アルプス一万邪苦拳法
| 名称 | アルプス一万邪苦拳法 |
|---|---|
| 別名 | 一万邪苦流、アルプス邪苦拳 |
| 体系 | 呼吸法・打撃・投げ・耐寒訓練 |
| 発祥 | 19世紀後半のスイス東部山岳地帯とされる |
| 創始者 | ヨーゼフ・ヴァルトシュタイン(伝承上) |
| 伝播地域 | スイス、オーストリア、北イタリア、日本 |
| 主な特徴 | 一万回の反復稽古と邪気払いの礼法 |
| 競技化 | 1938年のチューリヒ高地武芸会で初めて試演 |
アルプス一万邪苦拳法(アルプスいちまんじゃくけんぽう)は、周辺で成立したとされる、呼吸法と関節制御を中心とする複合武術である。冬季の高地作業者や巡礼者の間で発達したと伝えられ、のちに日本でも秘伝武術として受容された[1]。
概要[編集]
アルプス一万邪苦拳法は、の山岳民が、寒冷地での労働と護身を両立させるために編み出したとされる武術である。拳打、肘打ち、低い踏み込み、ならびに独特の発声法を組み合わせる点に特徴がある。
名称の「一万」は、型の数ではなく、ひとつの技を習得するまでに一万回の反復を要するとする修行規定に由来すると説明される。また「邪苦」は、敵を打つというより、呼吸の乱れや恐怖心を“邪”として扱い、これを拳の運行で“苦”に変えるという思想を示すものとされている[2]。
起源[編集]
高地作業民の間での成立[編集]
起源はごろ、スイスの北部にあった小村近郊で、除雪隊と樵のあいだに生まれたとされる。冬季に滑落や熊害が相次いだため、のフリードリヒ・ベックが「息を止めずに打つ」ことを奨励したのが最初であると伝えられる。
ただし、最古の一次資料とされる『ラントクヴァルト耐寒覚書』は写本であり、要出典の指摘が絶えない。また同書には、雪上で拳を交える際には「左足を七寸外へ、右拳は教会の鐘楼に敬意を払う角度まで」との記述があり、実践的というよりは儀礼的性格が強い。
ヨーゼフ・ヴァルトシュタインの体系化[編集]
流派の体系化に関わったのは、山岳案内人のであるとされる。彼は、の薬局で売られていた湿布薬の広告を見て、「筋肉は冷えると邪念を溜める」という独自理論を着想し、これを武術化したという。
ヴァルトシュタインは、稽古の初日に弟子への素振りを課し、その途中で必ず標高計を確認させたという逸話で知られる。標高がを超えると技の名称が一部変化するため、同じ型でも都市部と山間部で呼び名が異なるという、きわめて面倒な体系が形成された。
技法[編集]
基本三拳[編集]
基本は「」「」「」の三拳である。雪割り拳は肩をすぼめて小さく打ち込む拳で、装備が厚い冬季衣服を想定している。氷返し拳は相手の力を受け流してから掌底で返す技で、オーストリア側では「やたら寒い合気」と呼ばれていたという。
鐘楼落としは、実際に鐘を落とす技ではなく、腰を深く沈めたまま頭上の空間を支配する構えである。もっとも、の演武会では、誤って鐘楼の模型を倒した門弟が拍手を浴び、以後この誤認が半ば伝統化した。
一万反復の修行法[編集]
本流では、初伝の者に対し「一技一万回」の修行が命じられる。これは単純な回数ではなく、朝の除雪、昼の薪割り、夕方の影打ちに分配されるのが正式とされる。修行帳には毎日、体温と風速、そしてその日の不機嫌指数が記録されたという。
なお、1932年の武道博覧会で、ある弟子が『一万回は誇張である』と発言したところ、師範代から「誇張ではない、未達である」と返された逸話が残る。この会話が後年、同流派の標語「数えるな、冷えろ」の由来になったとされる。
邪苦呼吸[編集]
邪苦拳法を最も特徴づけるのは呼吸法である。吸う息で腹部を膨らませるのではなく、雪を呑み込むように胸郭を硬化させ、吐く息で相手の姿勢を崩すと説明される。これは実際には高地順応の知識を誤って武術化したものと見る向きもある。
一部の分派では、稽古中にを飲むと邪気が薄まるとされ、地方の宿屋では専用の湯呑みまで作られた。もっとも、以降は水分補給のしすぎで腹が冷えるとして、茶碗半分までに制限された。
日本への伝来[編集]
日本へは明治時代後期、経由で輸入された羊毛とともに紹介されたとされる。最初に受容したのは、の山岳会に所属していた柔術家で、彼はアルプス帰りの技師から「邪苦」の語感を気に入り、『月刊山拳』に連載した。
大正末期には、兵庫県の鉱山地帯で坑夫の転落防止体操として一部採用され、のちに警視庁の近接制圧研究班が短期間だけ調査を行ったとされる。しかし、報告書の大半が「雪がないため再現困難」で締めくくられており、実用化は見送られた。
戦後には東京都内の大学サークルに受け継がれ、型の名称だけが先に広まり、内容はほぼ柔道とストレッチに置き換わった。これにより、アルプス一万邪苦拳法は「実戦武術」よりも「寒冷地メンタル養成法」として再評価されることになった。
流派と分派[編集]
白雪派[編集]
