エスタ
| 名称 | エスタ |
|---|---|
| 種類 | 観測兼迎賓施設(天文測位・晩餐ホール) |
| 所在地 | 山梨県甲州市(旧・谷合町域) |
| 設立 | (竣工)/(一般公開) |
| 高さ | 28.6メートル |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造+石積み外装、中央ドーム構造 |
| 設計者 | 長峰建築研究所(主任設計:長峰 亘) |
エスタ(えすた、英: Esta)は、にある[1]。
概要[編集]
エスタは、現在ではに所在する観測兼迎賓施設として知られている[1]。施設の中心はドーム状の計測空間であり、周辺には来賓用の回廊席と小規模な食堂棟が配置されている。
当初から単なる展望施設ではなく、夜間の気象観測と昼間の天文測位を同一建築で成立させることを目的として計画されたとされる[2]。そのため、回廊の照明計画は「星図の読み取り」基準に合わせて設計されたとされ、現在でも薄明かりが演出の要点になっている[3]。
名称[編集]
「エスタ」という名称は、開設時の官報で「E.S.T.A.=Eclipse Station & Ten-arcvisor Auditorium」の略称として説明されたとされる[4]。ただし、同じ官報の別頁では「語源は古韻律語の“方位帯”に由来する」とも記載されており、解釈が揺れている[5]。
一方で地元では、施設が谷合町の旧鉱道跡に建てられたことから「炭鉱の見張り所が星へ転用された」という伝承が流布している[6]。さらに、晩餐会の席順が固定ではなく「当日の月齢を基準に席が入れ替わる」制度だったため、来賓が迷って口ずさんだ短語が「エスタ」として定着した、という説もある[7]。
名称の表記揺れも特徴で、竣工直後の掲示板には「ESTA」「エスタ」「エス・タ」の3種類が併記されていたとする記録が残る[8]。このような揺れは、複数の事務系統が同時に運用を始めた結果であると推定されている。
沿革/歴史[編集]
構想から用地選定まで[編集]
エスタの構想は、の通信網を整える名目で、夜間測位の精度向上を狙った技術助成に端を発したとされる[9]。実務の中心にはの下部機関として設けられた「測位補助局」が置かれ、現地の谷合町には観測員の仮宿舎が先行して建てられたとされる[10]。
用地は西縁の標高差が大きい地形が理由とされ、測位誤差が「北向き風で平均0.17度増える」条件に対し、中央ドームが風の渦を相殺する設計にする方針が採られたとされる[11]。もっとも、同じ資料には「誤差は0.14度に収束した」とも書かれており、現場の計測が複数回で更新されたことがうかがえる[12]。
建設と運用の“やけに細かい”実務[編集]
エスタはに竣工し、翌に一般公開されたとされる[1]。建立は長峰建築研究所が担当し、構造の要点として「回廊の天井は厚さ18センチメートルの暗騒音層」を持つと説明された[13]。この暗騒音層は、観測作業中における来賓の足音振動が測器に与える影響を抑える目的だったという[14]。
運用面では、晩餐ホールの配膳台が回転する仕組みを持ち、テーブルを「月齢ごとに12分割」して配置換えする方式が採用されたとされる[15]。当時の運営手引書には、換気量の目標が「毎分2,480リットル(ただし乾燥日は2,610リットル)」と書かれており、細部の徹底がうかがえる[16]。
ただし、1930年代後半には観測予算が縮小し、目的が変化したとされる。いわゆる“星の客”から“客の星”へと転換することで、迎賓色が強められたという指摘がある[17]。この転換は、施設の看板照度が「夜間照度9.5ルクス→3.2ルクスへ減光」されたという記録にも反映されている[18]。
戦後の保存と観光化[編集]
戦後の時期には、エスタはの自治体が管理する文化財候補施設となり、登録手続きが進められたとされる[19]。この過程では、ドーム外装の石積みが当初の仕様と異なる部分があるとして、図面照合が行われたとされる[20]。
現在では、エスタは「当初の測位設計思想」を保持した建造物として、観光資源化と教育普及が並行して行われているとされる[21]。なお、一般公開日は春と秋に限られ、昼は方位学講座、夜は“疑似天文投影”の催しが開催されることで知られる[22]。
施設[編集]
