るぬたのをみ
| 名称 | るぬたのをみ |
|---|---|
| 別名 | 露縫田網見、ルヌタの御見 |
| 成立 | 1820年代頃と推定 |
| 発祥地 | 出羽国庄内沿岸 |
| 用途 | 漁具乾燥、装飾補正、儀礼的視認調整 |
| 主な伝承者 | 阿部与左衛門、寒河江セツ |
| 関連機関 | 庄内民俗工芸保存会、旧酒田測候支局 |
| 影響 | 地方工芸、舞台美術、視覚詐術研究 |
るぬたのをみは、後期に成立したとされる、反響と微小な振動の位相差を用いて物体の「見え方」を調整するの民間技法である。の庄内地方で漁具の乾燥と祭礼装飾の双方に用いられたことから知られる[1]。
概要[編集]
るぬたのをみは、対象物を直接加工するのではなく、周囲の配置、湿度、音の返りを操作して、見る者に「整って見える」状態を作る技法である。特にの古い問屋街では、網干し場の木組みがわずかに傾くことで布の皺が消えて見える現象が経験的に利用されたとされる。
この技法は年間に庄内の船大工と神職が共有した「目の癖」の知識から発展したとする説が有力である。ただし、頃の記録とされる『浜辺見立覚書』は筆跡の一部が同一人物による追記らしく、成立過程にはなお議論がある[2]。
名称と語源[編集]
「るぬた」の部分[編集]
「るぬた」は、庄内方言における「縫う」「濡れる」「寝る」などの語感が混ざった擬音的表現とみなされている。古い聞き書きでは、網が潮風で湿り、糸目が締まり、結果として遠目には新品のように見える状態を「るぬた」と呼んだという[3]。
「のをみ」の部分[編集]
「のをみ」は「野を見る」「形をのぞむ」の転訛とされるが、民俗学者のは、もとは祭礼での幟を掲げる際に、見る角度を計算する行為を指したのではないかと論じた。なお、同氏の草稿には「のをみは眼前にあらず、余白にあり」との一文があり、後世の研究者を困惑させている[4]。
歴史[編集]
庄内沿岸での成立[編集]
伝承によれば、、寒波で網の乾燥が遅れた際、漁師のが、網をの倉庫裏に張り、三つの樽と一枚の麻布で風の通り道を固定したところ、網目が「ほとんど見えぬほど揃って見えた」という。これがるぬたのをみの原型であるとされる。以後、網の修繕ではなく「見えの修繕」が重視されるようになった。
寺社への流入[編集]
期にはの寺社装飾に転用され、特に灯籠の和紙が反響板の位置で白さを増すことが知られるようになった。ある年のでは、三十六基の提灯のうち七基だけが妙に明るく見え、見物人が「選ばれた灯」と騒いだため、寺側が急遽、残り二十九基にも同じ配置を施したという逸話が残る。
明治期の再発見[編集]
初期、庁の臨時勧業係であったが、農産物の展示でるぬたのをみを応用し、籠盛りのリンゴを実際より均整に見せたとされる。これにより各地の物産会で流用が広がったが、展示品が「よく見えすぎる」ことから、後に公平性の問題が指摘された[5]。
技法[編集]
るぬたのをみは、第一に対象物の下方にわずかな水分を置き、第二に背後の木枠を単位でずらし、第三に左側から鈴を鳴らして視線の滞留を誘導する三段構えを基本とする。職人はこれを「見えの三拍子」と呼んだとされる。
もっとも重要なのは、対象物そのものより、周囲の「余り」を管理する点である。たとえば漁網の場合、繕うべき穴が十七あるとき、実際に塞ぐのは十二箇所に留め、残る五箇所は影と湿気で埋める。これにより、見る者には完全修復に近い印象が生じると説明される。
一方で、熟練者ほど失敗も派手であり、末期の記録には、るぬたのをみを施した網が夕日を受けて極端に金色へ反射し、漁協が「神事用にしか見えない」として使用を禁じた事例がある。
社会的影響[編集]
この技法は、漁村の実用知としては小規模であったが、一帯の展示文化、舞台美術、さらには商店街の飾り付けにまで浸透した。昭和初期には、百貨店の正月飾りにおいて「るぬた風配置」が流行し、売場面積の不足を装飾で埋める手法として重宝された。
また、視覚的な「整って見える」状態を人為的に作る性質から、戦後の看板業者や写真館にも受け入れられた。写真館では、家族写真の背景に細い木片を差し込んで奥行きを補正する工夫が行われ、これを宣伝文句として「庄内式るぬた補正」と称したという[6]。
ただし、過度に利用すると、実物と印象の差が大きくなり、購入者が「店先では立派に見えた」と苦情を述べる原因にもなった。これがの庄内商工会議所による「見え方規制覚書」につながったとされる。
批判と論争[編集]
るぬたのをみをめぐっては、そもそも一つの固有技法なのか、複数の地方的慣行を後世にまとめた総称なのかで意見が分かれる。民俗工学者のは「技法ではなく、庄内商人の誇張表現に近い」と主張したが、保存会側は「実際に木枠を七寸動かす手順が口伝されている」と反論した。
また、の倉庫から見つかったとされる温湿度記録の一部に、るぬたのをみに有利な数値だけが並んでいることから、後年の改竄を疑う声もある。もっとも、記録簿の余白には「晴れの日は見えが勝つ」とだけ書かれており、意図はなお不明である[7]。
現代の継承[編集]
現在、るぬたのをみはによって、年1回の公開実演が行われている。実演では網、提灯、菓子箱、さらには折り畳み椅子までが用意され、観客は「何が変わったのか分からないが、確かに良くなった気がする」と感想を述べるという。
一部の地域では、地域振興の一環として看板や案内板にも応用されているが、の調査では、観光客の約18%が「写真では理解できるが現地だと分からない」と回答した。研究班はこれを、技法が成功している証拠として扱っている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 阿部与左衛門『浜辺見立覚書』庄内書房, 1841年.
- ^ 渡辺精一郎『庄内方言と視覚技法の交差』民俗学叢書, Vol.12, No.3, pp.41-68, 1938年.
- ^ 寒河江セツ『勧業展覧会における配置美学』山形県立出版部, 1894年.
- ^ 高橋俊胤『るぬたのをみ再考』東北視覚文化研究, 第7巻第2号, pp.12-29, 1961年.
- ^ Margaret A. Thornton, “Perceptual Slack in Coastal Craft Systems,” Journal of Applied Folklore, Vol. 8, No. 1, pp. 77-94, 1972.
- ^ 酒田商工会議所編『見え方規制覚書』非売品資料集, 1958年.
- ^ 庄内民俗工芸保存会『るぬたのをみ実演記録 2014-2023』会報, 第9号, pp.3-19, 2024年.
- ^ 鈴木源三郎『湿度と見えの地方史』日本工藝史研究, 第21巻第4号, pp.201-233, 1988年.
- ^ Department of Visual Customs, The Coastal Illusion of Noto and Shonai, Cambridge Shore Press, 2001.
- ^ 白石みさを『余白に宿る技法――庄内の装飾と補正』地方文化評論, 第15巻第1号, pp.5-24, 1999年.
外部リンク
- 庄内民俗工芸保存会
- 東北民俗視覚資料アーカイブ
- 酒田地方文化研究所
- 見え方技法総覧
- 旧庄内工芸博物誌デジタル室