もちもちのちち
| 分類 | 食文化用合図語(擬音・呼称) |
|---|---|
| 使用領域 | 家庭内・縁日・炊き出し |
| 主要モチーフ | もちもち(食感)/ちち(乳の呼び名) |
| 成立時期(伝承) | 江戸末期とする説 |
| 成立時期(行政起源説) | 1950年代前半とする説 |
| 使用先例(記録) | 青森・岩手の炊き出し帳に見られるとされる |
| 関連技術 | 加熱殺菌・乳化・固化制御 |
| 特徴 | 合図語であるにもかかわらず歌詞化されやすい |
は、東北地方で民俗的に語り継がれてきたとされる、乳の食感をめぐる合図語である。柔らかく粘る感触を「もちもち」と形容する表現に、供物(乳製品)を呼び込む「ちち」が結び付いたものとされる[1]。一方で、その起源は地域の伝承ではなく、戦後の即席食品行政にあると指摘されている[2]。
概要[編集]
は、乳製品の提供タイミングを合図するための短い言い回しとして説明されることが多い。具体的には、湯気の立ち始めた鍋や、容器に入った発酵乳が「泡の張り」を保った瞬間に唱えられるとされる。
その意味づけは、民俗学では「食感の擬態語」だと整理される一方、行政記録を重視する研究者は、言語学的な韻律よりも「供出量と温度管理の標準化」が先にあったと主張している。たとえば、言い回しが毎回ほぼ同じ長さである点は、現場の計量係が読み上げを省略するための“実務用フレーズ”として利用された可能性があるとされる[3]。
また、現代では「もちもちのちち」というフレーズ自体が商品名・イベント名・小規模な音頭として転用されており、元来の合図語から逸脱した運用も観察される。なお、地域によって「もちもち」が先に来るか「ちち」が先に来るかが微妙に異なるとされ、方言差が“楽しさ”として消費されている面もあると指摘される[4]。
語源と語用論[編集]
「もちもち」の役割[編集]
「もちもち」は、単なる食感の形容ではなく、温度と粘度の“合格ライン”を示す符号として機能したとされる。炊き出しの厨房では、鍋底から立ち上る泡が一定の密度で維持されると「もちもち」が付与され、逆に泡が粗くなると不合格とみなされたとされる[5]。このため、言葉が先にあり、実測が後から追認したという語用論が提案されている。
さらに、擬音語が繰り返されることで、発声者の呼吸の長さが安定し、提供担当者が互いのタイミングを合わせやすい点が“作業効率の言語”として評価されたとされる。たとえば青森県の臨時調理班では、合図語の読み上げを30秒以内に収めるよう教育され、30秒を超えた回ではクレームが増えたという“妙に現場的な”記録が残されていると語られている[6]。
「ちち」の正体[編集]
「ちち」は、乳の呼び名であると同時に、提供対象を“誰にでも通じる記号”に圧縮したものとされる。学術的には、乳の古い呼称が複数あったため、その中で子どもが発音しやすいものが残ったのではないかという仮説がある[7]。
ただし一部では、語源は民俗ではなく、系の衛生講習で使われた略称が“音として残った”可能性が指摘されている。講習資料では「乳(ちち)=衛生的供出品」といった見出しが使われたとされるが、現存する写本はわずかで、同時に誤読も混ざっているとされるため、結論には慎重さが必要であるとされる。なお、これを裏づけるエピソードとして、のある集落で「ちち」を“乳以外に言い換えると鍋が止まる”と冗談めかして語られたという口承も紹介されている[8]。
歴史[編集]
民俗伝承の系譜(もっともらしい筋)[編集]
民俗伝承では、は江戸末期に始まった“子どもの囃子”だとされる。寒村の冬祭りで乳粥が振る舞われる際、行列が詰まった瞬間に囃子が切り替わり、「もちもち=適温」「ちち=供物」という暗黙の対応が生まれたのだという説明がなされる。
また、江戸期の酒屋が行商を兼ねていた地域では、荷の到着時刻を告げる合図としても使われたとされる。ただし、この時代の直接資料が乏しいことから、後世の文書に“それっぽい”韻律が追加されている可能性があるとされている[9]。この「あとから整えられた感」が、いかにも百科事典っぽく見えてしまう最大の要点であるとも評される。
その後、明治・大正期には、乳の供給が村の共同作業と結び付けられ、合図語が調理当番の交代に用いられたと説明されることが多い。特に縁日では、音頭のように繰り返されることで、待ち時間の不満を和らげる“場の潤滑油”として働いたとされる[10]。
行政起源説(こちらが主流になりつつある)[編集]
一方で、言語学者のは、が戦後の衛生・供出運用のなかで標準化されたとする説を提示した。根拠として、合図語が“短いのに聞き返されにくい”音韻構造を持ち、現場の人員が十分でない状況ほど採用されやすいことが挙げられている[11]。
具体的には、1951年にの地方事務担当が、ミルク代替品の提供で現場ミスが相次いだとして、調理室向けの合図テンプレートを配布したとされる。このテンプレートは、全国で統一された“読み上げ秒数”を前提としており、合図の後に鍋の温度を○○℃まで上げることが指示されたという。資料の体裁としては「温度管理の口頭標語」と記されているが、写しの端に「もちもち=乳化良好」の書き込みがあると報告されている[12]。
さらに、のある炊き出し帳では、合図語が出た回数と、苦情の件数が相関していたという。記録によれば、合図語が正確に読み上げられた日は苦情が年間で約12%減少し、読み上げが早口になった週では増加したとされる[13]。この“数字の説得力”があるため、民俗伝承よりも行政起源説が採られやすくなっているという評価も見られる。なお、現場では「声が小さいと牛乳が固まる」という迷信的運用が並走したともされ、科学的説明と神秘的説明が同時に存在していた点が当時の雰囲気をよく表しているとされる[14]。
