べんあわー
| 分野 | 民俗学・時刻文化・音響慣習 |
|---|---|
| 主な対象 | 鐘、太鼓、篭(かご)打ちなどの鳴りもの |
| 想定される時間帯 | 日没後のいわゆる“暮れ刻”の一部 |
| 日本での中心地域 | 周辺(伝承地) |
| 成立とされる時期 | 17世紀後半(暫定的推定) |
| 関連する制度 | 地域の祭礼運用規程(私文書) |
| 研究組織 | 公益“音暦”調査会(通称:音暦会) |
| 分類 | 時刻慣習(儀礼時間) |
べんあわー(Ben Hour)は、で一部の伝統芸能研究者により「縁起の良い“鳴りもの”の時間帯」として扱われる概念である[1]。語源は諸説あるが、少なくとも期の生活暦に接続する形で語られてきたとされる[2]。
概要[編集]
べんあわーは、音の発せられる種類と、その直後に行う所作(拝礼、授与、開門など)を結びつけて運用される「儀礼時間」であるとされる。特にから数十分の幅で、鐘・太鼓・鈴の“鳴り”が重なるタイミングを指す、と説明されることが多い。
成立の経緯については、元来は祭礼の段取りを安定させるための地域的な工夫だったという説と、音の反響条件(湿度・石材の温度)が縁起に直結すると考えられていたという説が併存している。なお「べん」は梵語由来とする見解もあるが、実務者の間では“弁(べん)=言葉の整合”から来たとするほうが通りがよいとされる。
語源と用法[編集]
「べん」の意味[編集]
べんあわーの「べん」は、仏教語を援用する系譜と、言葉の訓練(発声)を重視する系譜に分けて語られることがある。前者では、の写経所で毎朝の音読が“ちょうどよい息継ぎ”を生む時間として体系化され、それが祭礼へ流用されたと説明される[3]。一方後者では、幕府の文書取扱いに伴い「聞き間違いを減らすための読み上げ所要時間」が標準化され、その後に音響儀礼が“所要時間”として吸収されたとされる[4]。
時刻の切り方[編集]
べんあわーは、時計の分針ではなく「鳴りものの合図」により区切る運用が原型とされた。具体的には、(1)予告の短打(“予鳴”)が鳴る、(2)本鳴りまでに息を整える、(3)本鳴り後に所作を実行する、という三段階で記録されると説明される。記録例として、ある東山の旧家文書では「予鳴から本鳴まで、ちょうど呼吸、正確には秒ではなく“十二拍”」と記されていたとされるが、読み方の揺れも指摘されている[5]。
歴史[編集]
成立:音暦の“裏”で生まれたとされる[編集]
べんあわーの成立は、17世紀後半、の物流が伸び、祭礼の招待状が増加した時期と結びつけて語られることが多い。当時は使者の到着が一定せず、祭礼の開門・供物授与が遅れると、混雑と衛生面の問題が同時に発生したとされる。そこで寺社側は「到着を待つ」のではなく「到着していなくても儀礼が成立する時間」を、音で縛る必要があったと推定されている[6]。
この流れの中で、の音響担当が“反響の出やすい石畳”と“湿度の落ち着く頃合い”を見立て、短打と本鳴りの間隔を固定したのがべんあわーの原型だとする説が有力である。なお、この説を補強するかたちで、当時の「音暦」草稿には「べんあわーは、空が最初に暗く見え始める“前段”である」と書かれていたと引用されるが、原文の所在は明確でないとされる。
発展:音暦会と地方規程の増殖[編集]
明治以降、生活暦や鉄道時刻表の普及により「時計が正しい」という空気が強まった一方、祭礼の現場では音の段取りが失われないよう、むしろべんあわーが再編集されたとされる。1920年代には、公益“音暦”調査会(音暦会)が結成され、全国の寺社から「予鳴・本鳴・所作」の対応表が集められたとされる。
音暦会の報告書『夜刻音法の実地記録』では、べんあわーの運用率が地域により差を生む要因として、(A)鐘楼の高さ(平均尺)、(B)石材の含水率(目視で“指が白く残る”か)、(C)合図係の交代頻度(毎回人で固定)を挙げている[7]。このうち(B)が主観に依存する点が後年問題視されたが、当時の編集者は「主観であっても儀礼は崩れない」ことを根拠に掲載したとされる。
現代:デジタル化で“本鳴り”が空回りした時期[編集]
1990年代、イベント運営会社がサウンドシステムを導入し、べんあわーを録音テンプレートで再現しようとする動きが広がったとされる。ところが、同じ時刻でも反響が異なるため「本鳴り後の所作だけが早すぎる」事象が頻発したと報告され、現場では“音を鳴らすだけではべんあわーにならない”という反省が共有された。
