ぱらいっそぴーちゃん
| 名称 | ぱらいっそぴーちゃん |
|---|---|
| 別名 | P-ちゃん塗り、極薄貝粉膜 |
| 発祥 | 関東地方沿岸部 |
| 成立 | 1968年頃とされる |
| 主な用途 | 食品装飾、玩具表面処理、縁起札の加工 |
| 主要人物 | 渡辺精一郎、ミリアム・K・ソーンダイク |
| 流行期 | 1979年 - 1994年 |
| 代表的施設 | 江戸川虹膜試験場 |
| 派生概念 | ぴーちゃん返し、二層ぱらいっそ |
| 現状 | 一部の郷土資料館で保存技術として扱われる |
ぱらいっそぴーちゃんは、の沿岸部で発達したとされる、微細な貝殻粉を用いて食品や玩具の表面に虹色の膜を形成するための民間技法である[1]。とくに後期から初期にかけて、の手作業工房を中心に広まったとされる[2]。
概要[編集]
ぱらいっそぴーちゃんは、薄く砕いた由来の粉末を、米飴と酢で調合した媒液に懸濁させ、対象物に極薄の光沢膜を作る技法であるとされる。名称はスペイン語風の響きを持つが、実際にはとの境界にあった小工房の符牒から生まれたとされ、学術的には「擬似虹彩被覆法」の俗称として扱われることが多い[1]。
この技法は、もとは漁具の識別用に施された簡易塗布法が転用されたもので、後にの外郭研究会が「食品表面の乾燥遅延に資する可能性がある」と報告したことで、地方の菓子業界に急速に拡散したとされる[2]。なお、当時の報告書には「塗布後18分以内であれば、見た目の満足度が平均14.7%向上する」と記載されているが、算出方法は不明である。
一方で、ぱらいっそぴーちゃんは実用品というより、贈答品や祭礼用品の「見栄え」を演出する装飾文化として受容された。とくにの菓子問屋街やの港湾土産店で流行し、1983年には専用の小型噴霧具が3,200台出荷されたとされる[3]。
歴史[編集]
起源[編集]
起源については諸説あるが、もっとも有力なのは、にの下町で行われた貝殻粉の再利用実験において、誤って酢蜜に混ぜた試料が偶然虹色に反射したという説である。実験を主導した渡辺精一郎は、もともとの嘱託技師であったが、勤務後に近所の駄菓子店で試作品を配り、子どもたちが「ぴーちゃんみたい」と呼んだことが名称の端緒になったとされる[4]。
ただし、別系統の伝承では、戦前から存在した「ぱらいっそ」という雨乞い儀礼の飾り紐に、鳩を模した小札「ぴーちゃん」を付けたことが合成され、現在の呼称になったともいう。この説はとされることが多いが、の古紙商が保管していたとされる帳簿の余白に、確かに「Pちゃん用粉 11匁」と書かれていたという報告がある[5]。
工業化と普及[編集]
、の包装機械メーカー「東浜微光機」は、ぱらいっそぴーちゃんを均一に吹き付けるための手動ポンプ式装置を試作し、これが地方展示会で異例の注目を集めた。装置は1分間に約46回の圧送が可能で、熟練者は一晩で約120個の折詰に処理できたとされる[6]。
普及の決定打となったのは、にで開催された「全国郷土菓子見本市」である。ここでの梅菓子業者が表面処理に採用したところ、来場者アンケートで「高級感がある」が93.1%、「食べるのが惜しい」が88.4%という不自然な結果を残し、以後、祝い菓子の定番技法として模倣が広がったとされる。なお、この頃から業界内では「ちゃん付けで呼ぶと売れる」という俗説が広まり、製法名よりも愛称が独り歩きした。
衰退と再評価[編集]
に入ると、食品衛生基準の厳格化と量産包装の普及により、ぱらいっそぴーちゃんは一度急速に衰退した。とくにの通達以後、貝殻粉の粒径管理に関する帳票が煩雑化し、零細工房の約62%が「手間に対して光沢が過剰」と回答したとされる[7]。
しかし、後半からは、レトロ商材や地域文化の再発見の文脈で再評価が進み、の資料館やの観光協会が「消えた輝きの技術」として実演会を開催した。2018年には、の分科会で、ぴーちゃん返しと呼ばれる仕上げ動作の復元が試みられ、参加者のうち7名が「指先が妙に疲れる」と記録している[8]。
技法[編集]
ぱらいっそぴーちゃんの基本工程は、選別、粉砕、媒液調合、静置、吹付け、乾燥の6段階からなる。もっとも重要なのは「静置」であり、職人は媒液を以上置くと膜が重くなると信じていたが、実際には季節湿度の影響が大きかったとされる。
標準的な粉末配合は、真珠層粉73%、木灰微粒子12%、甘藷澱粉8%、塩化カルシウム1.5%、その他5.5%であると伝えられる。特にの内陸工房では木灰を増やすことで「山の朝靄」のような鈍い輝きを得たが、では真珠層粉を増量し、やたら派手な「祝宴型」が好まれた。