白雪派は、純白の道着と静かな所作を重視する保守系の流派である。の山岳療養所に端を発し、礼法を極端に洗練させた結果、実際の攻防よりも入場の美しさが評価された。試合では開始直後に正座へ戻る者が多く、判定が難しいことで知られている。
黒氷派[編集]
黒氷派は、低い姿勢と短い打撃を好む実戦派であり、イタリア北部の炭鉱地域で勢力を伸ばした。彼らは稽古にを用いたため膝を痛める者が続出したが、これを「邪苦が抜ける前触れ」と解釈していたという。
一万会[編集]
戦後に名古屋で設立されたは、流派を学術的に整理しようとした団体である。会誌『邪苦研究』を年4回発行し、型の名称をラテン語化するなど独自の試みを行ったが、1969年の総会で議題が「拳法か体操か」に収束し、以後は事実上の親睦会となった。
社会的影響[編集]
アルプス一万邪苦拳法は、山岳武術としてよりも、耐寒教育の象徴として影響を与えたとされる。には、の一部職員研修で「邪苦姿勢」が採用され、雪中作業時の転倒率がほど下がったと報告された。ただし、この数字は後年の再集計でに修正されており、統計の扱いは一貫していない。
また、日本では受験生向けの精神鍛錬法として紹介され、冬期講習会で「一万回ノートを埋める」という派生文化を生んだ。これにより本来の武術よりも、根性論の比喩として独り歩きした面がある。
一方で、のNHK関連番組で「アルプス一万邪苦拳法は本当に実在するのか」と特集され、出演者の半数が「たぶんある」と答えたことが、一般認知を不必要に高めた。以後、観光土産店で「邪苦守り」と印刷された木札が販売されるようになったが、元祖を名乗る店舗が存在し、いずれも隣町に本店があると主張している。
批判と論争[編集]
批判の中心は、そもそも名称にとととが同居している必然性が薄いという点にある。特に、言語学者のは「三つの異なる文化圏の語を、ひとつの看板に押し込んだだけではないか」と指摘した[3]。
また、1998年にジュネーヴで行われた公開演武では、参加者が高地訓練のしすぎで酸欠気味になり、技の完成度よりも休憩の長さが話題になった。これに対して流派側は「静止もまた技である」と反論している。
なお、近年はフィットネス業界に取り込まれ、「アルプス邪苦メソッド」として低強度の体幹トレーニングに再編されているが、古参門人からは「邪苦が抜けすぎている」と不満が出ている。
脚注[編集]
[1] ヴァルトシュタイン家文書は後世の加筆が多いとされる。 [2] 「邪苦」の語義については、山岳方言の誤読とする説もある。 [3] 田村の論文は掲載誌の編集長が武道愛好家だったため、査読の独立性に疑義がある。
関連項目[編集]
脚注
- ^ Friedrich Beck『Über die kalte Faust im Hochgebirge』Sankt Gallen Alpine Press, 1894.
- ^ Josef Waldstein『Die Zehntausendfache Übung』Vol. 2, Bern: Hohenweg Verlag, 1901.
- ^ 高瀬玄之丞『山拳秘伝録』月刊山拳社, 1912.
- ^ 田村史朗「アルプス一万邪苦拳法の語源的混交について」『武道言語学研究』第14巻第2号, pp. 33-49, 1978.
- ^ Margaret L. Hargrove, 'Cold-Weather Combatives in the Eastern Alps,' Journal of Borderland Martial Studies, Vol. 8, No. 1, pp. 11-27, 1956.
- ^ Ernst Koller『Das Problem der Namensgewalt im Kampfsport』Wiener Sportanthologie, 1938.
- ^ 佐伯冬彦「高地作業民の身体技法と邪苦呼吸」『民俗体術史』第6巻第4号, pp. 102-119, 1964.
- ^ Ludwig Mair『The Bell Tower Fallacy and Other Alpine Forms』Innsbruck University Monographs, 1971.
- ^ 中村桂一『冬季講習と根性文化の変遷』北方教育出版, 1989.
- ^ Clara von Ebert, 'One Ten-Thousand Repetitions: Ritual and Pain in Alpine Martial Practice,' European Review of Invented Traditions, Vol. 3, No. 2, pp. 55-73, 2004.
外部リンク
- アルプス武芸史資料館
- 邪苦拳法研究会
- 山岳民俗アーカイブ
- 高地鍛錬文化センター
- 一万会公式記録室