ウンチーコング
| 名称 | ウンチーコング |
|---|---|
| 読み | うんちーこんぐ |
| 英名 | Unchi Kong |
| 分野 | 港湾史、民俗学、都市広告史 |
| 成立 | 1930年代頃とされる |
| 発祥地 | 大阪港周辺 |
| 主な関係者 | 高瀬定吉、ドロシー・M・ハーウッド、岡本千代蔵 |
| 特徴 | 荷役具から娯楽装置へ転用された点 |
ウンチーコングは、前半のとの接点から生まれたとされる巨大搬送概念である。もともとはで荷役補助に用いられた木製架台の俗称であったが、のちにの広告業界で再解釈され、都市伝説的な人気を得た[1]。
概要[編集]
ウンチーコングは、巨大な背負い式搬送具、あるいはその周辺文化を指す名称であると説明されることが多い。とくに初期ので、樽や袋物を人力で高所へ移すための補助具として考案され、その独特な形状が類人猿の背中に似ていたことから現在の俗称が定着したとされる[2]。
一方で、1950年代にはの内部資料において、消費者の記憶に残る奇妙な語感を利用した「反復記号付き商品名」の成功例として再評価され、玩具、菓子、土産物の分野に流入したとされる。この過程で、実用器具とキャラクター、さらに地域振興のマスコットが混線し、今日では定義が一定しない。
起源[編集]
大阪港の荷役現場[編集]
起源として最もよく引かれるのは、にの下請け倉庫で起きた「樽段差事故」である。高さ約1.7メートルの桟橋に荷を上げる際、職長の高瀬定吉が古材と麻縄を組み合わせた即席台を作らせたところ、作業員の一人が「まるで猿に荷を背負わせたみたいだ」と発言し、これが「コング」の語源になったとされる[3]。なお、「ウンチー」は現場で荷の下端を示す符牒「うんち梁」に由来するという説が有力であるが、異説も多い。
この道具は、単に踏み台としてではなく、作業者が腹部を前に突き出す独特の姿勢を取るため、見た目の滑稽さが強調された。倉庫の夜警日誌には「本日、二名がウンチーコングを使用し、笑いを堪えきれず一度落下」との記述が残るとされるが、原本の所在は不明である。
民俗学者による命名[編集]
、の民俗学者であった岡本千代蔵が港湾調査の一環として現地を訪れ、現場用語を採集したことが、概念の定着に大きく寄与したとされる。岡本は報告書『大阪湾沿岸における搬送儀礼の断片』で、作業の前に掌を三回打ち合わせる習俗を「猿神への敬礼」と誤認し、そこに機械文明以前の神性を見いだした[4]。
この誤読が、単なる荷役具を「半ば儀礼化された身体拡張装置」と見なす解釈を生み、以後の研究者は真偽の判別よりも用語の定義拡張に熱心になった。結果として、ウンチーコングは器具名であると同時に、労働者の即興性を象徴する文化概念として扱われるようになった。
発展[編集]
戦後の玩具化[編集]
、の玩具商・山根玩具製作所が、折りたたみ式の小型模型を「机上で遊べるウンチーコング」として発売した。定価は当時ので、同社の月産は平均に達したとされる。箱絵には、ヘルメット姿の少年が木箱を抱え、背景で笑顔の猿が拍手しているという不思議な構図が採用された。
この商品が注目された理由は、遊具としての性能ではなく、組み立て途中に必ず部品が一つ余る設計にあったとされる。説明書末尾の「余剰部品は縁起物として財布に入れるべし」という一文が話題を呼び、ある時期にはの雑貨店で「幸運の残部品」として単品販売されるまでになった。
広告業界への流入[編集]
、の広告代理店・東光宣伝社が、テレビCMの初期実験としてウンチーコングを起用した。出演者は無名の体操教師と本物のチンパンジー二頭で、制作費は、撮影はわずかで終わったとされる。しかし完成した映像は、製品よりも出演者が器具から落ちる瞬間ばかりが視聴者の記憶に残り、結果として「転落しても成立する広告」の元祖と呼ばれるようになった。
この成功を受け、の一部加盟局では、商品名の語尾に「コング」を付けると問い合わせが平均増加するという社内メモが共有されたという。もっとも、その統計はサンプル数に過ぎず、後年の研究では「偶然の可能性が高い」と指摘されている。
社会的影響[編集]
ウンチーコングは、労働安全の象徴として扱われる一方、笑いを介した共同体形成の道具としても注目された。とくに期の港湾都市では、作業班ごとに「今日は誰がコングに乗るか」を決めるくじ引きが行われ、これが半ば儀式化したとされる。労働災害の抑止よりも、現場の緊張を和らげる役割が大きかったという証言が多い[5]。
また、にはの残材を利用した大型展示「未来の荷役像」に組み込まれ、観客が実際に背負って写真撮影できる企画が好評を博した。来場者数は1日平均とされるが、雨天時には滑りやすさのため稼働率が落ち、係員が軍手をずつ配布したという細部が妙に具体的である。
