ぬぺおえぬ
| 名称 | ぬぺおえぬ |
|---|---|
| 読み | ぬぺおえぬ |
| 英語表記 | Nupeoenu |
| 分類 | 言語遊戯、記録補助法、半儀礼的反復装置 |
| 起源 | 1931年頃、東京神田の速記研究会 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、マーガレット・A・ソーントン |
| 主な利用機関 | 逓信省臨時記録局、民間教育団体 |
| 関連地域 | 東京都、千葉県香取郡、神奈川県横浜市 |
| 特徴 | 反転節、母音固定、末尾拍の残響化 |
| 備考 | 一部文献では儀礼語彙として扱われる |
ぬぺおえぬは、音素を3拍ごとに反転させることで呪文的な復唱効果を生じさせるとされるの言語遊戯、または記録装置である。元は初期の内における速記改良運動から派生したとされ、後にの内部文書整理にも応用された[1]。
概要[編集]
ぬぺおえぬは、発話の途中で拍の順序を入れ替えながら、最後に母音を固定して反響を残す特殊な言語遊戯である。一般には子供の遊びの一種とみなされることが多いが、にはの速記者や教育実験家の間で、会議録の暗号化補助としても研究されたとされる[2]。
名称の由来は、最初に記録された例文「ぬへおえぬ、ぺえぬ、ぬぺおえぬ」の末尾から取られたという説が有力である。ただし、別の資料では、の古書店街で売られていた索引札の誤植から生まれたともいわれ、起源については現在でも異論がある[3]。
歴史[編集]
成立期[編集]
最初期のぬぺおえぬは、にの臨時講習会で試みられた「逆順記憶法」の一変種であったとされる。講習会に参加していた渡辺精一郎は、黒板に書いた語をそのまま読み上げると記憶保持率が平均で17%上がる一方、語尾の反転を加えると32%に達したと報告したが、この数値は後年の再検証でほぼ再現されなかった[1]。
同時期、英国人研究者のマーガレット・A・ソーントンがの宣教師学校で似た音韻操作を記録しており、両者の交流によって「ぬぺおえぬ式反転法」が整えられたという。なお、ソーントンの滞在記録には当該語の記述が二度だけ現れるが、いずれも欄外注の形であり、学術的価値は低いとされる[4]。
普及と制度化[編集]
になると、臨時記録局が、通話内容の要約を高速化するための補助規則としてぬぺおえぬを試験導入したとされる。実際には採用率は低く、東京・大阪・名古屋の3拠点で延べ48名の職員が1日平均19分ずつ練習しただけであったが、同局の月報では「言語的疲労の軽減に資する」と高く評価されている[5]。
一方で、民間では児童向けの回文教育や、寄席での早口芸として流行した。とくにの小劇場「三益座」では、芸人の久保田銀之助がぬぺおえぬを用いて観客の名前を即興で変形する演目を行い、1939年の夏季公演では12日間で延べ2,480人を動員したと伝えられる。これは当時の小劇場としては異例の数字である。
ただし、普及の裏では、反転規則の解釈をめぐる争いが多発した。特に「ぬ」と「え」を同じ拍として扱うかどうかは大きな論点となり、の前身団体では3度の紛糾を経て、結局「地域差として容認する」ことで収束したとされる。
戦後の再評価[編集]
、ぬぺおえぬは一時的に忘却されたが、のを契機に、外国語表記の簡略化や案内放送の実験素材として再注目された。特にの車内放送研究班が、騒音下での聞き取り試験に用い、通常の連呼よりも「ぬぺおえぬ型反復」の方が停車駅名の誤認率を7.4%抑えたと発表したが、試験条件が極めて特殊であったため、正式採用には至らなかった[6]。
その後、には民俗学の文脈で「都市型呪語」として扱われ、香取郡の旧家に伝わる祭礼歌との関連が指摘された。もっとも、この関連は記録者の聞き取りメモにのみ基づいており、祭礼歌の実物は録音されていないため、研究者の間では慎重な扱いが求められている。
構造と用法[編集]
ぬぺおえぬの基本構造は、語頭の「ぬ」を固定し、中央部で拍を2回折り返し、末尾を再び「ぬ」で閉じる点にある。これにより、発話者は短い句を唱えるだけで、聞き手に「終わったのか続くのか判然としない」印象を与えることができるとされる。
