ぼくのせんせいはどこですか
| タイトル | ぼくのせんせいはどこですか |
|---|---|
| 画像 | (架空)紛失した名札と黒板の反射 |
| 画像サイズ | 300px |
| caption | 裏表紙に「戻ります」と書かれた学級日誌風パネル |
| ジャンル | 校舎探索型ロールプレイングホラー(鬱ゲー) |
| 対応機種 | ポータブルスクール端末 |
| 開発元 | 市立虚無学園開発局 |
| 発売元 | 学業振興コンソーシアム(通称: 学振コンソ) |
| プロデューサー | 牧村セイジ(まきむら せいじ) |
| シリーズ | 黒板の迷宮叢書(第1作) |
『ぼくのせんせいはどこですか』(英: Where Is My Teacher?、略称: BKBKTD)は、にのから発売された用。『黒板の迷宮叢書(こくばんのめいきゅうそうしょ)』の第1作目であり、同社が展開した鬱屈ホラー系メディアミックスの中核作として知られている[1]。
概要[編集]
『ぼくのせんせいはどこですか』は、の少年である主人公が、行方不明になったを探す校舎探索を題材とする、落ちもの的要素も併せ持つロールプレイングホラーである[1]。
プレイヤーは「いまここにいる」という感覚を強制的に点滅させられながら、教室の机間・廊下の境界・校庭の隅に現れる“不在”を収集し、最終的に「名簿の空欄」を埋めることになるとされる[2]。
本作は発売後、暗い語り口と理不尽な学習プロトコルが評価され、同ジャンルの代名詞として語られるようになった一方で、鬱要素の強さから批判も同時に集めた[3]。なお、ジャンル表示には当初「冒険ゲームブック」に準じた表記が付されており、後年の再販時に“校舎探索型”へ整理された[4]。
ゲーム内容/ゲームシステム[編集]
ゲームシステムの特徴として、行動にはすべて「授業時間(45分換算)」の残量が紐づけられる。校舎探索は自由行動に見えるが、実際には残量が0になると画面が暗転し、主人公の“記憶”が1つずつ失われる仕様とされた[5]。
また、戦闘というより儀式に近い「朗読対話」が導入されている。プレイヤーはモンスターではなく“誤読された文字”と遭遇し、机上のカードを落とすように配置して読みを訂正する。訂正できない場合、敵は増殖ではなく「間違った出席番号」として記録に残り、次回以降の探索ルートが変わると説明された[6]。
アイテム面では、、、、などがある。特に消しゴムは、使用すると物理的に消えるのではなく“音の余白”が削られるため、次の会話ログの語尾が変化するという変わった挙動で知られている[7]。
対戦モードについては、初期版では「教室交換(2人)」と呼ばれる非対称協力が試験的に入っていた。片方が“探す側”で、もう片方が“隠す側”に回り、隠す側は黒板の角度を変えるギミックで探す側の光を誘導する仕組みである。ただし、オンライン対応は謎の不具合が多く、実装は段階的に縮小された[8]。
オフラインモードも存在し、オフラインでは「校舎の匂い」が擬似的にテキスト表示される。これが一部のプレイヤーにとっては没入の補助になったが、別の層には“作為的に気分を落とす装置”として受け止められた[9]。
ストーリー[編集]
物語は、授業開始のチャイムが鳴るはずのに、主人公の担当教師だけが記録から欠落する場面から始まる。校内放送は正常に動作しているにもかかわらず、誰も名指しで答えないことが不気味さの中心として扱われる[10]。
主人公は「どこですか」という問いを、校内の複数の場所に向けて繰り返し投げる。すると、場所ごとに“答えにならない答え”が返ってきて、それらがの空欄を埋める材料になるとされる[11]。
探索が進むと、教師の不在は事故や失踪ではなく、学校の運用規則そのものに組み込まれていたことが示唆される。具体的には、名簿台帳の更新が毎週33年(54週サイクル)と整合していない箇所があり、そこが「先生の居場所を吸う穴」と描写される[12]。
最後に主人公は、体育館の暗がりで“黒板消しの音”を聞く。音に同期して、教室の照明が一度だけ肯定的に点灯し、教師が「ここ」と言う……と言うより、プレイヤーがその一言を“編集してしまう”構造に終わると解説された[13]。この終幕の是非が、後の論争へとつながった。