批判と論争[編集]
もっとも、ウンチーコング史には多くの異論がある。港湾労働史研究の一部では、そもそも「ウンチーコング」という語がの地方紙見出しで作られた可能性を指摘しており、前史とされる記録の大半が後年の回想録に依存している。とくに高瀬定吉の実在性については、の名簿に類似名が複数見つかるだけで、決定的な同定には至っていない[6]。
また、所蔵とされる広告資料のうち数点は、紙質が以降のものと合致するとの鑑定が出ており、研究者のあいだでは「成立史の大半が後世のレトロ趣味で補強されたのではないか」という見方もある。ただし、こうした批判にもかかわらず、現場労働と笑いを結びつける象徴としての価値はむしろ増している。
派生文化[編集]
祭礼と観光[編集]
の一部地域では、毎年に「うんちーこんぐ祭」と呼ばれる小規模な催しが行われる。参加者は背負子に似た木枠を背負い、飴玉入りの小袋を配るが、最終的には誰が一番うまく歩けるかを競うだけの行事である。観光協会の資料によれば、来場者のが「意味は分からないが面白い」と回答したという。
なお、祭りの終盤に鳴らされる金属製の鐘は、もとはコンテナ番号を記録するための標識だったとされるが、現在では「コングの帰還」を告げる鐘として説明されている。
現代のメディア展開[編集]
以降は、動画配信サイト上で「#UnchiKongChallenge」が流行し、椅子や段ボールを積み上げて同様の姿勢を再現する遊びが広まった。再生回数は最大でを超えたとされるが、危険性を理由に一部の学校で禁止された例もある。
一方で、の社会学ゼミでは、これを「都市の労働神話がインターネット上で脱文脈化した例」と位置づけている。もっとも、学生レポートの末尾には「ただし見た目が非常におかしいため、学術的検討以前に笑ってしまう」と記されていたという。
脚注[編集]
[1] ただし英名の定訳はなく、文献によっては "Unchi-Kong" とも表記される。 [2] 大阪港の初期記録は戦災で散逸したとされるため、同時代資料の確認は困難である。 [3] 高瀬定吉の証言は1956年の聞き書きに依拠するが、録音テープは現存しない。 [4] 岡本の原報告書は写しのみ伝わり、原本は附属図書館で未確認とされる。 [5] 近年の労働史研究では、実際には安全教育用の掛け声だったのではないかという指摘もある。 [6] なお、神戸港名簿の当該頁にはコーヒー染みがあり、判読不能箇所が多い。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬定吉『大阪港荷役具考』港湾史資料刊行会, 1958年.
- ^ 岡本千代蔵『大阪湾沿岸における搬送儀礼の断片』京都帝国大学民俗学研究室報告, Vol. 12, 第3号, 1934年, pp. 41-68.
- ^ Margaret A. Thornton, "Portable Labor and Simian Imagery in Postwar Japan," Journal of Urban Folklore, Vol. 8, No. 2, 1961, pp. 115-139.
- ^ 山根一夫『玩具と記憶の戦後史』東光出版, 1967年.
- ^ 東海林由紀『テレビ初期広告における反復語の効用』日本広告学会誌, 第14巻第1号, 1974年, pp. 9-27.
- ^ Klaus E. Vogel, "Cargo Rituals of the Japanese Port Cities," Pacific Studies Review, Vol. 21, No. 4, 1982, pp. 201-226.
- ^ 大阪市文化局編『港の笑いと安全教育』大阪市文化局, 1991年.
- ^ 田島由紀子『うんちーこんぐ祭の成立と地域神話』兵庫民俗, 第7号, 2004年, pp. 3-19.
- ^ Robert J. Fleming, "When Slapstick Met Logistics," The Anthropological Quarterly of Industry, Vol. 5, No. 1, 2011, pp. 77-93.
- ^ 関口美奈子『反復記号商品名の消費者心理』現代商業研究, 第19巻第2号, 2018年, pp. 88-104.
外部リンク
- 大阪港民俗資料アーカイブ
- 関西労働文化研究所
- 東光宣伝社資料室
- うんちーこんぐ祭 実行委員会
- 日本港湾ユーモア学会