もんまりキス 口紅べっとり
| 分類 | 接触文化・化粧様式 |
|---|---|
| 成立時期 | 1968年頃とされる |
| 発祥地 | 東京都港区の広告制作現場 |
| 主要関係者 | 黒沢ミチル、田宮賢三、資生堂広告研究会 |
| 特徴 | 口紅の厚塗り、圧着時間、余剰彩色の帯状残留 |
| 派生 | もんまり記法、唇痕図譜、紅跡検査 |
| 流行期 | 1970年代前半 |
| 関連産業 | テレビCM、週刊女性誌、舞台メイク |
| 現在の扱い | 一部の化粧史研究で言及される |
もんまりキス 口紅べっとり(もんまりキス くちべんべっとり)は、におけるの際にが相手の唇周辺へ広く移転して残る現象、またはその状態を観賞・記録するための様式である。主に後期の都市文化との交差点から生まれたとされる[1]。
概要[編集]
もんまりキス 口紅べっとりは、接吻の後に唇の外縁までがはみ出し、頬や口角に“もんまり”とした輪郭を残す現象を指す俗称である。単なる化粧崩れではなく、当時の広告業界では「接触の温度と滞留時間を可視化する表現」として扱われた。
この語はの赤坂周辺で流通したメモ書きに由来し、のちにの美容サロン、の劇場関係者、さらにはの輸入化粧品店へと伝播したとされる。なお、語感の「もんまり」は、当初は印刷所の校正係が“膨らんで見える色面”を評した擬態語であったとの説が有力である[2]。
成立史[編集]
広告制作現場での偶発的発見[編集]
、の外部協力スタッフであった黒沢ミチルは、テレビCMの試写において、被写体の唇の色が接吻後に異様に拡がって見えることを発見したという。撮影助手の田宮賢三は、これを「紅がべっとり残るのではなく、面として置かれている」と記録し、翌週の会議で“もんまり”という語を提案した[3]。
当初、現場では失敗テイクとして処理される予定であったが、当時のディレクターが「視覚的にはむしろ品がある」と判断し、意図的に唇の中心へ二層目の塗布を行う方式が採用された。これにより、口紅は耐久性よりも“残り方の美しさ”で評価されるようになった。
週刊誌による一般化[編集]
、週刊女性誌『レディ・クラブ』が「べっとり紅の時代」という特集を組み、の喫茶店で流行していた“長めの別れ際のキス”を紹介したことにより、概念は一気に大衆化した。記事内では、キスの角度を12度、滞留時間を1.8秒、口紅の塗布幅を6.4mmとする“黄金比”が示され、読者からは問い合わせが殺到したという。
ただし、後年の検証では、その数値の一部は編集部の感覚的メモをそのまま図表化したものであり、厳密な実験に基づくものではないことが判明している。もっとも、この“あいまいな定量化”こそが当時の美容文化の特徴であったとする見解もある。
舞台化と都市伝説化[編集]
にはの小劇場で『もんまりキス考』が上演され、舞台美術家の真鍋清子が、客席に向かって薄紅色の布を投げる演出を行った。この公演以後、口紅べっとりは恋愛の証拠というより、都市生活者の“自己演出の痕跡”として扱われるようになった。
一方で、の生活情報番組が「口紅がベッドシーツに付着した場合の対処法」を取り上げた際、出演した化学者が誤って“べっとりは摩擦より圧差で生じる”と説明してしまい、以後、家庭科教育でも半ば迷信的に引用されることとなった。
技法[編集]
もんまりキス 口紅べっとりの技法は、単に濃い色を塗ることではなく、唇の内側だけを高密度に染め、接触時に外周へ“ふくらみ”を生じさせる点に特徴がある。美容誌『月刊ルージュ工房』は、これを「圧着前提の化粧」と呼び、当時の読者に対し、ハート型ブラシ、蝋紙、そして薄手のティッシュを組み合わせる方法を推奨していた[4]。
実践者の間では、札幌の寒冷地サロンで考案された“二度置き方式”が特に有名である。これは一度目に油性成分を沈着させ、二度目に粉体を重ねることで、接触時の移動を「にじみ」ではなく「帯状の滞留」として見せるもので、現場では“口紅がべっとりなのに崩れて見えない”という矛盾した評価を受けた。
なお、1970年代末にはの化粧品問屋街で、キス後の痕跡を均一化するための“もんまり定規”が流通したとされるが、実物が確認された例は少なく、しばしば要出典の対象となっている。
社会的影響[編集]
