エリュシオン
| 名称 | エリュシオン |
|---|---|
| 種類 | 記憶供養塔・回廊複合施設 |
| 所在地 | 北海道札幌市北区(通称:北光丘) |
| 設立 | 末期(1897年) |
| 高さ | 58.4 m |
| 構造 | 石造+耐雪中空梁、二重回廊 |
| 設計者 | 渡辺精一郎 |
エリュシオン(よみ、英: Elysion)は、にある[1]。現在では、冬季に限り一般公開される回廊型の記念建築として知られている[1]。
概要[編集]
エリュシオンは、北海道の冬季にだけ灯される回廊型の記念建築であり、内部では「追想の採光」によって参拝者の記憶を整理する儀式が行われるとされている[1]。
施設は、塔体(記憶供養塔)と、風除室を兼ねた二重回廊、そして“音が溜まる石段”と呼ばれる階段室から構成される[2]。地元では、ここを訪れると「同じ失敗を二度繰り返さなくなる」と半ば冗談のように語られているが、実際には冬の観光導線を補強する目的で整備されたとも指摘されている[3]。
なお、外来語由来の名称はギリシア神話のエリュシオン(冥府の楽園)に見えるが、施設関係者は「語感を借りただけ」であり、文献上はアイヌ語の“記憶を綴る”に由来するという説明も残っている[4]。
名称[編集]
名称の「エリュシオン」は、開設当時に配布された簡易案内板において『Elysion(エリュシオン)—記憶の楽園』と記されたことから、英語表記も含めて定着したとされる[5]。
ただし、札幌の旧役所文書では、同施設は当初「北光丘追想塔(ほっこうがおかついそうとう)」と呼称されていたことが確認されている[6]。転機は、1896年に行われた“灯火試験”であり、塔の上部窓を58分おきに点灯させたところ、参拝者が自然に歩速を揃える現象が観測され、結果として「楽園」らしい体験が語られたという逸話が伝わる[7]。
編集担当者のメモによれば、観光パンフレットの校正段階で「追想塔」の文字が“陳腐”と判断され、語感の柔らかいエリュシオンが選ばれた経緯があるとも記されている(要出典)[8]。
沿革/歴史[編集]
建立の背景:遭難帳簿を“読ませない”設計思想[編集]
1890年代、札幌周辺では開拓道路の事故が相次ぎ、遺族が持ち帰った遭難帳簿の保管が問題化したとされる[9]。帳簿は紙が湿って判読不能になるだけでなく、家ごとの記憶が過剰に残存して再発を招くとして、記録を“整理して焼く前に”一度「光に当てる」習慣が提案された[10]。
そこで、渡辺精一郎が中心となって、光の角度と内部の音響特性を設計に組み込む方針が固められた。塔上部の窓は合計で36枚、回廊の床は温度に応じて微振動する“追想石”と呼ばれる部材で構成され、これにより参拝者が呼吸のリズムを整えると考えられた[11]。
この考え方は当時の町議会で「記録の衛生」として扱われ、費用見積は総額で12万3,450円、内訳のうち灯火設備が2万9,112円と報告されたとされる[12]。現在の価値に換算すると極めて高額になるが、史料では“見えない効果”に対する理解があったと説明されている[13]。
冬季公開制度:雪害と観光の同時最適化[編集]
エリュシオンは完成後、当初は通年公開だったが、1912年の大雪で回廊側面が部分的に閉塞し、塔の点灯が2週間停止した[14]。その際、停止期間に外部からの訪問者が減ったにもかかわらず、地元の宿泊収入が想定より落ち込まなかったことが注目され、「雪は不便ではなく、訪問の“節度”を作る」として季節公開へ移行したとされる[15]。
制度変更は札幌市の告示(第41号)で整理され、以後は12月15日から2月末日までを原則として公開する運用が定められた[16]。また、点灯時間は毎夜、塔の最上窓が赤く見えるまでの平均14分に合わせて調整され、記録係が“観測用の砂時計”を3つ並べたという記述がある[17]。
一方で、この砂時計の設置数について、回廊の修繕記録(1933年)では5つとされるなど資料間で差異があることが指摘されている[18]。この食い違いは、冬季の来訪者数が年によって増減し、観測係の人数が変わったためではないかと推定される[19]。
施設[編集]
施設は、中央のと、風除室を兼ねた二重回廊、さらに「音が溜まる石段」と呼ばれる階段室を有する構成である[2]。
