録(復刻)』大阪府商工局, 1939, 第2編第7号.
外部リンク
- 鉄板香味アーカイブ
- 堺夜店データベース
- 家庭版どんどん焼き手順集
- だれ比率計算サイト
- どんどん指数・解析ラボ