あかみん
| 名称 | あかみん |
|---|---|
| 読み | あかみん |
| 英語表記 | Akamin |
| 分類 | 都市生活技術・色彩慣習 |
| 提唱時期 | 1978年頃 |
| 提唱地 | 東京都台東区浅草周辺 |
| 提唱者 | 赤峰 恒一、三浦 ちとせ |
| 主な用途 | 店頭演出、町内行事、気分調整 |
| 派生概念 | うすみん、しずみん、夜あかみん |
| 公式準拠団体 | 全国あかみん推進協議会 |
あかみんは、後期の都市生活において、赤色の微細な滞留を利用して空間の滞在感を調整するために考案された民間規格である。の下町を中心に普及し、後にの外郭研究に取り込まれたことで知られている[1]。
概要[編集]
あかみんは、赤系統の色彩を一定の間隔で配置し、場の印象を「温かいが煩わしくない」状態に整えるとされた日本の都市習俗である。元来はの商店街で使われた店先の配色法であったが、やがて掲示板、祭礼、喫茶店のメニュー表、さらには役所の案内板にまで応用されるようになった。
一般には装飾技法の一種と理解されているが、初期の研究者はむしろ「赤の出し入れを管理する生活規範」として扱っていた。特にの職人街では、あかみんの濃度を誤ると客足が1割以上落ちるという経験則が語られ、1982年の調査では、浅草橋周辺の32店舗中27店舗が独自のあかみん比率を持っていたとされる[2]。
歴史[編集]
成立[編集]
あかみんの起源は、1977年にの洋品店主・赤峰 恒一が、閉店後のショーウィンドーに赤い布を1枚だけ残しておいたところ、翌日の売上が通常より18%増えたという逸話に求められる。これを聞いた近隣の写真館経営者・三浦 ちとせが、赤を単独で使うのではなく、白・薄桃・茶の3色と組み合わせることで「赤が働きすぎない」効果が出ると整理し、あかみんの原型が形成されたとされる。
この考え方は53年頃、地域雑誌『下町装飾通信』に「赤を置くのではなく、赤を休ませる」という見出しで紹介され、半ば冗談として広まった。しかし翌年にはの金物店、の菓子舗、の古書店に飛び火し、配色メモを交換する「赤帳会」が発足した。
制度化[編集]
1984年、の嘱託研究員であった渡辺 精一郎は、あかみんを「地域共同体における視覚的過密の調停」と定義し、全12ページの報告書を提出した。この報告書では、赤を基調とする意匠を3段階に分け、濃赤・中赤・薄赤の比率を7:2:1にすると最も落ち着きが得られるとされている[3]。
なお、この比率は後年、町内会の掲示板や夏祭りの提灯配置にも転用されたが、どの現場でも必ず守られたわけではない。特にの一部商店街では、縁日の夜だけ比率を9:0:1へ極端化する「熱あかみん」が流行し、近隣住民から「見た瞬間に焼きそばが食べたくなる」と苦情が出たという。
普及と変質[編集]
1990年代に入ると、あかみんは本来の商店街文化から離れ、企業の販促会議や学校行事にも持ち込まれた。とくにの印刷会社が採用した「社内通知に微量の朱を差すと会議時間が平均7分短縮する」という社内ルールは有名で、これを機に「業務効率の色彩学」として再解釈されるようになった。
一方で、赤を置きすぎると逆に疲労感が増すとして、2001年頃から反対派の「淡化派」が現れた。彼らはあかみんの代替として灰桜色を多用し、これを「うすみん」と呼んだが、元のあかみん愛好家からは「気合いが足りない」と批判された。こうして、あかみんは実用技術であると同時に、町の美意識をめぐる小さな思想闘争の舞台にもなった。
方法論[編集]
あかみんの基本は、赤を面積ではなく「滞留時間」で扱う点にある。すなわち、視界に入ってから2.8秒以内に次の色へ逃がす設計が理想とされ、これを守ると「赤の主張が強いのに、うるさくない」印象になるという。
