やまびこ農機
| 名称 | やまびこ農機 |
|---|---|
| 読み | やまびこのうき |
| 分類 | 農業機械・山岳農法用装置 |
| 成立 | 1931年ごろ |
| 発祥地 | 長野県諏訪盆地一帯 |
| 主な用途 | 播種、霜避け、畝鳴らし、反響通知 |
| 代表人物 | 黒岩定吉、松田ハル、Dr. Henry S. Ainsworth |
| 関連組織 | 諏訪農具改良同盟、山岳農工試験所 |
やまびこ農機(やまびこのうき)は、の山間部で発達したとされるの総称である。もとは初期に、の霜害対策から生まれたとされ、のちに反響音を利用した独特の作業補助機構で知られるようになった[1]。
概要[編集]
やまびこ農機は、山地農業において機械の作動音を反響させることで、作業位置の確認や家畜の誘導を行うことを目的とした装置群である。一般にはやの地方改良版として扱われることが多いが、初期の製品はむしろに近い通信装置として使われていた。
この分野が独自に発達した背景には、南麓での急峻な地形と、冬季の視界不良があったとされる。また、機械の排気音が谷間で遅れて返る現象を「作業の合図」とみなす民間の知恵が制度化されたことが、やまびこ農機の成立に深く関わったとされる[2]。
歴史[編集]
誕生期[編集]
通説では、やまびこ農機の原型は、の旧製糸工場跡を改装したで試作された「鳴子式畝立て器」に求められる。試験主任であった黒岩定吉は、谷を挟んだ向かい側の畑に合図を送る必要から、エンジンの回転数に応じて金属板が共鳴する構造を考案したとされる。
この装置は、当初は霜よけのための夜間巡回に用いられたが、翌年の7年豪雪で、作業者が霧の中でも音だけで機材の位置を把握できたことから評判を呼んだ。なお、当時の資料には「山彦が畑を耕した」とする児童向け新聞記事も残るが、実際には試験場の広報係が書いたものとみられている[3]。
普及と制度化[編集]
には、の外郭団体とされた「農具反響標準化委員会」によって、やまびこ農機の出力音を3区分に分ける規格案が作成された。これにより、S型は畑地用、R型は段々畑用、K型は養蚕地帯用として流通し、、、の山間部にまで広がったとされる。
一方で、機械音が大きすぎるため「山の神を怒らせる」として反対運動も起こった。とくにの一部集落では、夜明け前の試運転が禁じられ、代わりに木製ホーンを装着した静音型が考案された。これは後に「やまびこ農機・緩音系列」と呼ばれ、現在でも民俗博物館で展示されることがある[要出典]。
輸出期と国際化[編集]
になると、やまびこ農機は西部の乾燥地農業に適応したモデルを開発し、の果樹園やの牧草地で限定採用された。現地では反響音を「エコー・ガイダンス」と呼び、遠隔の作業員に行動を知らせる機能が注目されたという。
この時期、ロンドンの技術雑誌『Agricultural Resonance Review』に掲載されたDr. Henry S. Ainsworthの論考が転機になったとされる。Ainsworthは、やまびこ農機を「機械工学と山岳民俗学の交差点」と評し、さらに作業者が反響を聞き分ける能力を「耳の熟練度」と呼んだ。ただし、同論文の採集地としてが挙げられている点には、後年疑義が出ている。
製品群[編集]
鳴子式シリーズ[編集]
鳴子式シリーズは、初期のやまびこ農機を代表する家庭向け小型機である。鋳鉄製のフレームに木製の共鳴筒を備え、作業開始時に「ポン」という音が谷に返るよう調律されていたという。
特に有名なのは1942年型の「NK-42」で、畝の幅がになるたび警告音が鳴る設計であった。試験では便利とされたが、近隣の寺院で鐘の時刻と混同される事故が相次いだため、1944年には鐘音と区別するための微細な倍音調整が追加された。
山彦トラクター[編集]
山彦トラクターは、に登場した中型機で、排気管を上向きに湾曲させて音を斜面へ反射させるのが特徴である。これにより、運転者はエンジン音の跳ね返りで傾斜角を推定できたとされる。
ただし、山彦トラクターの最上位機「YT-9」は、あまりに反響が強いため、隣接するの旅館街で「早朝の山鳴り」と誤認され、宿泊客から苦情が寄せられた。これを受けてメーカーは排気音に微量の木炭粉を混ぜ、音色を柔らかくしたという。
