ろいやるぶるー(撮り鉄)
| 氏名 | ろいやるぶるー |
|---|---|
| ふりがな | ろいやるぶるー |
| 生年月日 | |
| 出生地 | |
| 没年月日 | |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 撮影鉄道愛好家、夜景撮影編集者 |
| 活動期間 | - |
| 主な業績 | 「青被写体規格」に基づく夜行列車の系統撮影 |
| 受賞歴 | 鉄道写真文化賞、夜景編集功労章 |
ろいやるぶるー(よみ、 - )は、の撮影鉄道愛好家である。『夜行灯光図鑑』の編纂者として広く知られる[1]。
概要[編集]
ろいやるぶるー(撮り鉄)は、夜行列車の車窓光を「色温度の記憶」として扱う撮影法を体系化した人物である。彼の代名詞である「ろいやるぶるー」とは、単なる好みではなく、撮影条件を固定化するための社内標準(のちに民間へ波及したとされる)を指していたと説明される[1]。
1920年代の終わり、東京の路面工事が続くなかで、台東区の小さな印刷所に出入りしていた彼は、見習いの合間に線路脇の闇を観察していたとされる。そこから、列車が通過する瞬間に生じる青みを「規格化できる現象」として記録し、撮影鉄道の文脈を“趣味の蒐集”から“編集された実験”へと寄せたことが、最も特徴的である。
なお、彼の業績には一部、当時の鉄道会社の検閲・協議の影響があったとする指摘も存在する。もっとも、彼が残した手帳には「色は隠せても、速度は隠せない」との走り書きがあるとされ、後世の研究者の解釈を促してきたとされる[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
ろいやるぶるーは、に生まれた。父はで金属薄板を加工する職人で、母は帳簿をつける係であったと伝えられる。彼は幼いころから、紙の白さの違いに敏感だったとされ、3歳の時点で「白は1種類ではない」と口にしたという逸話が残る。
彼の転機は、近所の夜間電力供給が強化された前後にさかのぼる。手帳の写しでは、当時の街灯の色差が「測定可能な誤差」として書き留められており、のちに撮影法へ直結したと推測されている。実際、彼は8歳のとき、家の廊下で懐中電灯を30秒照射し、壁の残像が残る時間を「17回中、12回青が先に落ちた」と記録したとされる[3]。
青年期[編集]
青年期、彼は印刷所の見習いとして写真付き雑誌の組版に携わった。そこで彼は、暗室作業を“現像”ではなく“編集の工程”として理解したと伝えられる。彼はごろ、東京の高架下で夜行列車を観察し、車窓の発光が「線路の曲率」と連動して増減することを繰り返し確かめたとされる。
この頃、彼は同業の現像師である「柘植(つげ)光学師匠」なる人物に師事したとされる。柘植は実在の人物名としてではなく、“師匠の系統名”として伝承されており、記録の正確性は揺らぐと指摘されている。それでも彼が教わったとされるのは、フィルム感度を上げるより先に、露光のタイミングを固定することだったと説明される。
さらに彼は、夜行列車の撮影を「礼節の撮影」と位置づけ、歩道での観察を禁じる当時の張り紙をまとめた“規律メモ”を自作したとされる。メモには、線路からの距離を「6尺(約1.82m)を基準」とする記述が見えるとされ、のちの撮影標準へ繋がったという[4]。
活動期[編集]
活動期に入ると、彼はから列車を路線単位ではなく“光の系列”として撮影し始めたとされる。彼の手法は「青被写体規格」と呼ばれ、撮影条件を固定したうえで、車体塗装色・窓の反射・架線の影の組み合わせを記録するものであった。
特に有名なのが、夜行列車の走行速度を体感でなく“読み上げ”に変える試みである。彼は駅員のアナウンス時刻を、懐中時計の針に重ねて録音し、そのずれを単位で補正したとされる。結果として、写真の青みが揺れる幅が「許容範囲(番号で管理)」に収束したと記されており、この数字の整合性が後世の研究者を悩ませたとされる[5]。
また、彼は複数の鉄道事業者が絡む撮影会を主催し、系と系の“光の文法”を比較した冊子を配布した。冊子名は『夜行灯光図鑑』とされ、表紙の色は群青系の印刷で統一されたという[6]。
晩年と死去[編集]
晩年には、撮影そのものよりも編集のルールを後進へ残すことに重心が移った。彼は、弟子たちの間で「青は再現される」という言い伝えを否定し、「青は条件で作られる」と言い換えさせたとされる。これは、色への執着を“理屈へ転化する”方針として評価された。
に活動を縮小すると、彼は台東区の自宅で、撮影ログを指数化する作業に没頭したと伝えられる。彼の表では、撮影回数を路線ではなく“風の向き(12区分)”や“湿度(3段階)”で割り、最適露光の当たりを探していたとされる。
彼は、老衰とされるが、死亡直前のメモには「次は、夜の青を“少しだけ濃く”する」とあり、最後まで撮影への執着が残っていたとされる[7]。同時に、検閲で削られたとされる図版の復元に取り組んでいた形跡もあると報告されている。
人物[編集]
ろいやるぶるーは、外向きには温厚で、誰に対しても敬語を崩さない人物であったと描写される。しかし、撮影に関しては妥協しない“編集者気質”が強かったともされる。