実践者は通常、赤い物体を3点以上、だが7点未満に抑える。たとえば、暖簾に朱、看板に臙脂、箸立てに鉄赤を置き、床面には無彩色を広く取る構成が典型である。なお、が1996年に配布した手引書では、「赤は声量でいうと中音域に置け」と説明されており、色彩理論というより楽隊の編成表に近い書きぶりであった[4]。
社会的影響[編集]
あかみんは、地方商店街の活性化運動に意外な影響を与えた。1998年から2004年にかけて、、、の一部商店街で独自のあかみん指導員が置かれ、赤提灯の吊り方や売り出し札の余白まで規定された。その結果、祭りの来場者数が増えた地区もあったが、赤い装飾が多すぎて「どこを見ても同じに見える」という副作用も報告された。
また、教育現場では、児童の集中を促すとして学級掲示に薄い赤を差す「学あかみん」が試みられた。しかし、あるの小学校では、赤の使用量が増えた3年2組だけ給食の完食率が上がった一方、学級旗の存在感が強すぎて運動会で目立ちすぎたため、翌年から採用が見送られたとされる[5]。
批判と論争[編集]
あかみんに対しては、初期から「経験則に頼りすぎている」「赤を神秘化しすぎである」との批判があった。特にの美学研究グループは、1989年の小論で、あかみんの効果は色彩そのものよりも、参加者が「何か整っているはずだ」と信じる共同幻想に由来すると指摘している[6]。
これに対し推進派は、共同幻想であっても街が落ち着くなら実益があると反論した。また、地方の一部では「あかみん条例」なるものを掲げる商店会も現れたが、実際には会計書類の表紙に赤を1本入れる程度の内規であったため、厳密な法制度ではない。なお、1990年代末には偽物の「超あかみん認定証」が出回り、印刷の赤が妙に紫がかっていたことから真贋が見分けられたという。
評価[編集]
学術的には、あかみんは民俗学、デザイン史、地域経済学の境界に位置づけられている。実証性は低いが、商店街の記憶や人間関係の濃度を可視化する装置として再評価する動きがある。
現在では、古風な習俗として扱われる一方、カフェ、地域図書館、イベント会場などで静かな復興が見られる。とりわけの一部ギャラリーでは、案内サインにだけ微量の朱を差す「茶あかみん」が定着しており、来館者からは「落ち着くのに記憶に残る」と評されることが多い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『都市赤彩の民俗学』東都出版, 1985, pp. 14-39.
- ^ 三浦ちとせ『ショーウィンドーと滞留色』浅草文化研究会, 1982, pp. 7-22.
- ^ 東京都生活文化研究所『昭和五十九年度 地域視覚環境調整報告書』東京都資料館, 1984.
- ^ 赤峰 恒一『赤は休ませる: 商店街配色論ノート』下町出版, 1979.
- ^ 小林由紀子『祭礼提灯のあかみん的配置』民芸社, 1991, pp. 51-74.
- ^ Margaret A. Thornton, 'Residual Redness in Urban Retail Environments', Journal of Civic Aesthetics, Vol. 12, No. 3, 1998, pp. 201-219.
- ^ Hiroshi Kanzaki, 'On the Measured Pause of Scarlet', East Asian Color Studies, Vol. 5, Issue 2, 2002, pp. 88-103.
- ^ 全国あかみん推進協議会『あかみん実践手引 1996年版』協議会内部刊, 1996.
- ^ 田中さくら『うすみんの思想とその周縁』色彩と街並み, 第8巻第1号, 2005, pp. 33-47.
- ^ 清水大介『赤色の声量に関する覚え書き』日本生活意匠学会誌, 第21巻第4号, 2011, pp. 109-126.
外部リンク
- 全国あかみん推進協議会
- 下町生活色彩アーカイブ
- 都市装飾民俗資料室
- 赤帳会デジタル目録
- 浅草配色史研究会