特にのテスト運用では、予鳴から所作開始までを機械的に秒としたところ、参加者が無意識に“ついでの拝礼”を始め、供物の配列が乱れたという。のちに運営側は「秒は“早すぎる”のではなく“短すぎる”」と弁明したが、その理屈が逆に笑い話として残ったという。
社会的影響[編集]
べんあわーは、祭礼だけでなく「仕事の切り替え」にまで影響したとする証言がある。具体的には、寺社の係員がべんあわーの区切りで交代し、作業分担が衝突しないようにしたという。ここから派生して、商店街の一部では閉店前の“短い鐘”を導入することで、値引き作業の開始・終了が整えられたと報告されている[8]。
また、音に由来するため、べんあわーは子どもの学習にも転用されたとされる。ある教育研究会は「授業開始の合図を固定し、呼吸の一致を作る」ことを目的として、予鳴→本鳴→所作という流れを運動に置き換えた。児童への聞き取りでは「本鳴りの後に手を上げると、体が前に進む気がした」と記録され、倫理面の議論はありつつも、当時は“成功例”として広まったとされる[9]。
ただし、地域外に移植する際に、音の反響や合図係の所作の癖まで含めて学習させなければならないため、標準化の難しさが早くから指摘された。この点は「文化を移すのは音ではなく、待ち時間の物語である」と評された。
批判と論争[編集]
べんあわーには疑義も多い。第一に、「音の反響条件」そのものが気象と建築に依存するため、歴史資料に書かれた時間幅をそのまま移植できないという批判がある。第二に、音暦会の集計で用いられた含水率の目視基準が、科学的再現性を欠くとして問題視された。
さらに、2000年代に入ってからは「べんあわーを“ブランド化”した結果、儀礼の負担が参加者に転嫁される」という批判が強まったとされる。たとえば某観光協会では、べんあわー体験を商品化し、入場券の裏面に「予鳴から拍以内に立ち位置へ移動」と印字した。これに対し、遅れた参加者が“縁起が悪い扱い”を受けるのではないかという指摘がなされた[10]。
一方で擁護派は、「べんあわーは時間というより合図であり、合図は共同体の安全装置である」と反論した。なお、擁護側の最終結論が「安全装置なら数値は丸めてよい」というものであったため、数値好きの研究者からは「そこだけ理系の真似をしている」と揶揄されたという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松平綾人『夜刻音法の実地記録』音暦会出版, 1926年.
- ^ 佐伯研次『鐘楼と含水率:べんあわー再現の試み』『民俗音響研究』第12巻第3号, 1979年, pp. 41-63.
- ^ 田中律子『儀礼時間の数値化と地域差』青燈書房, 1988年.
- ^ John K. Marlowe『Ritual Timing and Sound Echoes』University of Kyushu Press, 1994, pp. 112-139.
- ^ 山口清志『東山旧家文書にみる予鳴・本鳴』京都史料館紀要, 2001年, 第7巻第1号, pp. 7-28.
- ^ 伊藤満也『寺社実務の所作学:交代の合図としての鐘』日本作法学会誌, 2007年, Vol. 19, pp. 205-229.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton『The Ecology of Bells: A Comparative Note』Journal of Temporal Folklore, Vol. 4, No. 2, 2010, pp. 33-58.
- ^ 中村真澄『観光商品としての“縁起の時間”』観光社会学年報, 2016年, 第22巻第4号, pp. 88-110.
- ^ 鈴木大門『音の科学は共同体を救うか:反響と社会調整』東京学術出版社, 2019年, pp. 51-77.
- ^ (やけに近い題名)『べんあわー:定義の試作と用語統一』誠光出版社, 1972年.
外部リンク
- 音暦会アーカイブ
- 東山区祭礼所作資料室
- 鐘楼音響データベース(試験版)
- 儀礼時間研究フォーラム
- 生活暦の写本コレクション