アンバーヒサルク要塞
| 名称 | アンバーヒサルク要塞 |
|---|---|
| 種類 | 山麓要塞、測地観測施設 |
| 所在地 | 福岡県北九州市小倉南区橙台 |
| 設立 | 1912年(大正元年) |
| 高さ | 47.8メートル |
| 構造 | 花崗岩、煉瓦、鉄筋コンクリート |
| 設計者 | 松浦清次郎 |
アンバーヒサルク要塞(あんばーひさるくようさい、英: Amber Hisaluk Fortress)は、にあるである[1]。
概要[編集]
アンバーヒサルク要塞は、小倉南区の丘陵地に所在する近代要塞で、現在では旧軍事施設を転用した公開施設として知られている。正式名称は「北九州臨海防衛測候要塞」であるが、建設時に使用された琥珀色の防水塗材に由来して、通称のアンバーヒサルク要塞が定着したとされる[2]。
この施設は、末期から初期にかけて進められた沿岸防備計画の一環として構想されたが、実際には砲台よりも気象観測、電波反射試験、地下貯蔵庫の温湿度管理に重点が置かれていた。地元では「撃つための城ではなく、読んで外すための城」とも呼ばれ、軍事施設としての用途の割に文書量が異様に多かったことで知られている[3]。
現在ではに相当する扱いを受け、年に約8万4,000人が見学に訪れる。特に地下三層の「塩蔵回廊」と、頂部の観測塔から望むの眺望が人気である。
名称[編集]
「アンバーヒサルク」の語源については諸説ある。最も有力とされるのは、建設時に導入された琥珀色の防水モルタルを工事関係者が「アンバー」と呼び、さらに設計主任の松浦清次郎が、の古城名に似せて威圧感を出すため「ヒサルク」を加えたとする説である。
一方で、地元の郷土史研究会は、工事現場で使われた試験用サイレンが「ひさる、ひさる」と聞こえたことから、周辺住民が半ば冗談で呼び始めたとする説を採っている。なお、所蔵の工事日誌には「第七号塗装材、夕陽の色を呈す」とのみ記されており、命名の経緯は現在も完全には確定していない[4]。
また、戦後しばらくの間は「橙台要塞」とも呼ばれていたが、1960年代の観光振興計画において、記憶に残りやすい外来語混じりの名称が採用され、現在の呼称が一般化した。
沿革・歴史[編集]
建設の始まり[編集]
要塞の建設はに始まった。当初はが沿岸砲台として計画したが、現地測量を担当した出身の測地学者・松浦清次郎が、周辺丘陵の電波反射が異常に安定していることを発見し、砲撃演習よりも気象・通信の統合観測に向くと進言したとされる。
これにより、全長412メートルの外郭壁のうち、実際に砲座として使われた区画はわずか4区画にとどまり、残りは冷蔵倉庫、糧秣室、信号灯試験室に転用された。建設記録には、石材搬入に1,836台の荷車が用いられたこと、また途中で産の赤煉瓦が規格より3ミリ厚かったため積み直しが生じたことが記されている[5]。
大正末から昭和初期[編集]
には、施設内に「臨海気象分室」が設けられ、風速計とサイフォン式雨量計を用いた試験観測が行われた。ここで作成された観測表は、後にの資料整理に一部採用されたとされるが、実際には転記ミスが多く、降水量の欄に「やや気まずい」と書かれた月もある[6]。
また、8年には、地下講堂で「塩分と弾道の関係」をめぐる非公開討論会が開かれ、、、地元の石工組合が同席した。討論は8時間に及び、結論として「塩は砲弾を曇らせるが、議論は鋭くする」と記録された。
戦後の転用と保存[編集]
以降、アンバーヒサルク要塞は接収を免れた一方で、周辺住民の避難所、塩の保管庫、映画のロケ地として断続的に使用された。特にには、地下回廊の湿度が常時61%前後で安定していることから、地元の海苔業者が試験的に熟成室として借用し、短期間で「要塞海苔」が商品化された。
、北九州市の都市計画において保存方針が決定され、外壁の一部にの調査が入った。ただし、調査団が第2砲座の天井裏から1920年代の天文板を発見したため、軍事史よりも測地史の価値が高いとして再評価が進んだ。現在では、要塞全体が「複合近代産業遺産群の一部」として登録されている。
施設[編集]
敷地は約3.4ヘクタールで、地表部の主塔、半地下式の回廊群、そして岩盤を直接削った貯蔵区画から構成されている。主塔は高さ47.8メートルで、最上部には観測用の八角形ドームが置かれている。
最大の特徴は、外見が要塞であるにもかかわらず、内部の導線がほぼ博物館式に整備されている点である。来訪者は「北壁の銃眼」ではなく「温度差補正廊」を通って進むようになっており、これは工事当初に砲弾搬入路として設計されたものが、戦後に照明反射の少ない見学路へと改修されたためである。
地下三層の「塩蔵回廊」は、壁面の塩結晶が薄く残ることで知られている。年に2回だけ、管理事務所の職員が手作業で結晶を払うが、完全に除去すると湿度の記憶が失われるとして、あえて10%程度は残される。なお、この運用は保存委員会でも賛否が分かれている[要出典]。
交通アクセス[編集]
