ウィキペディア
| 名称 | ウィキペディア |
|---|---|
| 英語名 | Wikipedia |
| 運営形態 | 分散編集・共同監査方式 |
| 創設 | 1978年(索引自動化実験として) |
| 本拠地 | 米国サンフランシスコ湾岸研究区 |
| 編集方式 | 匿名編集と段階承認 |
| 主要言語 | 多言語 |
| 利用料 | 無料 |
| 特徴 | 脚注密度が極端に高い |
| 通称 | 百科の迷宮 |
ウィキペディア(英: Wikipedia)は、方式で編纂されるであり、一般には百科事典の一種として扱われている[1]。その起源はにで行われた索引自動化実験にさかのぼるとされ、のちにの情報工学者らによって現在の形に整えられた。
概要[編集]
ウィキペディアは、によって項目を増殖させるであるとされる。一般利用者が閲覧・編集できる点に特色があり、項目ごとにやが付随することから、単なる辞書ではなく「注釈を食べて育つ知識の生態系」と形容されることもある。
同事典は、当初はの索引更新を自動化する目的で設計されたが、1980年代末に利用者が索引より本文を増やし始めたことで、現在のような巨大な共同編集媒体へ変質したとされる[1]。なお、初期の開発会議では「百科事典よりも、全員が少しずつ責任を負う記録装置」と説明されていたという。
歴史[編集]
索引装置としての成立[編集]
起源は、の付属計算室で行われたの電子化実験に求められる。中心人物は情報工学者のと、編集規約設計に携わった図書館学者である。彼らは当初、研究者が参照した文献だけを機械的に並べる装置を想定していたが、試験運用中に学生たちが「関連語」を勝手に増設し、わずか11日で索引項目が3倍に膨れ上がった。
この暴走を受け、には「本文の可変更新を許容する」という方針が導入された。これにより、ウィキペディアの原型は図書館の付属装置から、書き換え可能な知識基盤へと変化したとされる。なお、当時の記録には「編集者の半数が文献を読まずに見出しだけ増やしていた」との記述があり、後年の編集文化を予告していたともいえる。
共同編集モデルの確立[編集]
、米国ので開催された公開情報会議において、らが「匿名参加でも品質を維持するための三層承認制」を提案した。これは、任意編集→地域監査→専門委員会確認という順で記事を通過させる仕組みで、後のウィキペディアの骨格になったとされる。
もっとも、利用者側はこの制度をすぐに迂回し、記事末尾に大量の「補遺」を付けることで半ば承認抜きで内容を増やした。1989年の内部報告書では、補遺欄が本文の1.7倍に達した項目が47件あり、うち19件は植物学の項目であるにもかかわらず、内容の大半が地方伝承だったという。
世界的普及と分裂危機[編集]
以降、ウィキペディアは多言語化を急速に進め、、、などが相次いで立ち上がった。特に日本語版では、記事の中立性を守るために「語尾をです・ます調にしない」という運用が独自に強調され、後に世界各地へ輸出されたという説がある。
一方での「三月改稿危機」では、編集者が同一項目を24時間で1,200回更新し、サーバー側が見出しごとに自動凍結する事態となった。このとき、に相当する統括機構が臨時設置され、以後は「自由編集」と「内容保全」の両立が最大の課題になったとされる[2]。
編集文化[編集]
ウィキペディアの編集文化は、しばしば、、の三原則に支えられていると説明される。しかし実際には、初期編集者の多くが自分の専門分野を過剰に詳述し、他分野を数行で済ませる傾向があり、これが「セクションごとの温度差」を生んだとされる。
また、タグの原型は頃に登場した「出典待ち札」である。これは、未確認の記述に札を差し込んでおく図書館用具を転用したもので、当初は3日以内に文献が補われる前提だったが、実際には平均42日間残留したという。こうした運用により、ウィキペディアでは「不確かだが消せない情報」が可視化され、結果として編集者の慎重さが制度化された。
監査人と巡回編集者[編集]
ごろから、各言語版には「巡回編集者」と呼ばれる利用者が現れた。彼らは新規項目の語尾、括弧の位置、年号の整合性を見張る役割を担い、1日平均で86件の軽微修正を行ったとされる。なかにはの誤用だけを専門に修正する人物もおり、コミュニティ内では半ば伝説化している。
この職能は正式な役職ではなかったが、には「半公式監査団」として認知され、記事の荒れ具合を示す独自の指標まで作られた。指標が高い項目ほど文体が熱く、引用が少なく、図表が妙に派手になる傾向があったという。
議論ページの制度化[編集]
議論ページは、本文に書けない補足や対立点を集積する場として機能した。特に以降は、各項目の裏側に「本文より長い対話」が付くようになり、ある項目では議論ページが28万字に達した一方、本文はわずか4,100字であった。
この現象は「知識の本体は記事ではなく、記事をめぐる合意の履歴である」とする思想につながった。後年の研究では、ウィキペディアの真価は項目数よりも、互いに矛盾する編集案を折り畳む能力にあると指摘されている[3]。
社会的影響[編集]
ウィキペディアは、学校教育から行政文書、企業の社内辞典にまで浸透し、後半には「最初に読む百科事典」としての地位を確立したとされる。とくに対策では、受験生が記事を丸暗記するのではなく、関連項目を辿って周辺知識を広げる学習法が流行した。
また、新聞業界では「一段落で要点が見える」文体が好まれるようになり、地方紙の見出しもウィキペディア風に長文化した時期がある。これに対し一部の学者は、知識が平準化されすぎて「すべてが同じ箱に入る危険」があると批判したが、利用者側はむしろそれを利点とみなし、百科事典の民主化として受け止めた。
なお、の調査では、利用者の約68%が「最初は娯楽として見始めたが、いつのまにか脚注を読んでいた」と回答している。これは、ウィキペディアが情報媒体であると同時に、注意力を奪う装置でもあることを示しているとされる。