また、吹付けの際に唱える掛け声が数種類存在し、もっとも有名なのは「ぱらいっそ、ぴーちゃん、三回まわして止める」である。これは動作確認の号令であると同時に、子ども向けの合言葉としても機能し、現場では実際より難しそうに見えるための演出だったともいわれる。
社会的影響[編集]
ぱらいっそぴーちゃんの普及は、地方菓子産業だけでなく、贈答文化や婚礼写真の演出にも影響を与えた。とくにのでは、菓子箱の表面にこの技法を施すことが「きちんとした家」の象徴とみなされ、結納返しの相場が平均で1.8倍になったとする調査がある[9]。
一方で、輝きの強さが過剰であるとして、学校給食のデザートに使用された際に「子どもが直視できない」との苦情がに12件寄せられた時期もあった。また、工房で使われる微細粉末が床に落ちると滑りやすく、が「虹色の転倒事故」に関する注意喚起を出したという記録もあるが、これは後年、業界団体が半ば自慢げに再録している。
さらに、地方の土産物店では「ぱらいっそぴーちゃん入り」と書けば売上が約27%伸びるという経験則が共有され、名称そのものが販促用の魔法語のように扱われた。実際には中身の違いがほとんどない商品にも用いられ、消費者保護の観点から問題視されたことがある。
批判と論争[編集]
批判の中心は、第一に原料の曖昧さである。初期の資料では「真珠層」とのみ記されており、実際には貝殻、鉱粉、あるいは菱苦土石の粉末が混在していた可能性がある。また、の試験記録には「食用可と断定するには勇み足」との但し書きがあり、後年の愛好家たちの間では、食べられるかどうかをめぐって小さな宗派争いまで起きた[10]。
第二に、名称の由来が不明瞭である点も議論を呼んだ。の地方紙連載では、編集部が当初「パライソ・ピー・チャン」と表記したところ、元職人の証言で「いや、途中に引っかかる母音がある」と修正された経緯が紹介されている。もっとも、証言者自身が三人の別人であった疑いがあり、以後この話題は半ば伝説として定着した。
なお、ではに「文化財相当の保存対象とみなすべきか」という討議が行われたが、最終的には「再現性はあるが説明性に乏しい」として保留となった。これに対し保存派は、説明できないからこそ現代文化であると主張している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『貝殻微光膜の応用研究』東京都立工業試験場報告 第12巻第3号, 1971, pp. 44-61.
- ^ M. K. Thorndyke, "Low-Pressure Pearl-Lime Emulsions in East Asian Confectionery", Journal of Applied Folk Materials, Vol. 8, No. 2, 1980, pp. 113-129.
- ^ 佐伯由里子『祝儀菓子における表面装飾の変遷』民俗工藝叢書, 青峰書房, 1984.
- ^ 東浜微光機技術部『手動圧送式装飾噴霧器の試作記録』社内資料第4号, 1973, pp. 5-18.
- ^ 松浦健太『関東沿岸部における虹彩粉末の流通網』地方産業史研究 第21巻第1号, 1991, pp. 77-96.
- ^ Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, "On the Stability of Decorative Shell-Lime Suspensions", Bulletin of the Rural Materials Council, Vol. 3, No. 1, 1982, pp. 9-22.
- ^ 小林真理『昭和後期の贈答品包装と視覚的過剰』デザイン社会学年報 第6号, 1998, pp. 201-219.
- ^ 田中拓也『ぴーちゃん返しの復元実験とその疲労度』日本民俗工藝学会誌 第15巻第2号, 2019, pp. 33-49.
- ^ Elizabeth H. Ward, "When Shine Becomes Policy: Regulatory Friction in Small-Scale Ornamentation", Pacific Journal of Consumer Culture, Vol. 14, No. 4, 2008, pp. 301-326.
- ^ 『パライソ・ピーちゃん事件簿』横浜市港湾資料館編, 2001.
外部リンク
- 江戸川虹膜試験場アーカイブ
- 全国ぱらいっそ工芸保存会
- 港町装飾文化資料室
- 東日本贈答菓子研究センター
- ぴーちゃん返し普及委員会