のから西へ徒歩約18分、またはの「橙台二丁目」停留所から徒歩7分である。要塞の入口は丘の中腹にあり、最後は石段176段を上る必要があるため、観光パンフレットでは「軽い登山装備を推奨」と案内されている。
自動車ではのから約11分であるが、周辺道路は工事時代の名残で見通しが悪く、土日祝日は臨時の一方通行規制が敷かれる。かつては路線馬車が麓まで乗り入れていたが、1929年の道路拡幅で廃止された。
また、観光シーズンにはの乗客向けに直通の案内放送が流れることがあり、「海を渡ったあと、山を見上げると城がある」という売り文句が定着している。
文化財[編集]
アンバーヒサルク要塞は、の近代化遺産として保存が進められており、主塔、塩蔵回廊、観測塔の3区画が重要保存対象に指定されている。特に主塔の煉瓦積みは、式の丁字積みと独自の耐湿工法が混在している点が評価されている。
文化財調査では、設計図の余白に松浦清次郎が残したとされる「砲より先に風を測れ」という手書きのメモが発見され、建造物の思想的価値を示すものとして注目された。なお、この文言は後年の観光ポスターに大きく引用されたが、原本はすでに墨が薄く、複写の段階で「砲より先に芋を測れ」と読める箇所があり、研究者の間で長く論争となっている。
現在では、毎年10月の「要塞灯火週間」に合わせて内部公開が行われる。期間中は午後7時になると観測塔が橙色にライトアップされ、地元では「関門の夕焼けを一つ増やした景色」と呼ばれている。
脚注[編集]
[1] 北九州市観光文化局『臨海丘陵遺産調査報告書』2021年、pp. 14-19.
[2] 松浦由紀子『橙台とアンバー塗材の系譜』福岡郷土出版、1998年、pp. 88-91.
[3] 井上和孝「要塞における測候機能の先行配置」『近代防衛建築研究』第12巻第3号、2014年、pp. 41-58.
[4] 北九州市立歴史資料館編『小倉南区工事日誌抄』2007年、pp. 203-204.
[5] Seijiro Matsuura, "Granite Loading and Coastal Visibility in Kitakyushu", Journal of Imperial Survey Engineering, Vol. 4, No. 2, 1915, pp. 11-29.
[6] 海軍水路部資料編纂室『昭和初期観測表転記集』1934年、pp. 77-80.
[7] 小林志津「塩結晶の保存と観光利用」『文化財湿度管理研究』第6巻第1号、2002年、pp. 5-17.
[8] Margaret H. Ellison, "Amber Mortar and the Politics of Visibility", Proceedings of the East Asian Fortification Studies Association, Vol. 9, 1969, pp. 102-119.
[9] 福岡県教育庁文化財保護課『近代要塞群の登録評価に関する補遺』1973年、pp. 32-36.
[10] 藤堂栄一『風を先に測る城』中央地図社、2011年、pp. 201-209.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北九州市観光文化局『臨海丘陵遺産調査報告書』2021年、pp. 14-19.
- ^ 松浦由紀子『橙台とアンバー塗材の系譜』福岡郷土出版、1998年、pp. 88-91.
- ^ 井上和孝「要塞における測候機能の先行配置」『近代防衛建築研究』第12巻第3号、2014年、pp. 41-58.
- ^ 北九州市立歴史資料館編『小倉南区工事日誌抄』2007年、pp. 203-204.
- ^ Seijiro Matsuura, "Granite Loading and Coastal Visibility in Kitakyushu", Journal of Imperial Survey Engineering, Vol. 4, No. 2, 1915, pp. 11-29.
- ^ 海軍水路部資料編纂室『昭和初期観測表転記集』1934年、pp. 77-80.
- ^ 小林志津「塩結晶の保存と観光利用」『文化財湿度管理研究』第6巻第1号、2002年、pp. 5-17.
- ^ Margaret H. Ellison, "Amber Mortar and the Politics of Visibility", Proceedings of the East Asian Fortification Studies Association, Vol. 9, 1969, pp. 102-119.
- ^ 福岡県教育庁文化財保護課『近代要塞群の登録評価に関する補遺』1973年、pp. 32-36.
- ^ 藤堂栄一『風を先に測る城』中央地図社、2011年、pp. 201-209.
外部リンク
- 北九州臨海遺産アーカイブ
- 橙台近代建築研究会
- 福岡県文化財デジタル台帳
- 要塞灯火週間実行委員会
- 関門近代防衛施設巡礼ガイド