社会に与えた影響(食文化の外へ)[編集]
は、単なるフレーズを超えて、地域の食の“合格基準”を言語化したとされる。たとえば、乳製品が苦手な子どもにも、味の前に触感で期待を作ることができるため、販売・配布の双方で心理的ハードルを下げた可能性があるとされる。
また、学校給食では、調理室から出す合図が“沈黙の時間を埋める”役割も担ったとされる。給食当番は、配膳の待ちで気まずくなる場面が多く、その時に合図語がリズムを作ったという。ここから派生して、後に学級レクの掛け声として取り入れられたという回想もある。
さらに、1970年代以降は、民間の乳化食品メーカーが広告に転用し、の工場見学イベントでは「もちもちのちち選抜」と称する撮影企画まで生まれたとされる。選抜基準は“カメラ前で同じイントネーションを再現できるか”であり、審査員は音響担当のだったという。こうした大げさな運用のせいで、当初の合図語が“かわいい呪文”として独り歩きしたとも分析されている[15]。
実例集:現場での「もちもちのちち」[編集]
は、各地で口承の形を取りながら具体的な運用手順として語られている。たとえば近郊では、乳粥の仕上げ工程で「水分の蒸発量が全体の9.7%に達したら」合図を入れると伝えられている。9.7%という数字は、古い天秤の“最大誤差2.3%を差し引いた推定値”だった可能性があるとされるが、いずれにせよ話が具体的で、聞き手はつい信じてしまう[16]。
またの地域史料館では、炊き出し当日の記録として「鍋が二度泡立ったらちち、三度泡立ったらもちもち」とする当時のメモが展示されていると紹介されている。展示物は現物としては確認が難しいものの、映像の断片だけが残っているため、“あるようでない”余白がむしろ物語性を補強しているとされる[17]。
さらに、縁日では合図語が“音響テスト”として用いられた。屋台の列で最も遠い位置からでも聞き取れるかを確認するために、担当者は同じ声量で3回繰り返すことを課されたという。この際、3回目で聞き返しがなければ成功、聞き返しがあれば「ちちが先行しすぎた」としてやり直したとされる[18]。
批判と論争[編集]
の語源が行政起源であるという説には異論も多い。民俗学側は、合図語の意味が地域の祭祀と結び付いていたことを重視し、戦後の制度が入ったとしても“看板の付け替え”程度だったのではないかと反論している。
一方で行政起源説の側は、音韻の規格化が現場の手順と結び付くこと、さらに合図語の“テンプレート性”が高いことを根拠にしている。特に、同じイントネーションが広域に伝播したという報告があることから、自然発生の民俗よりも、配布された標語の方が説明しやすいとされる[19]。
また、現代の観光コンテンツ化に対しては、「本来の供出の重みを軽んじる」といった批判も見られる。とはいえ、批判者の中にも“言葉としての中毒性”を認めてしまい、結局はイベント参加者が増えるという逆転現象が起きたとされる。さらに一部では、SNSの短尺動画に合わせて「もちもちのちち」がテンポ良く切り刻まれ、意味が薄れることで逆に評価が上がったという皮肉な指摘もある[20]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯光利『口頭標語の音韻設計と現場運用:1950年代の調理室記録』東北大学出版局, 2009.
- ^ Margaret A. Thornton『Lactose Sound Cues in Postwar Japan: A Linguistic Account』Cambridge University Press, 2016.
- ^ 【厚生省】編『栄養供出標語集(改訂試案)』大蔵省印刷局, 1952.
- ^ 斎藤礼子『擬音語が人を動かす—もちもち型のコミュニケーション』日本言語技術学会誌, 第12巻第2号, pp. 41-63, 2011.
- ^ 鈴木岳彦『温度と泡の相関:乳化工程の口承メモ分析』調理科学研究, Vol. 7, No. 1, pp. 10-27, 2018.
- ^ Nikolai Petrov『Mass Distribution of Dairy Substitutes and the Myth of Standard Speech』International Journal of Food Logistics, Vol. 3, Issue 4, pp. 88-109, 2020.
- ^ 渡辺精一郎『民俗表現の“あと付け”—江戸末期伝承の整形過程』明治文化出版社, 1997.
- ^ 東北音響研究所『屋台列の聴取可能性:拡声テスト記録の再解釈』東北音響研究所報, 第5巻第7号, pp. 201-219, 1976.
- ^ 松田凛『炊き出し記録の統計倫理:相関12%の読み替え』統計史叢書, 第1巻第3号, pp. 33-52, 2005.
- ^ Yukiko Tanaka『Queue-Pacing with Food Vocabularies』Journal of Applied Folklore Studies, Vol. 15, No. 2, pp. 77-95, 2012.
外部リンク
- 青森縁日アーカイブ
- 給食リズム研究会サイト
- 東北音響研究所の展示案内
- 乳化標語データベース
- 口承言語の地図プロジェクト