登場キャラクター/登場人物[編集]
主人公は前述のとおりで、名前は入力式のまま固定されない。公式ガイドでは“入力名が長いほど、校舎の暗さが増す傾向”があるとされ、理由は「文字数=記憶量の換算」と説明された[14]。
仲間には、紙片として現れるがいる。戦闘時は破片状のログとして現れ、プレイヤーが誤読を直すと、破片が“正しい会話の形”へ復元される。後年のファンブックでは「本当は仲間ではなく、救いの代替装置」と論じられた[15]。
敵役としては、まずが挙げられる。これは生物というより、机に貼られた学習プリントの裏から“間違いの言い訳”だけが這い出してくる存在とされる[16]。
さらに体育館にはがあり、出席番号を奪われた紙は、次の週に別の子のものとして再発行されるとされる。なおこの設定は“誰の責任かを曖昧にする”効果があるとして、開発スタッフの一部からは称賛され、一部からは問題視された[17]。
用語・世界観/設定[編集]
本作の世界観は「学校は盤面である」という比喩を、かなり文字通りに扱う。校舎の区画はチェス盤のように区分され、移動は“盤面の点滅”で管理されると説明された[18]。
重要用語としてがある。不在は幽霊のように見えるが、実際にはログや記録の欠けから発生する。プレイヤーが不在を収集すると、逆に現実の校舎の輪郭が薄くなり、最後の選択肢で「教師の居場所」を確定できるという。ここが、ホラーの“見えているのに確かに怖い”構造に寄与しているとされる[19]。
またというシリーズ名は、単なる設定集のようでありながら、実際には“授業の再配布システム”を指す。作中では黒板消しが定期的に回収され、回収された消しゴムがどこかで再配布されていることが示唆される[20]。
世界観の時間は現実の曜日と一致しない。具体的には、月曜日から始まるにもかかわらず、ゲーム内部ではの時点で時計がではなくの刻みへ寄っていくとされ、プレイヤーの体感が揺らぐように設計された[21]。このズレが、レビューで“鬱の温度計”として語られることになった。
開発/制作(制作経緯/スタッフ)[編集]
開発はが主導し、企画の中心には牧村セイジが据えられたとされる。制作経緯として、同局は教育現場の“説明責任の文書化”に着想を得て、やがてそれをゲームの不気味さへ転換する方針を固めたという[22]。
当初案では、主人公は教師を探すのではなく“教師が探される側”だった。しかし試作段階で、プレイヤーが教師を直接追うと怖さが弱まったため、教師の“在り方”を記録から剥奪する方向へ変更されたとされる[23]。
スタッフ構成は、プログラマーに、シナリオに、デザインにが関与したと公開された。特に伊達のデザインは「子ども向けの色設計なのに、白が勝つと眠れなくなる」ことを狙ったとされ、白の輝度が通常のホラーより高い調整が繰り返されたという[24]。
制作上の“細かい数字”として、教室の照明がチラつく周期が平均に設定され、セーブ地点ごとに±のランダムが加えられるとされる。なお、この数値がプレイヤーの負荷に直結しすぎるとして、最終調整では一部の周期が丸められたという指摘がある[25]。
音楽(サウンドトラック)[編集]
サウンドトラックはの委託で、作曲者のが担当したと報じられている。音楽はピアノ主体だが、鍵盤の余韻をわざと“授業チャイム”に近づけることで、安心音と不安音の境界を曖昧にする方針が取られたとされる[26]。
収録曲には『黒板の角が鳴る』『名札のない席』『45分が溶ける日』『消しゴムの反響』などがある。特に『45分が溶ける日』は、ゲーム内の授業時間が減るほど拍子が歪み、最終的に旋律が言葉のように聞こえるとされる[27]。
なお一部のプレイヤーコミュニティでは、オフラインモード時の“匂いテキスト”に合わせて音色がわずかに変わる仕様が噂された。開発側は否定も肯定もせず、「観測すると変わる」ことだけがコメントされ、結果として“視聴者の側にも責任が生じる”という解釈が広まった[28]。
他機種版/移植版[編集]
本作は当初向けに発売された後、翌年に“指導端末互換”としてへ移植されたとされる[29]。
移植版では、オフライン時の“匂いテキスト”が増量され、全表示数が種類に増えたと公式に案内された。ただし、増量の過程で一部の文字列が欠落し、代替として“同音異義の漢字”が割り当てられたことが発覚したという[30]。
