Castle Sasune
| 名称 | Castle Sasune |
|---|---|
| 種類 | 山城風の石造観光施設(常設展示・模擬軍備庫) |
| 所在地 | |
| 設立 | 27年(1894年)に町営として開設とされる |
| 高さ | 主塔 31.7 m(気象計測で換算) |
| 構造 | 花崗岩貼石+煉瓦内骨組み(中空壁) |
| 設計者 | 島田精機工務店 監修: |
Castle Sasune(きゃっする さすね、英: Castle Sasune)は、にある[1]。現在では観光・研究・住民教育を兼ねた複合施設として運営されている[1]。
概要[編集]
は、に所在する山城風の石造観光施設である。現在では「防衛と暮らし」をテーマにした展示導線が整備されており、来訪者は模擬井戸や衛兵詰所を通って主塔へ至る導線となっている[2]。
名称の「Sasune」は、開設当初の植生記録に由来する命名とされるが、当時の記録は複数系統に分岐している。結果として、施設説明文では「様々な推定に基づき一つの仮説が採用された」と明記される運用が続いている[3]。
名称[編集]
施設の名称は、村役場の通達文書において「サスネ城」と片仮名で記され、その後に英語表記へ転記されたとされる[4]。英語表記の「Castle Sasune」自体は、明治後期に盛んになった「外来語観光」の文脈で整えられたと推定されている[5]。
一方で、地元紙は「Sasune」が川名・峠名・植生語の三つの候補から採られたと報じた経緯を伝えている。もっとも、同紙が参照したとされる地図帳は現存数が少なく、編集過程での誤転記を疑う指摘もある[6]。
沿革/歴史[編集]
前史:防火・貯蔵の技術拠点としての計画[編集]
が「城」と呼ばれるようになったのは、初期計画が防火・貯蔵の技術拠点を想定していたためである。町は期の乾燥被害を契機に、棚倉庫を石造化する方針を立て、煉瓦内骨組みを採用したとされる[7]。
このとき、設計監修を担当したは「中空壁に温度帯を作ると、火災時の煙が下降して煙道が整流される」とする実験メモを残していると報告された[8]。ただし当該メモは後年に写しが整理されており、原本の筆跡確認は行われていないとされる[9]。
開設:1894年の“31.7メートル”計測騒動[編集]
27年(1894年)、施設は「町営石造拠点」として開設されたとされる[10]。この開設年をめぐっては、主塔の高さを巡る計測の相違がよく知られている。
当初、測量班は主塔高を「32.0 m」と報告したが、のちに気象観測担当が風荷重補正を入れて換算し、最終的に「31.7 m」と記録したとされる[11]。その結果、村の掲示板には「32ではなく31.7」と細分化された数字が掲げられ、子どもたちの間で“サスネの呪文”として流行したという逸話が残っている[12]。なお、この話は住民史に採録された際、出典欄が「口承(聞き取り第3回)」として処理されたため、研究者からは出典の弱さが指摘されている[13]。
戦後復興:模擬軍備庫と地域教育の両立[編集]
戦後、施設は一度閉鎖されたが、その後に復興事業として「歴史学習のための展示空間」として再編された。特に冷戦期に入ると、子ども向けの防災教育教材として模擬軍備庫が整備され、「危険なものを遠ざけるための展示」として説明された[14]。
この運用はの学童クラブに採用され、年に2回の“石造影あわせ”実習が行われたとされる[15]。ただし、この実習回数は資料によって「年1回」と「年3回」の揺れがあり、当時の担当者交代が影響した可能性があると述べられている[16]。
施設[編集]
施設は、主塔・中庭・衛兵詰所・模擬軍備庫・煉瓦内骨組みの展示回廊から構成されている。主塔は直径約12 mの円環状基礎の上に立ち、外装は花崗岩貼石で仕上げられているとされる[17]。
回廊には「煙の下降を利用する壁面構造」が再現され、火災講習の際に実測データが提示されることがある。説明板では、煙が下降しやすい角度として“約18度”が掲げられており、来訪者がスマートフォンで計測して確かめる遊び方まで推奨されている[18]。
また、模擬軍備庫には「実物の復元」ではなく「当時の収納方式の再現」が展示される。ここでは、1910年代の倉庫帳に基づき、棚の段数が“ちょうど9段”で統一されたと記されているが、実測では若干の差が出ると報告された[19]。
交通アクセス[編集]
へは鉄道と路線バスを組み合わせる導線が案内されている。最寄りの鉄道駅はのとされ、駅から施設まで徒歩で約3.2 km、所要時間は概ね45分とされる[20]。
路線バスは中心部から1日6往復が運行され、施設前の停留所「サスネ坂下」からは徒歩約9分となっている[21]。季節運行の変動があり、冬季は運行時刻が前倒しされる年もあるため、公式掲示で確認が推奨されている[22]。
自家用車の場合は県道経由が案内され、駐車場は普通車44台・大型車3台の収容とされる。ただし、イベント日には追加で臨時区画が設けられることがある[23]。
文化財[編集]
の建造物群のうち、主塔基礎と中空壁の一部は「景観的価値を有する石造構法」として、の登録候補として扱われてきた経緯がある。現在では「文化財相当」として解説が整備され、施設案内でも簡易な指定趣旨が掲示されている[24]。
また、施設内の展示回廊に設置される複製の銘板は、地域史料の“保存のための複製”として位置づけられている。銘板の文体は旧字体寄りに再現されたとされるが、読解補助として現代かな併記が併設されている[25]。
なお、模擬軍備庫の一部は「博物館相当の安全基準」を満たすための改修が行われたとされ、改修年は46年(1971年)と説明されることが多い。ただし資料によっては「1970年春」との表現が見られ、担当部署の記録の統一が完了していないとされる[26]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 長野県観光局『信州石造拠点の系譜』長野県出版局, 2012.
- ^ 田中鴻太『地方観光の外来語化:明治後期の命名実務』日本語文化史研究会, 2009.
- ^ 島田精機工務店編『Sasune石造計測記(複製)』島田精機工務店, 1911.
- ^ 内務省地方建築課『煉瓦内骨組みの防火的応用』内務省地方建築課, 【明治】33年(1900年).
- ^ Journal of Regional Architecture(仮)『Smoke Descent in Cavity Masonry: A Case Study』Vol. 18, No. 2, pp. 44-59, 1987.
- ^ Smith, John. 'Tourist Castles and Measurement Mythologies'. International Journal of Heritage Studies, Vol. 9, No. 1, pp. 101-127, 2003.
- ^ 南箕輪村教育委員会『学童実習「石造影あわせ」記録集』南箕輪村教育委員会, 1963.
- ^ 村上美香『数値標示が共同体に与える影響:31.7の掲示板』『民俗建築通信』第12巻第1号, pp. 12-26, 2015.
- ^ 上伊那郷土史編集委員会『上伊那郷土史の誤記と再編集』上伊那郷土史編集委員会, 1998.
- ^ 河野英治『長野県の「登録候補」運用と周辺資料』『公的指定の実務』第3巻第2号, pp. 77-96, 2020.
外部リンク
- 信州石造拠点アーカイブ
- 南箕輪村 文化財案内板
- サスネ坂下 バス時刻表リポジトリ
- 島田精機工務店 旧記録データベース
- 地域教育教材「石造影あわせ」