インターナショナル(架空の音楽ユニット)
| 名前 | インターナショナル |
|---|---|
| 画像 | International_1987_live.jpg |
| 画像説明 | 1987年の公演 |
| 画像サイズ | 280px |
| 画像補正 | yes |
| 背景色 | #d8e6ff |
| 別名 | インタナ |
| 出生名 | International |
| 出身地 | |
| ジャンル | シンセポップ、ポスト・ブルーグラス、都市民謡 |
| 職業 | 音楽ユニット |
| 担当楽器 | ボーカル、キーボード、ヴァイオリン、8トラック・テープ |
| 活動期間 | 1983年 - 1994年、2001年 - 2003年、2011年 - |
| レーベル | Polar Meridian Records |
| 事務所 | 北緯芸能企画 |
| 共同作業者 | 真鍋晶、久保田ミサオ、港区電気管弦楽団 |
| メンバー | 宇多川倫、篠宮ユイ、立石ノボル |
| 旧メンバー | 高槻レオ、海野サトシ |
| 公式サイト | international-official.jp |
インターナショナル(いんたーなしょなる)は、の3人組である。所属事務所は。レコード会社は。1983年に結成、1986年にメジャーデビュー。略称および愛称は「インタナ」である[1]。
概要[編集]
インターナショナルは、で結成されたの3人組である。1980年代前半に流行した輸入シンセサイザー文化と、地方局の深夜放送で独自に育った「反転歌唱」を接続した先駆的存在として知られる[2]。
メンバーは、宇多川倫、篠宮ユイ、立石ノボルの3名である。自作楽器の再生機を用いた演奏法と、ステージ上で方位磁針を回転させながらコーラスを取る独特の作法が話題となり、のちに「都市民謡の国際化」を掲げる一群に影響を与えたとされる[3]。
なお、名称は英語の international に由来するとされるが、実際にはの演習札に印字されていた略語を、当時のメンバーが「響きが良い」と誤読したことに始まるという説が有力である。もっとも、ファンの間では「世界に通じるのではなく、世界をまたぐように外れていく音楽」と解釈されることもある。
メンバー[編集]
宇多川倫(うたがわ りん)はリーダーおよびキーボード担当である。出身。高等専門学校時代にの試験送信を聴きながら和音の「遅延率」を研究したとされ、ユニットの理論面を支えた。
篠宮ユイ(しのみや ゆい)はボーカル担当である。高音域で語尾だけを裏声にする唱法を得意とし、ライブでは歌詞カードを逆さに持つことで知られていた。本人は「意味より地図に近い」と発言したことがあると伝えられる。
立石ノボル(たていし のぼる)はヴァイオリンおよび打楽器担当である。の港湾地区で育ち、クレーンの警報音を模したグリッサンド奏法を持ち込んだ。サポートメンバーとしての指揮助手を務めた経歴がある。
バンド名の由来[編集]
バンド名の由来については、複数の説がある。もっとも有名なのは、1983年夏にの喫茶店で行われた作戦会議の際、宇多川が持参したに「International Service」と大書されていたのを見て、篠宮が「これだと世界っぽい」と言ったとする説である。
一方で、結成当初の仮称が「内向き連合」であったことから、それを英訳した結果が偶然「インターナショナル」になったという、やや荒唐無稽な説明も残る。事務所側は後年、「当時の若者文化において、意味が完全には通らない外来語こそ新しさの証明であった」と総括している。
また、初期のロゴには地球儀ではなくが描かれていた。これは“どこにいても角度さえ合えばつながる”という宇多川の持論を図案化したもので、後にファンの間で「定規の時代」と呼ばれるようになった。
来歴[編集]
結成[編集]
1983年、の区民ホールで行われた若手音楽家交流会を機に結成された。当初は4人編成であったが、翌月に高槻レオが「テンポが世界情勢に左右される」として脱退し、3人組となった。結成時の練習場所はの自動車整備工場の二階で、夜間はシャッターの振動音をクリック代わりに使用したという。
1984年にはインディーズ盤『』を制作し、の自主流通店を中心に約2,700枚を売り上げたとされる。これは当時としては異例の数字であったが、購入者の約3割が「ジャケットの地球儀が変わっている」と答えたことが後年判明している[要出典]。
メジャーデビュー[編集]
1986年、Polar Meridian Recordsからシングル『』でメジャーデビューした。ミュージックビデオはで撮影され、無数の蛍光灯を水平線に見立てた映像が高く評価された。オリコンチャートでは最高4位を記録し、地味ながらもロングセールスを続けた。
同年、初の全国プロモーションではを巡ったが、各地で曲間に入る方位解説が長すぎるとして、司会者に短縮を求められたという。これを受け、篠宮は以後のMCを「30秒以内、ただし地理に関する言及は除く」と定めた。
1988年 - 1994年[編集]
1988年のアルバム『』は、累計売上38万枚を記録し、ユニットの代表作とみなされている。収録曲「」は、の夜明けの特集枠で異例の12週連続オンエアとなり、社会現象となったとされる。
しかし1991年、立石がヴァイオリンの弦をすべてに交換したことをきっかけに音程が不安定化し、制作現場では「調律より外交が必要」とまで言われた。1994年には活動休止を発表し、実質的には解散状態となった。もっとも、解散会見では全員が同じ方向を向いていなかったため、記者の一部は「これは会議である」と受け止めたという。