エスタは、中央ドームを核とする複合空間として計画されている[2]。ドームは直径約14.2メートルの半球であり、天井面に放射状の筋が設けられて「星図を読みやすくする目安」を提供しているとされる[23]。
回廊は二層構造で、外周は石積み外装、内側は鉄筋コンクリートの梁が露出する仕上げになっているとされる[24]。回廊席には固定の番号札があり、来賓は到着時に受け取った「月齢札」によって席を割り当てられたとされる[25]。この制度は現在でも体験メニューの一部として残り、「席がわからないのに帰らないでほしい」という運営方針が冗談めいて語られている[26]。
また、食堂棟には“静かな湯気”を意識した煙道が組み込まれており、気流が測器室へ流れ込まないよう、煙突の立ち上げ角が「風向計の平均値に合わせて18度」と説明されている[27]。さらに、非常階段は来賓導線から完全に切り離されており、防火扉には手回し式の閂機構が残るとされる[28]。
交通アクセス[編集]
エスタは、内の観光導線に合わせて案内されることが多い。最寄りの主要拠点としてはの相当(便宜上の呼称として“塩山口”と表記されることがある)が挙げられ、そこからは路線バスで「谷合町役場前」停留所へ向かう動線が一般的とされる[29]。
施設周辺には、観測行事の開催日だけ運用される臨時駐車区画が用意される場合がある[30]。臨時区画の枠数は「普通車113台・大型2台」を上限とし、並び順は坂道の勾配に合わせて区画係が手旗で誘導するとされる[31]。
徒歩の場合は、旧鉱道跡の遊歩道(エスタ道)を利用することが推奨される。なお、この遊歩道は夜間暗さが強いため、常設灯が設置されたのはからであるとされる[32]。この時期の整備をめぐって、観測目的との調整が難航したという逸話もある[33]。
文化財[編集]
エスタは、地元の文化財枠組みにおいて「近代観測建築」として位置づけられている。登録上の扱いとしては、の教育委員会が所管する“景観保全型”の指定候補に含まれたのち、現在では建造物としての登録が進んでいるとされる[34]。
指定理由としては、(1)中央ドームの測位思想が図面と整合している点、(2)迎賓空間が観測運用と連動している点、(3)外装石積みの施工記録が比較的まとまって残存している点が挙げられる[35]。さらに、石積みの目地幅が「平均3.6ミリ」であることが計測報告書に記載されており、細部の再現性が評価されたとされる[36]。
ただし、戦後に一部補修が入ったため、史料によってはドームの補修痕が“当初から存在した”かのように記されているという指摘もある[37]。この相違は、保存担当者の記録整理が複数年にわたり行われた結果であると推定されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 長峰 亘『観測兼迎賓施設の設計記録—エスタの図面と運用—』長峰建築研究所, 1934.
- ^ 測位補助局『月齢に基づく席割制度と換気設計の試験報告』逓信技術叢書, 1935.
- ^ 鈴木 祐介『谷合町旧鉱道跡の地形計測(甲州市調査報告 第7号)』山梨県測量会, 1959.
- ^ H. M. Caldwell, “Architectural Acoustics for Night Observatories,” Journal of Practical Astronomy, Vol. 12 No. 4, pp. 201-219.
- ^ 【山梨県】教育委員会『景観保全型指定の手引き(建造物編)』山梨県教育委員会, 1989.
- ^ 田辺 明『回廊照明と星図視認性の相関試験』光学研究年報, 第3巻第2号, pp. 33-41.
- ^ 佐伯 純一『石積み外装の目地幅管理—近代建築の施工精度—』建築技術史叢書, 第14巻第1号, pp. 88-102.
- ^ 内閣府史料部『戦後の自治管理へ移行した建造物の事務処理』官庁史料選書, 1977.
- ^ Catherine J. Ward, “The Eclipse Station Mythos in Regional Tourism,” Bulletin of Imaginary Heritage, Vol. 9, pp. 77-95.
外部リンク
- エスタ観測記録アーカイブ
- 甲州市観光回廊マップ
- 谷合町役場の月齢案内板
- 近代観測建築研究会(非公式)
- エスタ道 進路標識ギャラリー