この現象は恋愛表現にとどまらず、広告、服飾、さらには鉄道広告のデザインにまで影響したとされる。特に車内の中吊り広告では、唇の輪郭をあえて太く描く手法が流行し、1973年時点で女性向け化粧品広告の約31%が“べっとり感”を前面に押し出していたという調査が残る[5]。
また、の百貨店では「紅跡相談室」が期間限定で開設され、購入者が自宅での再現に失敗した際、販売員がティッシュの折り目まで指導した。相談件数は初月だけで2,480件に達したとされ、うち約7割は「相手の頬ではなく襟に移ってしまう」という内容であった。
一方で、保守的な論者からは「親密さを汚損の比喩へと転化している」との批判もあり、の青少年向け資料では一時、接吻の説明図から口紅の描写が削除されたことがある。これが逆に若年層の関心を呼び、結果的に流行を後押ししたとする逆説的な分析も存在する。
批判と論争[編集]
最大の論争は、もんまりキス 口紅べっとりが“美の技法”なのか“汚れの演出”なのかという点であった。化粧品評論家の佐伯玲子は、の著書『紅の境界線』で「べっとりは品位の欠如ではなく、接触の結果を隠さない倫理である」と述べた一方、同書の別章では「ただし白い襟には非常に向かない」とも書いている[6]。
また、の老舗旅館では、客室の座布団に紅跡が残ることから、仲居が“もんまり注意書き”を配布した。この注意書きはのちに、恋愛マナーの文書として教育現場に引用されたが、実際には旅館独自の洗濯コスト対策であったとされる。
1980年代以降は、自然志向の化粧とクリーンキス文化の普及により衰退したが、近年ではレトロ文脈や写真フィルター文化の中で再評価が進んでいる。特にSNS上では、実際には口紅が付着していないのに“べっとり感だけを再現する”加工が流行し、原義からの離反が指摘されている。
各地の受容[編集]
首都圏[編集]
では、もんまりキスは主にナイトクラブと百貨店化粧品売り場を中心に広がった。特にの映画館では、上映後のロビーで口紅跡を鏡で確認する若者が多く、館内に「べっとり確認用ミラー」が設置されたという。
関西圏[編集]
では、言葉遊びとしての面白さが先行し、実態よりも呼称が独り歩きした。道頓堀の喫茶店では、メニューに「もんまりパフェ」が登場し、赤いチェリーソースが唇痕に似ているとして売れたが、関係者は一様に「偶然である」と説明している。
地方都市[編集]
やでは、舞台芸術や百貨店催事を通じて受容された。特に広島の化粧品展示会では、口紅跡を平和祈念の“赤い輪”として読む解釈が現れ、学芸員が困惑した記録が残る。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒沢ミチル『口紅痕跡の都市文化論』美容資料社, 1978.
- ^ 田宮賢三『べっとりの美学——接触と残留の昭和史』港文館, 1981.
- ^ 佐伯玲子『紅の境界線』新潮社, 1976.
- ^ 山岸友里『女性週刊誌における色彩語彙の変遷』日本色彩学会誌 Vol.12, No.3, pp. 44-59, 1984.
- ^ M. R. Thornton, 'Lip Transfer as Performance in Urban Japan', Journal of Cosmetic Anthropology Vol.7, No.2, pp. 88-103, 1992.
- ^ 大森一郎『広告における唇の拡張表現』東京印刷出版, 1975.
- ^ 『月刊ルージュ工房』編集部『もんまり定規の実際』ルージュ工房社, 1979.
- ^ Patricia W. Ellison, 'The Semiotics of Smear: A Study of Social Lipstick', The Cambridge Review of Applied Aesthetics Vol.4, No.1, pp. 12-31, 1999.
- ^ 小山内陽子『口角と襟元——付着の倫理学』文化出版局, 1988.
- ^ “紅跡の統計とその誤差”『生活化粧研究』第6巻第4号, pp. 101-119, 1980.
外部リンク
- 日本紅跡学会アーカイブ
- 昭和化粧文化研究所
- もんまり資料室
- 都市口紅史デジタルコレクション
- べっとり表現保存会