ウーペンチャリン
| 名称 | ウーペンチャリン |
|---|---|
| 別名 | 回転孔列紙、WPC装置 |
| 分類 | 紙機械式情報媒体 |
| 起源 | 1898年ごろ・横浜港周辺 |
| 考案者 | 松浦 兼作ほか(諸説あり) |
| 主用途 | 航海計算、帳票圧縮、博覧会展示 |
| 流行期 | 1907年 - 1934年 |
| 材質 | 楮紙、亜鉛線、蝋引きインク |
| 特徴 | 孔列のずれで出力が変化する |
| 現況 | 一部の民間資料館で保存 |
ウーペンチャリンは、状の紙片を一定速度で回転させ、微細な孔列によって情報を段階的に露出させる古典的な記録・演算装置である。もともとはので航海計算の補助具として考案されたとされ、その後内の出版・測量・娯楽産業へ急速に広がった[1]。
概要[編集]
ウーペンチャリンは、紙を帯状に裁断して円筒に巻き、孔の配列と回転角の差によって文字・記号・数値を読み出す装置である。見た目は単純であるが、実際にはやが用いた「半機械式の判断装置」として扱われた。
名称の由来は、初期試作機の巻き取り音が「うー」と鳴り、孔列を通過する際に「ぺん、ちゃりん」と薄い金属片が触れる音を立てたことにあるとされる。もっとも、この説明は後年のの研究者が整えた俗説であり、港湾労働者の間では単に「回るやつ」と呼ばれていたという[2]。
歴史[編集]
誕生[編集]
最初のウーペンチャリンは、の輸入雑貨商・松浦兼作が、英国製のパンチカードと和紙の在庫処理帳を組み合わせて試作したものとされる。松浦は当時、の近くで海図の複写を請け負っており、誤記の多さに業を煮やして「紙そのものに計算を覚えさせる」発想へ至ったという。
試作機は高さ38センチ、直径14センチ、1回転あたり24列の孔を持ち、潮位表を3分で展開できたと記録されている。ただし、この数値はの『横浜工業雑報』にのみ見え、原本は関東大震災で失われたとされるため、真偽は定かでない[3]。
普及[編集]
ごろになると、からにかけての出版社が、改良型ウーペンチャリンを校正補助具として採用した。活字の並びを孔列に置き換えることで、長文の誤植を半自動的に検出できるとされ、当時の編集部では「校閲係が寝ない」と評判になった。
また、の一部部署では、海難報告の定型文を圧縮するために導入されたという。1枚の帯紙に最大128件の定型句を格納できたとされ、実際には担当官が記入欄を増やしすぎたため、巻き戻しに10分以上かかることもあった。これが「実務には向くが人格を削る装置」と評される原因となった[4]。
大流行と衰退[編集]
には、ウーペンチャリンはの雑誌社、の市場調査組合、さらにはの見世物小屋にまで広がった。とりわけ、孔列をランダムにずらすことで「明日の運勢」を表示する娯楽版が人気を博し、1日あたり平均2,400回の回転が記録されたと伝えられる。
しかし以降、電気式の集計機が普及すると、紙と蝋と亜鉛線を主材とするウーペンチャリンは急速に廃れた。なお、一部の民間伝承では、最後の実用機はの気象観測所でまで使われたとされるが、これは寒冷地で蝋が硬化しにくかったためという、やや都合のよい説明が付されている。
仕組み[編集]
ウーペンチャリンの基本構造は、内筒・外筒・孔列帯・読取針の四要素から成る。外筒を1/8回転させると、内部の孔がずれ、特定の記号列だけが透過表示される仕組みである。
特徴的なのは、情報の「欠落」を前提にしている点である。完全な文章を一度に出力するのではなく、3回から7回の回転で断片を積み上げ、最終的に意味を復元する。そのため、熟練操作者は「最初に読める部分より、最後に残る沈黙を重視した」とされ、これは後の研究者から「紙のレイテンシ制御」と呼ばれた[5]。
社会的影響[編集]
ウーペンチャリンは単なる道具ではなく、当時の都市文化に独特の影響を与えた装置である。例えば、の学校では、算術教育において「答えを一度に見せない」教材として使われ、児童が回転と停止を繰り返しながら解答を推定したという。
一方で、紙片を大量に消費するため、の前身企業が原紙供給を独占しようとしたとの指摘もある。さらに、孔列のズレを利用して秘密通信に転用された事例がの内部文書に散見されるとされ、これがのちの暗号趣味者の間で「紙の潜水艦」と呼ばれる所以となった[6]。
批判と論争[編集]
ウーペンチャリンに対しては、導入当初から「結局、速いのは最初だけで、最後は手で読んだほうが早い」との批判があった。特にの講演会では、機械論者の佐伯千里が「紙を回すたびに人間が儀式化する」と述べ、会場が静まり返ったという。
また、考案者を松浦兼作とする通説に対し、の古書店主・北村八重吉こそ真の発明者であるとする説も根強い。ただし北村説の根拠は、彼の店の帳簿に「うーぺんちゃりんの修理代 3円80銭」と書かれた一行があるのみで、学界では「支出記録による著作権主張」として半ば笑われている。
現代の再評価[編集]
以降、ウーペンチャリンはレトロ計算機愛好家や美術作家の間で再評価されている。とくにで開催された「紙の未来」展では、複製機が1,700人以上の来場者に回され、回転音を聞いた来場者の一部が「なぜか懐かしい」と答えたという。
現在では、古いオフィス文化を象徴するオブジェ、あるいは「情報は必ずしも速いほど良いわけではない」という比喩として引用されることが多い。なお、に周辺で発見されたとされる未使用の試作帯紙が、実はの流用品だった可能性も指摘されているが、保存会は展示を続けている[7]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松浦兼作『孔列紙帯装置の試作』横浜工業研究会, 1901年, pp. 12-19.
- ^ 佐伯千里『紙機械と都市事務』日本行政工学会誌 Vol. 4, No. 2, pp. 41-58, 1928.
- ^ 北村八重吉『帳簿に残る発明史』古書往来社, 1936年, pp. 201-214.
- ^ Margaret H. Ellison, “Rotational Paper Media and Early Urban Computation,” Journal of Maritime Devices Vol. 11, No. 3, pp. 77-103, 1964.
- ^ 田辺友一郎『港湾と孔列のあいだ』海文堂出版, 1972年, pp. 9-33.
- ^ Harold P. Winch, “The Wupenchalin Apparatus: A Study in Paper Latency,” Proceedings of the East Asian Mechanical Society Vol. 8, No. 1, pp. 5-26, 1985.
- ^ 小沢美紀『回る帳票の文化史』東京書房, 1999年, pp. 88-112.
- ^ D. R. Sutherland, “On the Audible Behavior of the Wupenchalin,” The Bulletin of Fictional Computing Vol. 2, No. 4, pp. 144-159, 2007.
- ^ 神崎澄江『ウーペンチャリンとその周辺』港湾資料叢書, 2011年, pp. 3-47.
- ^ 中西一樹『紙の未来はどこへ行ったか』未来装置研究所, 2020年, pp. 55-73.
- ^ 『うーぺんちゃりんの実用と美学』東西奇術評論 第3巻第7号, pp. 2-11, 1958年.
外部リンク
- 横浜紙機械資料室
- 東亜回転孔列アーカイブ
- 神奈川レトロ計算機保存会
- 架空情報工学年報
- 港湾文化デジタル図書館