アアララァアア
| 名称 | アアララァアア |
|---|---|
| 読み | ああららぁああ |
| 英語名 | Aalararaaa |
| 起源 | 1908年頃、東京帝国大学構内 |
| 考案者 | 渡辺精一郎ほか |
| 用途 | 警戒喚起、行進隊列の整列、即席合図 |
| 主な利用地域 | 東京、横浜、札幌、瀬戸内沿岸 |
| 衰退 | 1954年以降、無線合図の普及で縮小 |
| 関連機関 | 内務省臨時音律調査局 |
アアララァアア(ああららぁああ、英: Aalararaaa)は、とを兼ねた反復発声である。末期の構内で、風向きの読み違いを防ぐために考案されたとされる[1]。
概要[編集]
アアララァアアは、短い母音列を段階的に変調させることで、周囲の人員に注意、停止、再集合の三種の意思を同時に伝えるとされたである。一般には奇怪な掛け声として知られているが、実際には後期の都市騒音対策と軍事訓練の中間領域から生まれた実務技術であったと説明される。
この発声法は、声量よりも余韻の長さと、最後の「ア」の切り上げ角度が重視された点に特色がある。また、同じ音列でもの埋立地では反響を利用した低声版が、の寒冷地では息継ぎを多く含む短縮版が用いられたとされる[2]。
歴史[編集]
成立[編集]
起源については、に理学部の助手であった渡辺精一郎が、霧中で学生隊列を再編するために試作したという説が有力である。渡辺は、当時のが採用していた笛信号が風に弱いことに不満を抱き、母音のみで構成されたより安定した伝達法を模索したとされる。
初期の記録では、現在の表記ではなく「アアララアア」と記されており、の学内訓練報告で「第四拍に濁りを入れると前列が振り向く率が38%上昇した」と報告された。なお、この38%という数字は後年の編集で誇張された可能性があるが、ながらしばしば引用されている。
普及[編集]
期に入ると、の荷役係が荷崩れ警告に流用したことから、アアララァアアは労務現場へ広がった。特にの夏季、船腹不足で倉庫前に300人以上が滞留した際、監督者が手旗の代わりに発声したところ、荷捌き速度が平均で1.7倍になったと『港湾労務月報』は伝えている。
その後、の構内整理係や、の雑踏整理班にも採用され、1920年代半ばにはの興行街で「見世物小屋の入場口で最も荒くれた客を静める声」として半ば伝説化した。こうした普及は、都市化によって「短く強い声」が求められた時代背景と一致していたとされる。
制度化と衰退[編集]
初期には、が発声の標準化を進め、1933年版『都市雑音取扱要綱』に「第2型アアララァアア」が掲載された。ここで初めて、語尾を0.3秒伸ばすことで「再集合」ではなく「静粛」を意味することが明文化されたという。
もっとも、戦後になるとと拡声器の急速な普及により、実用上の役割は急減した。1954年にはの通達で公的訓練から外れたが、地方の夏祭りや大学応援団では残存し、現在でもの一部漁港では霧警報の補助合図として年2回だけ継承されているとされる。
音韻構造[編集]
アアララァアアは、五母音のうちのみを過密に配した単純な構成を持つが、実際には「ア」「ラ」「ァ」の三層に分かれると解釈される。特に中間の「ラ」は舌尖の接触音としてではなく、息圧の跳ね返りを示す記号であり、発声者の焦りを周囲に伝える役目を果たした。
にの音声研究会が行った実験では、男性12名・女性9名・学生寮の管理人1名による発声サンプルを比較し、第三拍の高低差が2.4Hzを超えると聞き手の笑いが先行する傾向が確認されたという。もっとも、この研究は晩餐会の余興として行われたため、学術的厳密さには疑問がある。
また、長音の位置を微妙にずらした「アアララアアア」という変種は、主にの沿岸部で用いられ、霧の濃い朝に船員同士が互いの所在を確かめるための応答形式として重宝された。これに対し、標準型は都市部での即応性に優れていたといわれる。
社会的影響[編集]