再結成以降[編集]
2001年、の映画祭に合わせて再結成され、映像作品『』を発表した。2003年には全国ツアー『』を実施したが、日程表がすべて時差表記で印刷されていたため、一部公演の開演が2時間ずれた。
2011年以降は断続的に活動を続けており、2020年代にはストリーミング再生数が累計1.8億回を突破したと発表された。もっとも、この数字には「作業用BGMとして24時間流し続けた自動再生機」の分が相当量含まれるとみられている。
音楽性[編集]
インターナショナルの音楽性は、を基調としつつ、の旋法と港湾労働歌の掛け声を接合したものと説明されることが多い。特に宇多川の作曲法は、五線譜の代わりにを用いる点で異彩を放っていた。
また、楽曲構造には「逆進行コーラス」と呼ばれる手法が用いられた。これはサビの最後の一音から先に録音し、歌詞の意味を後から追いかける方式で、批評家の間では「論理的に破綻しているが情緒だけは豊か」と評された。
音色面では、製のシンセサイザーと、篠宮が海外旅行で持ち帰ったというの電子音を混ぜたサウンドが特徴とされた。なお、二枚目のアルバム以降は立石の提案で駅の自動放送が断片的に挿入されるようになった。
人物[編集]
3人はいずれも寡黙であったが、制作中は異様に細かい数字にこだわったことで知られる。宇多川は「曲の転調回数は奇数でなければならない」と主張し、篠宮は「歌詞の名詞は1曲につき7個まで」と制限していた。
立石は外部との交渉を担当することが多く、地方営業では必ずの天気欄を確認してから会場入りしたという。本人曰く「湿度は高音より先に人間関係を曇らせる」ためである。
また、ファンへの対応が非常に丁寧で、1989年頃には全国の会場で握手した人数を自分たちで集計し、通算1万2,406人と発表した。もっとも、この数値は翌月に事務所が「名簿の重複記入があった」と訂正している。
評価[編集]
音楽評論家のは、インターナショナルを「日本のポップスが国境の概念を借用した最初期の成功例」と評価した。一方で、は「彼らの国際性は実際には方位磁針の執着にすぎない」と批判している。
ただし、長年に渡る活動と功績がゆえに、のちのシティポップ再評価の文脈ではたびたび参照される存在となった。特に若い世代からは、楽曲の分かりにくさ自体が「情報の多い時代への抵抗」と解釈され、再生回数の伸長につながったとされる。
なお、海外ではとで熱心な支持層が確認された。理由については諸説あるが、「寒い都市ほど歌詞の意味が保温されるため」と説明した現地批評は、いまなお引用されることがある。
受賞歴・記録[編集]
1988年、『地平線の内側』で企画賞を受賞した。受賞理由は「都市生活における距離感の再定義」であったとされる。
1989年には『反対側の朝』がで上位10位に入り、ユニットとしては初の年間記録を残した。また、1992年には地方FM局24局による「夜明け前リクエスト」で連続1位を獲得し、局内で“朝を呼ぶ曲”として扱われた。
記録面では、1990年に行われた公演で、アンコールが5回に及び、終演時刻が予定より74分遅れたことが有名である。会場側は以後、当該公演だけは「延長前提」で消防計画を組んだという。
ディスコグラフィ[編集]
== シングル == * 港のない国(1986年) * 反対側の朝(1987年) * 白い経線(1988年) * 地図の裏の月(1990年) * 帰れない気圧(1992年)
== アルバム == * 北回り時刻表(1984年) * 地平線の内側(1988年) * 夕方の国境線(1991年) * 再会は北のほうから(2001年)
== ベスト・アルバム == * インターナショナル大全集 1983-1994(1995年) * Meridian Files(2004年)
== 映像作品 == * 夜の地図帳(1989年) * 経度を越える夜 - Live at 中野サンプラザ(2003年) * 逆方向の拍手(2012年)
なお、配信限定シングルとして2021年の『』があるが、制作時に駅構内で録音した実音が許諾問題を避けるため全体の17%だけ差し替えられた。
ストリーミング認定[編集]
2023年、主要音楽配信サービス上で累計再生数1億回を突破し、の独自集計では「準プラチナ相当」の扱いを受けたと報じられた。もっとも、この認定はアルゴリズム改修前のデータを一部含むため、関係者の間では「歴史的認定」とも呼ばれている。
また、代表曲『反対側の朝』は、深夜帯のプレイリストにおいて再生完了率92.4%を記録した。これは、終盤に入る3分12秒の無音区間を「歌の余韻」と感じるか「通信障害」と感じるかで評価が割れたためである。
タイアップ一覧[編集]
『港のない国』はのキャンペーンソングに起用された。『白い経線』は関連の啓発番組で断続的に使用され、地図帳の売上増に寄与したとされる。
『地図の裏の月』はの終電案内CMに採用され、夜間帯のイメージ向上に一役買った。『帰れない気圧』はの防災啓発特番で流され、視聴者の不安を妙に煽るとして賛否が分かれた。
なお、1993年の『夕方の国境線』は、の時報前ジングルとして試用されたが、時報が曲のサビに負けるため採用見送りとなった。
ライブ・イベント[編集]
インターナショナルは、会場ごとにテーマを変えるライブ演出で知られた。1989年の『』では、各都市で演奏順を方角に合わせて入れ替え、公演だけアンコールの位置が北東になっていた。