塔体は白い石材で覆われ、内部には「灯火管」と呼ばれる通風兼用の暗渠が張り巡らされている。灯火管は暖気を回廊へ逃がす役割を担うとされ、冬の内部結露を減らす目的であったと説明される[20]。
回廊は二層構造で、外側回廊と内側回廊の床面高さが7センチ異なるよう調整されていると伝えられている[21]。参拝者は意図せず足を揃えるため、結果として行列が自然に整列する“行動工学”として評価された時期もあった(要出典)[22]。
塔頂部の窓は、満月の夜だけ反響音が強まる配置になっているとされる。実際に反響が増えるかどうかは検証されていないが、施設では「月齢の影響で音が返ってくる」ことが儀式として扱われている[23]。
交通アクセス[編集]
エリュシオンは内の観光回遊路に組み込まれている。最寄りの公共交通としては、札幌市北区のバスターミナルから徒歩で約18分、途中に“追想坂”と呼ばれる緩い登りがある[24]。
冬季は滑り止め付きの回廊通路が仮設され、塔までの最短経路が一方通行で案内される運用が取られる。案内係の記録では、導線を曲げる角度が合計で13度、休憩ベンチが10基配置されており、これにより待機列の滞留時間が平均で7.2分短縮したとされる[25]。
また、車両の場合は北光丘入口の駐車枠が96台分確保されており、冬季には14時から17時にかけて入場が優先制となる[26]。制限理由は“石材への急激な振動負担”として説明され、掲示板には「振動=追想の乱れ」と簡潔に書かれている[27]。
文化財[編集]
エリュシオンは、明治末期の都市装置としての評価から、石造回廊と灯火管の組合せが特徴的であるとして、2020年にの「北光丘景観登録文化財」として登録されたとされる[28]。
特に、塔の内部に用いられた“追想石”が、温度変化で微細な歪みを生み、音響が変わる設計になっている点が注目され、保存上の技術資料が公開されることになった[29]。
一方で、保存方法については議論もあり、湿度が高い日でも内部を乾燥させすぎないよう管理すべきだという意見が出ている。管理指針では、内部相対湿度を45〜52%に保つことが推奨されると記載されたが、実務では現場裁量で変動するため「守られていない」との指摘もある[30]。
このため、次の改修では湿度計の設置位置を2箇所から4箇所へ増やす計画が立てられていると報道された[31]。ただし、報道記事の計画図は一部が判読不能であり、要出典とされる箇所が残る[32]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「北光丘追想塔の構造案と灯火管の効果」『建築衛生叢書』第3巻第1号, 内務省建築局, 1897.
- ^ 田中岑治「冬季公開制度の合理性に関する試算」『北海道公共施設年報』Vol.12, 北海道庁, 1921.
- ^ S. H. McCurry「Acoustic Illumination in Snowbound Memorials」『Journal of Applied Aesthetics』Vol.8, No.2, 1934, pp.113-129.
- ^ 札幌市「告示 第41号:北光丘追想塔の一般公開」『札幌市公報』第41号, 1912.
- ^ 鈴木昌範「“追想坂”導線設計の初期記録」『都市導線研究』第5巻第4号, 1959, pp.77-90.
- ^ エリュシオン保存委員会「追想石の温度歪み測定報告(中間)」『北光丘技術報告』第2集, 1978, pp.21-33.
- ^ 小川礼子「灯火試験の58分周期に関する再検討」『歴史建築の誤差論』第1巻第7号, 2004, pp.44-52.
- ^ R. Yamato「Elysion as Urban Memory Device」『International Review of Regional Architecture』Vol.19, No.1, 2011, pp.5-26.
- ^ 北海道教育委員会「北光丘景観登録文化財の指定理由」『文化財要覧』2020年版, 2020, pp.201-208.
- ^ 匿名「砂時計三基の目撃談」『観光誌・北光丘』第3号, 1933, pp.0-2.
外部リンク
- 北光丘観光案内
- 北海道文化財データベース(仮)
- エリュシオン保存委員会アーカイブ
- 札幌市北区地域史ポータル
- 灯火管技術資料館(仮)