わっしょいベースボール
| 発祥 | 大阪府大阪市港区の臨海倉庫街 |
|---|---|
| 成立年 | 1958年頃 |
| 考案者 | 北見丈一郎と住吉囃子保存会の合同班 |
| 競技人数 | 1チーム9〜14人 |
| 使用球 | 鈴入り軟式球または祭礼用の赤縫い球 |
| 主な特徴 | 打撃よりも掛け声と隊列移動を重視 |
| 関連地域 | 関西臨海部、瀬戸内沿岸、北陸の港町 |
| 国際化 | 1980年代に日系移民コミュニティへ伝播 |
わっしょいベースボールは、の祭礼文化との運用思想を接続して成立したとされる、集団応援型の競技形式である。中期ので原型が整えられたとされ、現在では一部の地域大会で「掛け声先行型スポーツ」として知られている[1]。
概要[編集]
わっしょいベースボールは、通常のに見られる打撃・走塁・守備の要素に、の掛け声、拍子木、隊列移動を組み合わせた競技形式である。競技名の「わっしょい」は、打者が塁に出た際に外野手全員が同時に復唱する慣習に由来するとされる[2]。
この競技は、戦後の港湾労務者の余興として始まったという説が有力であるが、実際にはの数寄屋橋通り支部にあった倉庫番組合の夏季慰安会が母体であったとする異説もある。いずれの説でも、審判よりも「音頭取り」と呼ばれる進行係の権限が強く、試合の半分が進行確認に費やされる点が特徴である[3]。
歴史[編集]
成立前史[編集]
起源は後半、の第七埠頭における倉庫作業員の休憩時間に求められる。作業員の一人であった北見丈一郎は、軟式球を投げ合いながら倉庫内の荷札番号を声に出して確認する習慣を持っており、これが自然に「番号を叫ぶと打球が伸びる」という迷信へ転化したとされる[4]。
1958年の夏、住吉囃子保存会の青年部がこれに介入し、拍子木と太鼓を導入したことで、単なる遊戯が半儀礼化した。なお、初回の記録試合では、打球が倉庫の換気扇に吸い込まれたため試合が11分で中断され、以後「換気扇に勝った者が英雄」とする内規が残ったと伝えられている。
制度化と普及[編集]
1964年にはがこれを「地域共同体の鼓舞的球技」として暫定認定し、打順の前に3回の掛け声を義務づけた。この頃から、塁審の代わりに「見立て奉行」と呼ばれる役職が置かれ、判定に祭礼の流儀が持ち込まれた[5]。
1972年にはで第1回全港湾わっしょい大会が開催され、参加12チームのうち7チームが初回の入場行進で息切れを起こした。大会後、地元紙『阪湾日報』は「運動能力よりも呼吸の合致が勝敗を分ける」と評し、これが競技哲学の定型句となった。
国際化と分岐[編集]
1980年代後半、のに移住した日系二世の運動会実行委員がこれを紹介し、北米では「Wasshoi Baseball Night」と呼ばれる親善試合が行われるようになった。ここでは掛け声が英語化されず、むしろ「Wasshoi!」を三拍子で反復することが重視され、観客が途中から合唱に参加する現象が定着した[6]。
一方で、では旧来のエイサー文化と結合し、守備隊形が円環状になる「輪守備流」が生まれた。この変種は、外野が一斉に回転しながらボールを回収するため、一般の野球規則からは大きく逸脱するが、関係者は「逸脱ではなく拡張である」と主張している。
競技規則[編集]
掛け声と進行[編集]
試合は9回制を基本とするが、各回の開始時に「わっしょい確認」が入り、両軍が6秒間同時に発声しない場合はその回が無効となる。得点は通常の本塁到達に加え、ベンチ全員の息が揃った回数でも加算されるため、低得点でも盛り上がりだけで勝敗が覆ることがある[7]。
審判団は主審1名、副審2名に加え、囃子方1名と記録係1名で構成される。囃子方は三味線、太鼓、笛のいずれかを担当し、判定が揉めた場合は最も大きい音を出した側の主張が仮採用される。
用具[編集]
使用球は、内部に小型鈴を封入した直径72ミリ前後の軟式球が標準である。これは打球音だけでなく着地音でも観客を引きつけるために考案されたとされ、山間部の大会では鈴の音が鹿よけにもなったという[8]。
また、バットにはしばしば漆塗りの握り部分が採用されるが、これは伝統工芸との連携というより、汗で滑った際に「ぬめりも演出の一部」とされたためである。なお、1991年以降は安全基準の強化により、木製バットへの紙垂装着は原則禁止となった。
社会的影響[編集]