1990年の公演では、舞台中央に本物の回転式地球儀が置かれ、回転に合わせて照明が追随する演出が行われた。しかし地球儀の回転が想定より速く、2曲目から地図上の国名が読みづらくなったため、以後は透明アクリル製に変更された。
再結成後の2003年ツアーでは、各地で会場限定の即興曲が演奏された。特に公演で披露された「北へ向かう影」は、観客が静かすぎてメンバーがリハーサルと誤認したという逸話が残る。
出演[編集]
=== テレビ === * 『』() * 『ポップス・アーカイブ1988』() * 『土曜スタジオ前の15分』()
=== ラジオ === * 『インターナショナルの経度ゼロ通信』() * 『深夜の港と方位磁針』()
=== 映画 === * 『』(2001年、本人役)
=== CM === * 「新版・家庭用世界地図」 * 「M-12 目覚まし時計」
ラジオ出演では、3人が放送中に沈黙しすぎて、パーソナリティの代わりに時刻表の読み上げ音声が差し込まれた回が有名である。
NHK紅白歌合戦出場歴[編集]
1988年の第39回に初出場し、『反対側の朝』を披露した。演出上、背後の大型スクリーンに実在しない海岸線が映し出され、視聴者から「年末に旅行番組を見ているようだ」と評された。
1990年、1992年にも出場したが、いずれも曲の途中で方位表示が切り替わる演出が過剰であったため、放送後に再編集版が地方局へ配布されたとされる。なお、1992年の出場時には司会者が歌い出しの前に「北はどちらですか」と尋ねたという逸話が残っている。
脚注[編集]
[1] 公式プロフィールでは1982年結成とする資料もあるが、後年の会報で1983年に訂正されている。
[2] ただし、初期の資料では「都市民謡」ではなく「都市の民謡風演奏」と表記されていた。
[3] 当時の楽器解説書『テープと方位の研究』による。
参考文献[編集]
『都市民謡と電子音の接点』, 1999年, pp. 44-71.
"Transnational Pop on the Perimeter" *Journal of East Asian Sound Studies*, Vol. 12, No. 3, 2007, pp. 115-139.
『深夜放送の地図学』, 2005年, pp. 9-38.
"Compass-Driven Harmony in 1980s Tokyo" *Popular Music Quarterly*, Vol. 18, No. 2, 2011, pp. 201-226.
『日本ポップスの外周』, 1996年, pp. 88-104.
『北回り時刻表 解説ノート』, 1984年, pp. 3-19.
「方位磁針と歌謡曲」『音楽批評』第27巻第4号, 2001年, pp. 52-60.
"The Strange Geography of International" *Tokyo Sound Review*, Vol. 9, No. 1, 2014, pp. 1-23.
『再結成バンドの儀礼と観客心理』, 2010年, pp. 140-166.
『中野区音楽史資料集 1980-2005』, 2008年, pp. 77-91.
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
公式サイト
北緯芸能企画アーティストページ
Polar Meridian Records ディスコグラフィ
インターナショナル資料館
中野区音楽アーカイブ
脚注
- ^ 【田辺慎一】『都市民謡と電子音の接点』【北緯書房】, 1999年, pp. 44-71.
- ^ 【Margaret A. Thornton】"Transnational Pop on the Perimeter" *Journal of East Asian Sound Studies*, Vol. 12, No. 3, 2007, pp. 115-139.
- ^ 【久保田ミサオ】『深夜放送の地図学』【港文社】, 2005年, pp. 9-38.
- ^ 【Michael R. Eddington】"Compass-Driven Harmony in 1980s Tokyo" *Popular Music Quarterly*, Vol. 18, No. 2, 2011, pp. 201-226.
- ^ 【高城肇】『日本ポップスの外周』【新潮アーカイブ】, 1996年, pp. 88-104.
- ^ 【宇多川倫】『北回り時刻表 解説ノート』【Polar Meridian Press】, 1984年, pp. 3-19.
- ^ 【平井和久】「方位磁針と歌謡曲」『音楽批評』第27巻第4号, 2001年, pp. 52-60.
- ^ 【S. Nakamori】"The Strange Geography of International" *Tokyo Sound Review*, Vol. 9, No. 1, 2014, pp. 1-23.
- ^ 【佐伯礼子】『再結成バンドの儀礼と観客心理』【東都出版】, 2010年, pp. 140-166.
- ^ 【中野区文化振興課】『中野区音楽史資料集 1980-2005』, 2008年, pp. 77-91.
外部リンク
- 公式サイト
- 北緯芸能企画アーティストページ
- Polar Meridian Records ディスコグラフィ
- インターナショナル資料館
- 中野区音楽アーカイブ