アアララァアアは、単なる掛け声を超えて、近代日本の「声による統制」の象徴として扱われた。学校、港湾、博覧会、祭礼のいずれでも応用可能であったため、1920年代の実務書には「最小限の語彙で最大限の混乱を鎮める術」として紹介されている。
一方で、過度に威勢のよい発声が周囲にパニックを誘発する事例もあった。たとえばのでの市場火災では、誘導係のアアララァアアが「避難」ではなく「開店」の合図と誤認され、通路に人が押し寄せたとする記録が残る。この件は後に、声調の一拍目にだけ規律を持たせる改定案へつながった。
戦後の大衆文化では、アアララァアアはしばしば喜劇的な記号として消費された。映画のエキストラやラジオ劇の群衆音として使われたほか、の効果音庫に「長音多め」「息継ぎ深め」「笑い堪え型」の三種類が保管されていたともいわれる。
批判と論争[編集]
アアララァアアをめぐっては、発祥地の比定が長く争点となった。東京起源説に対し、の旧資料を根拠に「最初の定型化はである」とする説もあり、1936年には『中部音律年報』上で論争が起こった。
また、軍事訓練への転用をめぐり、民間由来の発声を国家が取り込んだのではないかという批判もあった。とりわけの『都市儀礼と公共静粛』では、アアララァアアが「群衆の自主性を奪う柔らかな命令形」であると指摘されている。ただし、同書の著者はのちに陸軍嘱託へ転じており、評価には慎重さが必要である。
なお、現在でも一部の保存会では、アアララァアアを「声の文化財」として登録すべきだという運動があるが、文化庁内部では「復元上演における近隣苦情」が懸念され、議論が続いている。
保存と復元[編集]
にが旧港湾記録の整理を進めた際、アアララァアアの発声譜が偶然に発見された。そこには、拍ごとの息継ぎ位置、声の高さ、そして「最後は必ず左を向くこと」という謎の指示が墨書されていた。
この資料をもとに、から年1回の公開実演が行われている。実演では、再現班が駅前からまでの約840メートルを、三度の発声で誘導するという手順が採られる。観客参加型であるため、毎回20人前後が本当に列を外れてしまうが、主催者は「それも史料批判の一部である」と説明している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『都市発声術試論』東京帝国大学出版会, 1912.
- ^ 佐伯理一郎『港湾における合図音の標準化』日本労務協会, 1920.
- ^ Margaret A. Thornton, "Vowel Commands and Crowd Response in Early Modern Japan", Journal of Acoustic Folklore, Vol. 4, No. 2, 1931, pp. 44-71.
- ^ 小林澄子『反復母音と公共秩序』内務省調査資料第17号, 1934.
- ^ Henry T. Wilkes, "The Aalararaaa Phenomenon", Proceedings of the East Asian Signal Society, Vol. 8, No. 1, 1937, pp. 3-29.
- ^ 『都市儀礼と公共静粛』都市文化研究所, 1938.
- ^ 高橋信二『霧と声の交通史』港湾評論社, 1949.
- ^ Eleanor G. Fitzroy, "On the Final A in Aalararaaa", Cambridge Review of Imaginary Phonetics, Vol. 12, No. 4, 1956, pp. 201-219.
- ^ 『都市雑音取扱要綱 解説版』内務省臨時音律調査局, 1933.
- ^ 宮本久子『復元上演における集団反応の観察』横浜民俗叢書第6巻, 2016.
- ^ 中野一平『アアララァアア考—語尾0.3秒の政治学—』関東音声文化研究所, 2021.
外部リンク
- 横浜港湾史アーカイブ
- 東京音声民俗資料室
- 都市雑音研究会
- 霧中通信保存協会
- 内務省臨時音律調査局デジタル復刻版