もしランヴァイル・プルグウィンギル・ゴゲリフウィルンドロブル・ランティシリオゴゴゴホのフランシスコ・デ・ハッソ・イ・アスピルクエタと呼ばれる男がアブドゥル=アルハザードのネクロノミコンを読んだら
| 通称 | もしザビ |
|---|---|
| 形式 | 分岐型読書企画(仮想ルート記述) |
| 中心題材 | の“読了条件” |
| 実施者の称号 | フランシスコ・デ・ハッソ・イ・アスピルクエタ |
| 発表時期 | 1977年(初出写本の報告) |
| 関連組織 | アル=ジャミア写本保存院・臨時民間室(通称:写室) |
| 主要な論争点 | 構成が模倣とされる点 |
| 注目理由 | “分岐回数”の計数ルールが細かい点 |
『もしランヴァイル・プルグウィンギル・ゴゲリフウィルンドロブル・ランティシリオゴゴゴホのフランシスコ・デ・ハッソ・イ・アスピルクエタと呼ばれる男がアブドゥル=アルハザードのネクロノミコンを読んだら』は、通称として知られる“分岐型読書企画”である。実在の図書を雑に下敷きにした二番煎じとして批判されつつも、起源の怪しさと数理的な演出が注目された[1]。
概要[編集]
『もしランヴァイル・プルグウィンギル・ゴゲリフウィルンドロブル・ランティシリオゴゴゴホのフランシスコ・デ・ハッソ・イ・アスピルクエタと呼ばれる男がアブドゥル=アルハザードのネクロノミコンを読んだら』(以下「もしザビ」)は、特定の人物が特定の禁書を読んだ場合に生じる世界線の分岐を、読者の“選択”ではなく“読み回数”で管理する体系として提示された企画である[1]。
その成立は、写本文化の保護を名目とした民間団体が、図書の内容そのものではなく「読了の条件」を制度化しようとしたことに端を発するとされる。具体的には、アル=ジャミア写本保存院の内部手続き文書に「禁書の取り扱いは、章末の沈黙(無音秒数)をもって判定する」との条項が追加されたことが、当時の講談記者たちの間で“分岐型読書”として噂になったとされる[2]。
なお、後年になってこの企画は、実在の図書の“雑な二番煎じ”に見えると批判された。もっとも、筆致は明確に分岐制御へ寄せられており、単なる同形の焼き直しではないと擁護する研究者もいた[3]。
成立と命名[編集]
“もしザビ”と呼ばれた理由[編集]
通称は、主語の長い原題があまりに読みづらかったため、図書館の目録担当が頭の数音を勝手に略したことに起因するとされる[4]。当該担当はのにある民間目録室の派遣員だったという噂が残っているが、記録上の所属は複数回変更されており、当時の行政文書の突合が難しいとされる。
実際、初期の反復記録では「ランヴァイル・プルグウィンギル…」の最初の“ラン”と、「ハッソ・イ・アスピルクエタ」の“ザ”をつなげ、残りを“ビ”で飲み込む略記が用いられた。読者が笑うポイントは、略記があまりに雑で、かえって正式名称より覚えやすい点であった[5]。
一方で、企画の根幹である“分岐回数”は、略記とは無関係に極めて厳密に運用された。たとえば、初期写本に残る手書き付箋では「頁をめくる間隔を0.7秒以上に保て。未満の場合、分岐は“失敗分岐”となる」と記されていたとされる(写本は後に所在不明となった)[6]。
主題人物の職歴と“読了条件”の発明者[編集]
主題人物フランシスコ・デ・ハッソ・イ・アスピルクエタは、長い前置き名とともに提示されるが、その実体は海運記録の翻字官であったとされる。写室(アル=ジャミア写本保存院・臨時民間室)が禁書を扱う際の“翻字事故”が多発したため、彼が「事故を規則化すべき」と主張し、“読了条件”の作法が編み出されたという筋書きが広まった[7]。
この作法では、ネクロノミコンを読む際に必要な沈黙秒数を数式化し、「章末沈黙=(祈り回数×0.618秒)±0.09秒」として近似することが推奨されたとされる。数字の出所は不明であるが、当時の写室が携行していた携帯算盤の目盛り誤差(公称0.09秒)を転用したものだと説明する者もいた[8]。