さらに、ある地域の自治体向けにへのプリインストールが計画されたが、鬱要素の強さから導入は縮小され、結局配信は“図書館専用モード”に限定されたとされる[31]。この判断が、ゲームの社会的受容を左右したとも指摘されている。
評価(売上)[編集]
売上に関しては、シリーズ全体の累計という形で語られることが多い。『ぼくのせんせいはどこですか』単体でも、初週出荷が記録され、最終的に全世界累計を突破したとされる[32]。
受賞歴としては、で“表現部門”の金賞相当を受賞したと報じられている[33]。一方で、鬱の設計が過度だとして、学習用途の端末へ向けた配慮不足が批判された。
レビューの評価傾向は割れ、ある媒体では「怖さよりも文章の切れ味」と高評価であったが、別の媒体では「子どもの語りが罰として機能する」と厳しく書かれた。これらの論点は、後年のシリーズ作品の方向性を変える議論に発展したとされる[34]。
関連作品[編集]
シリーズ作品としては続編にあたる『ぼくのともだちはどこまでいるのか(2008年)』、スピンオフの『黒板の方角だけが折れる(2009年)』が挙げられる[35]。
メディアミックスとしては、テレビアニメ化された『黒板の迷宮叢書(第0章)』が存在し、原作ゲームの“選択肢編集”構造を会話劇に置き換えたと説明されている[36]。
また、冒険ゲームブックとして『学級日誌の写し(限定版)』が流通した。これはゲーム内アイテムの文言を“読み”として再現する形式を取り、読み進めるほどページが黒くなる演出が話題となった[37]。
関連商品(攻略本/書籍/その他の書籍)[編集]
攻略本としては『ぼくのせんせいはどこですか 完全授業時間ガイド』が発売された。内容はマップよりも「各教室の不在回収手順」を重点化しており、章ごとに“余白の見分け方”が書かれているとされる[38]。
書籍では『名札の空欄学』(著: )があり、ゲームの比喩を教育心理の観点から分析した体裁で書かれた。ただし、研究方法の粗さが指摘されたことで、“研究ごっこ”として笑いの対象にもなったという[39]。
その他には、サウンドトラックの特典CD『授業チャイムの残響(全9曲)』があり、CD裏面に「聞きすぎないでください」とだけ書かれている点が、初期の炎上理由として記録されている[40]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 遠山カナメ『黒板の迷宮叢書:編集される語り』虚無学園出版, 2007.
- ^ 佐伯ユウナ『授業時間45分の設計思想』学振メディア研究所, 2006.
- ^ 東雲レイ『鍵盤とチャイムの境界音響』音楽工房アラベスク, 2007.
- ^ 牧村セイジ『不在ログ処理の実装(第1巻)』市立虚無学園開発局技術報告, Vol.2 No.4, 2006.
- ^ 『ファミ通クロスレビュー』編集部『ぼくのせんせいはどこですか』評価資料, 2006.
- ^ Katherine R. Bloom『Narrative Absence in School Horror RPGs』Journal of Interactive Dread, Vol.11 No.3, pp.41-63, 2008.
- ^ 井上ユリ『児童語りの暴力性と操作性』教育情報学会紀要, 第18巻第2号, pp.102-119, 2009.
- ^ 学業振興コンソーシアム 編『ポータブルスクール端末の互換仕様書』学振コンソ, 第3版, 2007.
- ^ Matsuda, Keisuke『Why “Teacher” Vanishes: UX of Memory Loss』Proceedings of the Symposium on Empathy Engines, pp.1-12, 2010.
- ^ 鶴見ソラ『名札の空欄学』文理潮出版社, 2011.
外部リンク
- 黒板の迷宮叢書 公式ポータル(架空)
- 学振コンソ 旧版アーカイブ(架空)
- 市立虚無学園開発局 技術ログ集(架空)
- ポータブルスクール端末 互換情報センター(架空)
- 不在回収コミュニティ 掲示板(架空)