批判と論争[編集]
批判として最も多いのは、匿名編集ゆえの誤記・偏向・過剰な細部化である。特にの「香辛料条項論争」では、ある料理記事においての用量をめぐって編集合戦が発生し、3日間で編集回数が2,300回を超えた。最終的には「家庭差がある」との一文で妥結したが、同項目はその後も監視対象となった。
また、学術界からは「出典が多いほど正しいとは限らない」という指摘が繰り返されている。一方で、ウィキペディア側は「出典の過剰さは、むしろ編集履歴の透明性を示す」と反論し、論争は現在も続いている[4]。なお、2017年に導入された自動整形機能は、一部の古参編集者から「文章が整いすぎて人間味が消えた」と不評であった。
構成と技術[編集]
技術的には、ウィキペディアはとを核とする。各記事は見出しごとに分割され、初出語にはリンクが付されるが、この規則は当初「読み飛ばし防止のため」と説明されていた。実際には、利用者が関連項目へ脱線し続けることを前提に設計されたともいわれる。
編集支援には、誤字訂正、リンク候補提示、出典形式の自動整形などがある。ただし、1999年から2006年にかけては、テンプレートの複雑化により「保存ボタンを押しただけで注釈欄が増える」事故が複数回報告された。これを受けて、システム設計者は「便利さは文法を侵食する」と述べたと伝えられている。
なお、特定の巨大項目では本文よりも表組みのほうが先に完成することがあり、その後に説明文が追いつく現象が確認されている。これは百科事典というより、完成を先延ばしにする共同工事に近いと評された。
脚注[編集]
[1] J. H. Rutherford, "Distributed Indexes and the Birth of Open Reference", _Journal of Applied Cataloguing_, Vol. 12, No. 3, pp. 41-68, 1982.
[2] 井上澄子『共同編集の社会史――公開知識網の形成』北斗出版, 2004年.
[3] Margaret L. Quinn, "Consensus by Revision: Notes on Wiki-like Systems", _Information Commons Review_, Vol. 7, No. 1, pp. 5-29, 1996.
[4] 山岸宗一『要出典タグの倫理学』新潮社, 2011年.
[5] Naomi Bennett, "Three-Layer Approval and the Problem of Enthusiastic Amateurs", _Proceedings of the San Francisco Conference on Public Knowledge_, pp. 102-119, 1987.
[6] 佐伯真一『脚注過多社会の誕生』岩波書店, 2013年.
[7] "Wikipedia and the Ecology of Citation", _Cambridge Digital Studies_, Vol. 4, No. 2, pp. 211-240, 2009.
[8] 渡会久美子『百科事典はなぜ増殖するのか』東京書籍, 2018年.
[9] E. P. Holloway, "The Day the Headlines Learned to Link", _New Media Quarterly_, Vol. 19, No. 4, pp. 77-93, 2015.
[10] 『ウィキペディア運用史資料集 第三巻』公開知識研究所, 2020年.
関連項目[編集]
脚注
- ^ J. H. Rutherford, "Distributed Indexes and the Birth of Open Reference", Journal of Applied Cataloguing, Vol. 12, No. 3, pp. 41-68, 1982.
- ^ 井上澄子『共同編集の社会史――公開知識網の形成』北斗出版, 2004年.
- ^ Margaret L. Quinn, "Consensus by Revision: Notes on Wiki-like Systems", Information Commons Review, Vol. 7, No. 1, pp. 5-29, 1996.
- ^ 山岸宗一『要出典タグの倫理学』新潮社, 2011年.
- ^ Naomi Bennett, "Three-Layer Approval and the Problem of Enthusiastic Amateurs", Proceedings of the San Francisco Conference on Public Knowledge, pp. 102-119, 1987.
- ^ 佐伯真一『脚注過多社会の誕生』岩波書店, 2013年.
- ^ "Wikipedia and the Ecology of Citation", Cambridge Digital Studies, Vol. 4, No. 2, pp. 211-240, 2009.
- ^ 渡会久美子『百科事典はなぜ増殖するのか』東京書籍, 2018年.
- ^ E. P. Holloway, "The Day the Headlines Learned to Link", New Media Quarterly, Vol. 19, No. 4, pp. 77-93, 2015.
- ^ 『ウィキペディア運用史資料集 第三巻』公開知識研究所, 2020年.
外部リンク
- 公開知識研究所
- 百科の迷宮アーカイブ
- 共同編集史料館
- サンフランシスコ公開情報会議記録室
- 要出典タグ研究会