わっしょいベースボールは、単なる娯楽を超えて地域共同体の結束装置として機能したとされる。特にとの港湾地区では、町内会の出欠率が試合参加率と連動し、夏祭りの寄付金集計にまで影響したという[9]。
また、学校教育への導入例もある。1987年にのある中学校で行われた実証授業では、野球部員より合唱部員の方が高い打率を記録したことから、「声の揃い方が運動能力を補完する」との仮説が提出された。ただし、この調査は1学期で打ち切られており、要出典とされることが多い。
一方で、伝統文化の過剰な競技化を懸念する声もあり、の外郭団体が1998年に出した報告書では、掛け声の強度が祭礼本来の意味を侵食するおそれが指摘された。しかし同報告書の結論部には「なお、応援が大きい地域ほど参加率は安定する」との付記があり、評価は分かれている。
批判と論争[編集]
批判の中心は、競技規則が年ごとに増殖し、地方大会ごとに別競技のようになっている点である。特にの北陸大会では、主催者が「わっしょい係数」という独自指標を導入し、声量が一定値を超えた場合に自動で2点加算する仕組みを採用したため、結果がほぼ太鼓の音量で決まった[10]。
また、国際大会における名称表記をめぐり、英字圏では Wasshoi Baseball、仏語圏では Base-ball O-Wasshoi と表記が揺れた。これに対し、創始者一族を自称する北見家は「わっしょいは翻訳されるべき概念ではない」と主張し、商標登録を申請したが、申請書の競技区分欄に「民間祭礼・球技・応援・その他」と記載したため一度差し戻されたとされる。
主要大会[編集]
現代の主な大会としては、の「全港湾わっしょい大会」、の「雪解けわっしょいリーグ」、の「博多波止場カップ」が知られている。いずれも春季の開催が多いが、審判の確保が難しいため、実際には梅雨明け後にずれ込むことが多い[11]。
優勝チームには木製の優勝旗ではなく、太鼓の胴を再利用した盾が授与される慣習がある。2023年の大会では、決勝戦が7回裏の時点で雷雨中断となり、両軍が避雷針の下で掛け声のみを続けた結果、「応援による引き分け」として史上初の両優勝が宣言された。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北見丈一郎『港湾余興と球戯の接点――わっしょいベースボール初期史』関西体育文化研究所, 1969.
- ^ 住吉囃子保存会編『拍子木が試合を決める――地域球技の成立』港湾文化出版社, 1974.
- ^ Margaret A. Thornton, "Collective Chant and Ball Games in Postwar Osaka," Journal of Ritual Sports Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 44-71, 1981.
- ^ 高橋澄夫『わっしょい係数の理論と実務』大阪臨海教育会, 1988.
- ^ Jean-Luc Perrin, "Base-ball O-Wasshoi et les formes du cri partagé," Revue des Jeux Communautaires, Vol. 7, No. 2, pp. 101-129, 1992.
- ^ 『阪湾日報』文化面編集部『夏祭り競技の変容――尼崎大会ルポ集』阪湾日報社, 1973.
- ^ 北見由紀子『北見家文書にみるわっしょい運動』みなと民俗叢書, 2001.
- ^ Richard S. Bell, "The Bell Inside the Ball: Acoustic Regulation in Festival Baseball," Athletic Anthropology Quarterly, Vol. 18, No. 4, pp. 203-225, 2007.
- ^ 文化庁外郭団体地域芸能調査室『掛け声と競技化に関する報告』東京都文化資料センター, 1998.
- ^ 『わっしょいベースボール年鑑 2024』全国わっしょい連盟出版局, 2024.
- ^ 田中一成『わっしょいベースボール入門:なぜ9回で終わらないのか』港湾新書, 2016.
外部リンク
- 全国わっしょい連盟
- 港湾球戯アーカイブ
- 関西祭礼スポーツ史料館
- わっしょいベースボール年鑑データベース
- 北見家文書デジタル室