また、彼の呼称“アスピルクエタ”は、転写ミスから生まれたと推定される。すなわち、原文の“aspir—”の語尾が省略され、“aspilketa”として定着した可能性が指摘されており、この点は後年の編集会議で「むしろ由来の怪しさが売りになる」と評価されたという[9]。
歴史[編集]
初出写本と、1977年の“沈黙測定ブーム”[編集]
『もしザビ』の初出は1977年とされる。写室の保管台帳には「測定用カンテラ付き写本一式、封緘番号B-171、封印理由:読了条件の試験」と記載されていたと報告された[10]。この記載が、のちに“沈黙測定ブーム”を呼んだとされる。
当時の観測では、頁のめくり音や呼吸音が分岐に影響するという指摘が相次ぎ、測定器の貸与が行われた。貸与件数はわずか48件だったが、貸与者の報告は合計で116本に増え、同じルートに見えても結果が異なる“準同型の魔術”としてまとめられた[11]。
ただし、この1977年説には異説がある。別系統の回顧録では、沈黙測定の最初の試験は1963年に行われたとされ、1977年は“目録整備の年”にすぎないとされる[12]。いずれにせよ、分岐制御というアイデアが初めて商品っぽく語られたのは、1980年代の一般書店向け編纂企画の影響が大きかったと推測される。
出版の波及:港区とアル=ジャミアの“往復書簡”[編集]
この企画が広まる契機として、に置かれた民間出版社の編集部が、アル=ジャミア写本保存院へ往復書簡を送ったことが語られている。書簡の宛先は「アル=ジャミア写本保存院 受領課 第4係(写室連携)」とされ、実務名としてはやや重いが当時の行政文体に沿っていたとされる[13]。
往復書簡の中で注目されたのが、禁書の“読了順序”ではなく“読了停止の合図”に焦点が当てられた点である。つまり、「読み切ったかどうか」ではなく「読み手がやめたかどうか」で分岐が成立するとされた。編集者はこれを“現実の意思決定に似せる工夫”と呼び、読者がクリックする代わりに、息を止めることで選択しているような錯覚を作ったと述べたとされる[14]。
しかし、この“息止め設計”は、当初は安全衛生上の懸念から規制され、特に0.7秒未満のめくり間隔は禁止された。結果として、都市部の読書会では「健康的に読める禁書」として宣伝される一方で、地方の暗室読書会では“失敗分岐”が多発し、回収不能な写本断片が出たという逸話が残った[15]。
批評の定着と【もしドラ】比較の成立[編集]
『もしザビ』が“もしドラ的”だと指摘されるようになったのは、書店の棚で同じコーナーに置かれた1990年代後半の整理以降とされる。整理の担当者が「二番煎じでも並べて売れる」と雑に言ったとされ、その一言が引用されて定着したという[16]。
一方で、批評者は内容の構造まで似ていると断じた。具体的には、「特定人物が知識を得て組織を変える」という骨格が共通しており、“現場改善のごっこ遊び”に見えるという。とはいえ擁護者は、もしザビでは組織改善ではなく“分岐統治”が主題であると反論した。両者の対立は、企画の評価基準そのものが異なっていたことに由来するともされる[17]。
また、いわゆる“やけに細かい数字”が批評の材料になった。沈黙秒数の許容誤差が±0.09秒単位で語られることが、真面目さの象徴として働く場合もあったが、過剰な数秘性として嘲笑されることも多かった[18]。この両面性が、嘘ペディア的に言えば“信じさせる嘘”として機能したと考えられている。
分岐の仕組み(読んだら何が起きるか)[編集]
『もしザビ』の核心は、ネクロノミコンを“読み始めた瞬間”ではなく、“読み終えた瞬間の直後”に発生する分岐制御にあると説明される。具体的には、フランシスコ・デ・ハッソ・イ・アスピルクエタが禁書を開き、最初の禁句(とされる箇所)を声に出さずに通過すると、“観測可能な分岐が1つ増える”とされる[19]。
さらに、章末の沈黙秒数が合図として働く。表記上は「0.7秒以上で成功分岐、0.63〜0.69秒で模倣分岐、0.62秒以下で失敗分岐」といった段階が提示されたとされる。模倣分岐では、現実の地名のように“見覚えのあるものが一部だけ入れ替わる”現象が語られ、たとえばの住所表記の“丁目”が「2つだけ右にずれる」といった報告が出た[20]。
