ショッピングセンターエル
| 名称 | ショッピングセンターエル |
|---|---|
| 種類 | 廃墟化したショッピングセンター(複合商業建築) |
| 所在地 | (霧島火山群南麓の丘陵地帯) |
| 設立 | (開業)/(閉館) |
| 高さ | 約18.7メートル(屋上看板を含む) |
| 構造 | 鉄骨造(一部鉄筋コンクリート造) |
| 設計者 | (設計監理:渡辺精一郎) |
ショッピングセンターエル(しょっぴんぐせんたーえる、英: Shopping Center L)は、にある[1]。現在では一部フロアに照明とBGMが残存しているとされ、夜間の目撃例が複数報告されている[2]。
概要[編集]
は、に所在する廃墟化したショッピングセンターである[1]。元は地域住民の生活導線を担う核店舗として計画され、閉館後も館内放送の一部が稼働し続けたとされる点で知られる[2]。
建物は、来館者の「回遊」を目的として導線が多層化されており、結果として空調停止後も特定区画に音が残りやすい構造だったと説明されることがある[3]。なお、目撃談ではBGMの旋律が時間帯ごとに変化し、同一週に限り同じ楽曲が流れたという記録が、匿名の掲示板投稿から整理されたとされる[4]。
名称[編集]
名称の「エル」は、初期の広報資料では「生活(Life)」「購買(L購買)」「回遊(Loop)」の頭文字を組み合わせた略称とされていた[5]。ただし、後年に保存されていた開業準備会議録では、実際には「地形のL字屈曲(L字コリドー)」に由来する記載があったと指摘されている[6]。
一方、設計者側の証言として「建物を“左回りの輪(L)”として体験させる」理念が述べられたとする文献もある[7]。このように、名称は複数の解釈が併存しており、結果として通称として「SCエル」「L館」などの呼称も用いられるようになった[8]。
沿革/歴史[編集]
計画はに「えびの市都市環境整備推進委員会」内で提案され、当初は駐車場単体の整備として始まったとされる[9]。しかし同年の現地調査で、来訪者が国道から造成地へ迂回する距離が1日あたり平均1,240メートル(冬季は1,510メートル)に達していることが判明し、回遊型の商業施設が必要だと結論づけられた[10]。
に開業したショッピングセンターエルは、開業初年度の来館者数が推計で年間約412万人、平均滞在時間は18分12秒とされる[11]。一見すると順調であったが、裏側では空調ダクトの経路が想定より複雑で、停電復旧時に一部スピーカー系統へ逆流する構造的癖が発見されたという[12]。
に閉館したのち、館内放送が「偶発的に」再稼働したと語られる事件が起きたとされる。現地自治会の集計では、閉館後の夜間目撃が最初の3か月で月平均27件にのぼり、うち6件が「BGMが同時に2箇所から聞こえた」内容であったと報告された[13]。この数字の詳細さが、後に怪奇現象の語りの根拠として繰り返し引用されることになったと考えられる[14]。
ただし、観光化が進むにつれて「故障ではなく、残留回路が一定周期で起動しているだけ」とする実務的見解も現れた[15]。それでも住民のあいだでは、なぜか毎月第2日曜の19時19分にだけ音が澄むという伝承が残り、信仰と点検記録が交差する形で物語が増幅された[16]。
施設[編集]
施設は延床面積約23,600平方メートルを有し、1階が生活雑貨、2階が飲食と学習用品、3階が催事スペースとして構成されていたとされる[17]。建物の中心には「L字回遊コリドー」と呼ばれる吹き抜け状通路が設けられ、歩行者が自然に折り返す導線が設計意図として強調されていた[18]。
構造面では、屋上看板が約18.7メートル相当のランドマークとして機能するよう配置され、風荷重計算の基準風速は当時の技術資料では秒速34メートルとされている[19]。また、音響設計は「床反射率を高めるため、天井高を均一化した」と説明されており、閉館後は天井裏に残存した残響がスピーカーの断片音を増幅したのではないかと推定されている[20]。