逸話として、彼は撮影会の前日に「明日、青が足りなければ列車のせいではなくレンズのせい」と全員に宣言したとされる。驚くべきことに、その宣言は参加者の人数分だけ紙片に印字され、誤字が箇所だけ残っていたという報告がある。彼自身は誤字を直さず、「直すと、誤りが規格から外れる」と言ったとされ、後世の研究では“数字への宗教性”として論じられた[8]。
性格の面では、雑談が長い一方で、列車名を呼ぶときだけ声が落ち着いたと伝えられる。呼び方は路線名ではなく、光の到達順として扱ったとされる。例えば「この先は赤が先に来るから、次に青を撮る」など、順序立てた説明を好んだという。
業績・作品[編集]
ろいやるぶるーの中心的業績は、撮影鉄道の記録を“一覧”と“解説”に変換した点にあった。彼は、夜行列車を単に撮るだけでなく、車窓光の特徴を分類し、図版へ注釈をつける編集手法を確立したとされる。
代表的な作品として『夜行灯光図鑑』が挙げられる。この図鑑は構成で、各巻は“青の到達順序”を表す見出しでまとめられたと説明される。第1巻では到達まで前後の例を多く、第2巻では帯、第3巻では例数を抑えて“異常青”(条件が崩れた事例)を集めたという記述が残る。
さらに、彼は『青被写体規格 実務書』を私家版として配布したとされる。規格書にはレンズ口径やシャッター速度のような定量項目だけでなく、「列車が通過する前に息を整える」など、身体動作を含む手順が記されていたとされる[9]。この手順が過剰に思えることから、のちの批判へも繋がったとされる。
また彼は、駅の待合室で配布された掲示物を写し取る“掲示録”を集めたとする資料がある。真偽の検証は進んでいないものの、彼の几帳面さを示すエピソードとして扱われることが多い。
後世の評価[編集]
ろいやるぶるーは、撮り鉄の“文化”を技術へ寄せた人物として評価されることが多い。とくに、光の再現条件を言語化した点は、のちの写真コミュニティにおける標準化議論の先駆けだったと位置づけられている。
一方で、彼の規格があまりに細部へ踏み込みすぎたため、現場の自由を奪ったとする批判もある。研究者の間では「規格化は撮影者の創造性を減衰させる」という見解があり、反対意見として「彼の規格は創造性を“比較可能”にするための翻訳であった」との反論も示されている[10]。
また、図鑑の一部図版が“当時の撮影許可範囲”を超える可能性が指摘され、彼の記録に編集上の介入があったのではないかという疑義が提示されることもある。もっとも、彼の死後に残された原稿は、削られたはずの注釈が複数の字体で上書きされていることから、編集プロセスの複雑さが裏づけられているとする主張もある。
系譜・家族[編集]
ろいやるぶるーには、撮影の才能を継がせたとされる家族がいたと伝えられる。彼の妻である「小萩(こはぎ)きく」は、印刷所の帳簿係をしていた人物であるとされ、撮影ログの整理係として知られる。二人の間には、長男の「渡海(わたるみ)一之助」、次女の「美砂(みすな)」が生まれたとされる[11]。
長男の一之助は、父の規格書の写しを修正し、後に“列車速度の聴覚補正”の考え方を独自に広めたとされる。次女の美砂は、暗室の薬品管理を担当し、青みのブレを抑えるために薬品の温度をで固定する慣習を家で徹底したという逸話がある。ただし、このの根拠は資料で示されておらず、伝承として扱われている。
系譜は、撮影道具の保管庫が代々受け継がれたことで、家族の協働が強調されることが多い。なお、家系図には“ろいやるぶるー”が姓ではなく記録上の呼称であった可能性があるとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田中硝子『夜行灯光図鑑の編集史(全3巻の一次資料)』青藍書房, 1987.
- ^ 李承焱『青被写体規格と色の規律』光輪写真学会誌, Vol.12 No.3, pp.41-66, 1994.
- ^ 山路紘一『撮り鉄における距離の誤差理論』日本撮像工学年報,第7巻第2号, pp.93-118, 1972.
- ^ Katherine M. Fenton『Night-Train Aesthetics and the Royal-Blue Myth』Journal of Applied Chromatics, Vol.5 No.1, pp.12-39, 2001.
- ^ 鈴木韻太『検閲と注釈のあいだ:図版の書き換え手順』紙影研究, Vol.23, pp.201-233, 2010.
- ^ 王立車庫研究会『駅掲示録の統計(私家版の再構成)』車庫文庫, 1979.
- ^ マリア・ゴンサレス『Reproduction of Color Conditions in Amateur Photography』International Review of Visual Standards, Vol.9 No.4, pp.77-102, 2008.
- ^ 内海星光『鉄道写真文化賞の受賞者ネットワーク』月刊アーカイブズ, 第15巻第6号, pp.58-80, 1968.
- ^ 河合文左『夜景編集功労章とその系譜(誤記の検証)』編集学叢書, pp.3-29, 1975.
- ^ 黒田雷蔵『撮影者の呼吸と露光タイミング』虚構科学出版社, 1963.
外部リンク
- 台東区夜行資料館(嘘)
- 青被写体規格アーカイブ
- 夜行灯光図鑑オンライン索引
- 鉄道写真文化賞データ閲覧室
- 掲示録リポジトリ