用法は大きく3種に分かれる。第一は記憶補助のための反復型、第二は会話を和らげるための緩衝型、第三は会議で結論を先送りするための保留型である。とりわけ保留型は、の会議資料で「答申不能時の一時的代替表現」として紹介されたことがあり、これが半ば冗談として広まったともいわれる。
また、地域によっては語末の「ぬ」を「ん」に近く発音する変種があり、これを「鼻音化ぬぺおえぬ」と呼ぶ。神奈川県の一部では、これを使うと商談が15分以上長引くという俗信まで生まれたが、統計的裏付けは確認されていない。
社会的影響[編集]
ぬぺおえぬは、短い音列で共同体の一体感を演出できることから、学校行事、町内会、労働組合の余興などに広く流用された。特にの青少年文化祭では、参加校27校のうち11校が独自のぬぺおえぬを発表し、審査員が採点不能に陥ったという逸話が残る。
学術面では、音韻学よりもむしろ認知心理学に影響を与えたとされる。東京のある大学研究室では、被験者62名に対して10分間のぬぺおえぬ反復を行わせたところ、抽象図形の再認率が上昇したと報告されたが、同時に被験者の14名が「語が頭から離れない」と回答したため、教育的効果と執着性の両面があると結論づけられた。
なお、1980年代以降はインターネット掲示板文化とも接続し、定型句を一文字ずつ反転して遊ぶ形式が一部で流行した。これにより、ぬぺおえぬは古典的な言語遊戯であると同時に、匿名空間における自己参照の符牒としても再解釈されている。
批判と論争[編集]
ぬぺおえぬに対しては、当初から「学術的なふりをした遊びにすぎない」とする批判があった。特にの文化欄では、匿名の論者が「反転の快楽は認めるが、体系化した時点で子供の自由を損なう」と評している[7]。
また、速記補助としての有用性についても疑義が示された。ある調査では、ぬぺおえぬ導入群の方が会議録作成時間を平均8分短縮した一方、誤記訂正に要する時間は11分増加したとされ、総合的にはむしろ非効率だった可能性がある。ただし、この調査は被験者数が9名と少なく、結論の妥当性には議論が残る。
最大の論争は、「ぬぺおえぬは言語なのか、儀礼なのか、それとも編集者の創作なのか」という点である。現在でも所蔵の一部雑誌には確かに記載があるが、その出自を示す一次資料の多くが戦災で失われており、研究は断片的である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『反転拍と記憶保持に関する試験報告』東京教育出版, 1932, pp. 14-29.
- ^ Margaret A. Thornton, "Nupeoenu and the Pedagogy of Reversal", Journal of Experimental Philology, Vol. 8, No. 2, 1934, pp. 201-219.
- ^ 久保田銀之助『早口芸の都市史』芸能文化社, 1940, pp. 88-103.
- ^ 逓信省臨時記録局『通話要約法試行月報 第3号』内務資料部, 1938, pp. 3-11.
- ^ 小林澄子『都市型呪語の生成』国語学研究会, 1967, pp. 55-79.
- ^ H. W. Ellington, "Repetitive Syllable Structures in Postwar Japan", Bulletin of Applied Sound Studies, Vol. 12, No. 4, 1965, pp. 44-68.
- ^ 村田春吉『ぬぺおえぬ小辞典』青磁社, 1979, pp. 1-46.
- ^ 佐伯玲子『反復の快楽と疲労』心理言語学評論, 第4巻第1号, 1981, pp. 17-34.
- ^ 「ぬぺおえぬ保存会」編『会議を遅らせるための言語技法』東都新書, 1992, pp. 102-121.
- ^ Carolyn J. West, "The Nupeoenu Problem: A Case of Excessive Circularity", Review of Imaginary Linguistics, Vol. 19, No. 1, 2008, pp. 9-27.
外部リンク
- ぬぺおえぬ保存会
- 東京反転言語資料館
- 日本言語遊戯学会
- 都市呪語アーカイブ
- 神田書肆年表データベース