テナントはチェーンだけでなく地元事業者も誘致され、開業時点で45区画のうち約11区画が“霧島茶・加工品”系の店舗だったと記録される[21]。なお、現在では多くが破損しているが、売場の区画番号札だけが風化しにくい素材で貼られていたため、訪問者が「どこまでが当時の番号か」を再現しようと試みることがある[22]。
交通アクセス[編集]
ショッピングセンターエルは鉄道駅からの徒歩導線を重視して計画された。開業当時、最寄りとされたのは内のであり、徒歩で約2.6キロメートル、所要時間は雨天で約35分と案内されていた[23]。
道路面では、側からの導入を意識し、施設西側に「Lゲート」と呼ばれる車寄せを設けたとされる。Lゲートは幅員10メートルで、入庫待ちの列長が最大84台分に収まる設計だったとされる[24]。この数値は当時の交通課資料で繰り返し引用され、結果として閉館後も「84台分の沈黙」という比喩表現が残ったとされる[25]。
また、深夜の目撃談では「駐車場の区画灯が点いているのに、車の影がない」という報告がある。この点については、低出力の非常灯回路が壁面配線の一部にだけ接続されていたためではないかとする電気工事技師の推測が示されている[26]。ただし、配線図そのものは現存せず、確証は得られていない[27]。
文化財[編集]
ショッピングセンターエルは、建造物としての価値を“怪奇現象を含む生活文化”として再評価する流れの中で、いわゆる登録文化財相当の枠組みに近い扱いで注目されていると説明されることがある[28]。具体的には、の景観保全部局が「音の残響を含む遺構」として調査対象に指定したという[29]。
なお、自治体発表の資料では、建物の保存方針が「破損進行を抑える一方、内部の一部残響装置は残す」とされる[30]。一方で、専門家の間では、スピーカー配線の独自改造が安全上の問題になり得るとして、観光利用には慎重な意見が出されたとも言及されている[31]。
最終的に、施設は現時点で公的な有形文化財指定を確定的に受けたものではないとする見解もあり、報道は一致していない[32]。ただし、来訪者が「毎月第2日曜の19時19分」に合わせて訪れる習慣が形成されたことが、結果として“現代の民俗”を生む要因になったと論じられている[33]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ えびの市『えびの市都市環境整備推進委員会報告書(昭和六十二年度)』えびの市役所, 1988.
- ^ 渡辺精一郎『音響導線設計の現場』エル・アーキテクツ出版局, 1992.
- ^ 株式会社エル・アーキテクツ『ショッピングセンターエル建築計画概要(第1版)』株式会社エル・アーキテクツ, 1990.
- ^ 田中啓介「地方圏の複合商業施設が生む回遊行動の推定」『交通行動研究』Vol.12 No.3, 1994, pp.51-68.
- ^ 宮崎県文化保全課『景観保全と遺構の評価指針(改訂版)』宮崎県, 2012.
- ^ Hiroshi Sakamoto, “Acoustic Echoes in Abandoned Retail Complexes,” Journal of Built Sound, Vol.7 No.1, 2016, pp.10-22.
- ^ Evelyn Carter, “After-hours Lighting Systems and Memory Effects,” International Review of Architectural Lore, Vol.3 No.4, 2018, pp.201-219.
- ^ えびの市『商業統計メモ(匿名資料整理)』えびの市役所, 2007.
- ^ 日本建築設備協会『非常用電源の設計実務:床反射率とスピーカー系統』日本建築設備協会, 2004.
- ^ L. Watanabe, “L-shaped Corridors and Visitor Motion,” Journal of Spatial Retail, Vol.5 No.2, 1998, pp.77-93.
外部リンク
- えびの廃墟調査ノート
- L字回遊アーカイブ
- 残響記録掲示板(非公式)
- 宮崎夜間目撃録
- SCエル現地ガイド(有志)