畦声播種機[編集]
畦声播種機は、播種と同時に小刻みな金属音を出し、鳥を追い払うことを目的とした派生機である。昭和後期の農業雑誌では「音で耕すというより、音で土地に覚えさせる」と表現され、半ば哲学的な装置として扱われた。
の一部では、播種のリズムが民謡の拍子に合うとして、地域の青年団が実演会を開いた記録がある。また、作業員が拍子に乗りすぎて播種量が15%増えた例があり、これはやまびこ農機史上もっとも有名な過播種事件とされる。
静音回収機[編集]
に導入された静音回収機は、騒音規制への対応として開発された機種である。逆説的に、完全な静音は山間部では使いにくく、そこで「返事だけが聞こえる程度の音量」に調整された。
この機種は、の学校給食用野菜の収穫に広く用いられたとされるが、実際には試験導入が3回行われただけだという説もある。それでも、やまびこ農機が「うるさい機械」から「聞こえないと不安な機械」へ変化した象徴として語られることが多い。
社会的影響[編集]
やまびこ農機は、単なる農具の改良にとどまらず、山間集落における合図文化の再編を促したとされる。とくにとの境界地域では、朝霧の中でも機械音の反響で隣家との連絡ができるため、電話線が未整備でも作業計画が共有できたという。
また、教育現場への影響も大きく、1950年代の農業高校では「反響読解」という独自科目が存在したとされる。生徒は谷に向けて発した金属音の戻り方から風向や地表の湿り気を読む訓練を受けた。なお、この科目はの正式認可を受けていないとする記録もあるが、少なくとも地域教材には掲載されていたらしい[4]。
批判と論争[編集]
やまびこ農機に対する批判で最も大きかったのは、機械の「音を文化と呼んでごまかしている」というものである。とくに都市部の農政担当者は、単にうるさいだけではないかと疑問を呈し、のでは、やまびこ農機が学術分類上は通信装置なのか農具なのかで長時間討議が行われた。
さらに、創業者とされる黒岩定吉の経歴にも不明点が多い。彼はの出身とされる一方、同時期の校友名簿には同姓同名が2人いることが後年判明した。これについて研究者の間では、黒岩定吉が個人名ではなく、試験所の技術担当者を束ねた共同署名だった可能性も指摘されている[5]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒岩定吉『鳴子式農具の研究』山岳農工試験所報告, 1934, pp. 11-29.
- ^ 松田ハル『谷音と作業合図の民俗誌』信州地方史研究会, 1941, pp. 88-104.
- ^ Ainsworth, Henry S. "Echo Guidance in Alpine Farming" Agricultural Resonance Review, Vol. 12, No. 3, 1961, pp. 201-219.
- ^ 農具反響標準化委員会『反響出力区分案 第2版』農林省資料室, 1948, pp. 3-17.
- ^ 中村喜八『山彦機関の実地運用』北信農機出版, 1959, pp. 55-73.
- ^ 佐伯澄子『農村騒音と共同体規範』東京社会学会紀要, Vol. 8, 第2号, 1967, pp. 140-158.
- ^ Wellington, Peter A. "Mechanical Echoes and the Rural Line" Journal of Applied Agronomy, Vol. 4, No. 1, 1972, pp. 9-26.
- ^ 小林正人『静音回収機の設計と誤作動』長野工業技報, 第21巻第4号, 1978, pp. 77-91.
- ^ 田代文子『山間集落における反響読解教育』農村教育研究, 第5巻第1号, 1956, pp. 1-18.
- ^ A. M. Thornton『The Echo Tractor and Its Silence Problem』Rural Mechanization Quarterly, Vol. 6, No. 4, 1965, pp. 233-241.
外部リンク
- やまびこ農機資料館
- 信州農具アーカイブ
- 山岳機械工学研究会
- 諏訪盆地産業史デジタルライブラリ
- 農村反響文化保存協会