最終的に、世界線の帰結は3種類に分類されたとされる。帰結Aは“読了が社会制度に吸収される”ルートで、帰結Bは“写室が増殖し、誰が管理者か分からなくなる”ルートで、帰結Cは“沈黙測定がいつの間にか宗教儀礼化する”ルートである。特に帰結Bでは、写室の職員名簿が月に17回改訂されたとする記録が残り、これは“組織の自己増殖”を示す証拠として引用された[21]。
ただし、これらはあくまで“当事者がそう書いた”という形で伝承されており、数値の根拠は検証されていないとされる。また、読書会の参加者によって誤差の報告がぶれたことから、数字が独り歩きした可能性も指摘されている[22]。
批判と論争[編集]
『もしザビ』は、通称の時点で“雑さ”が前面に出ており、結果として批判も早かったとされる。第一の批判は、の発想を“禁書バージョンに置き換えただけ”ではないかという点である。批評家は、改善テーマや人間関係の運用が似ていると主張し、特に「読者が納得する結論への誘導」が共通すると述べた[23]。
第二の論争は、分岐制御の数値が根拠薄弱だという点である。沈黙秒数の誤差が±0.09秒まで語られる一方で、測定器の型番が提示されないことが問題視された。反論として、写室は「型番は誤差よりも“読み手の癖”が支配的である」と主張したとされるが、出典は確認されていない[24]。
第三に、倫理面の懸念があった。禁書と称される以上、安全衛生や精神面の配慮が求められるにもかかわらず、読書会では“失敗分岐の体験談”が娯楽として消費されたという指摘がある。とはいえ、擁護側はそれが現実の行為を扇動するものではないとし、あくまで物語的装置だと説明した[25]。
このように批判は一定程度根強いが、同時に“なぜこれほど数値が増えるのか”という謎が、逆に読者の関心を維持したことも事実とされる。結果として、嘘ペディア的世界線では“二番煎じが二番煎じで終わらない”例として定番化しつつある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ R. Haddad『禁書読了条件の制度化:写室手続きの再構成』Al-Jamiā Press, 1988.
- ^ Yukie Mori『目録編纂と略記の社会史:通称「もしザビ」の派生』東京学術出版, 1996.
- ^ Fritz K. Weinberger『Silence Seconds and Narrative Branching: A Quantified Myth』Vol.12第3巻, Journal of Pseudo-Philology, 2001, pp. 77-103.
- ^ 田中啓太『沈黙測定ブームの都市伝達』日本図書館政策研究会, 2004.
- ^ M. A. Thornton『Indexing the Unindexed: Conditional Reading in Late 20th Century Libraries』No. 18, International Review of Archival Fictions, 2010, pp. 201-236.
- ^ A. Rahim『アル=ジャミア文書群に見る分岐統治の比喩』第4巻第2号, 写本学年報, 2012, pp. 51-68.
- ^ 石川ユリ子『港区における編集往復書簡の様式(写室連携を中心に)』港湾文化叢書, 2015.
- ^ S. Berenyi『“失敗分岐”の受容と消費:読書会の語り分析』Vol.7第1号, Ethnography of Strange Literatures, 2018, pp. 9-44.
- ^ 編集委員会『分岐型読書企画の実装ガイド(未確認資料)』写本民間室, 1979.
- ^ 佐伯誠司『If Zabiとその由来:二番煎じ論争の整理』—(題名に誤記が多いとされる)文芸統計研究所, 1999.
外部リンク
- 写室文書アーカイブ
- 禁書読了条件図解館
- 沈黙測定コミュニティ
- 通称略記辞典(暫定)
- 分岐型物語の資料室