大阪スペースタワー
| 名称 | 大阪スペースタワー |
|---|---|
| 種類 | 宇宙観測複合塔 |
| 所在地 | 大阪府大阪市此花区夢洲南端 |
| 設立 | 1987年(平成元年) |
| 高さ | 238.4 m |
| 構造 | 鉄骨鉄筋コンクリート造・観測回転リング併設 |
| 設計者 | 橋爪隆一・Margaret A. Thornton 計画共同体 |
大阪スペースタワー(おおさかスペースタワー、英: Osaka Space Tower)は、にあるである[1]。現在では、都市型宇宙観測と展示機能を併せ持つ施設として知られている[1]。
概要[編集]
大阪スペースタワーは、の湾岸再開発期に構想された都市観測施設であり、塔体内部に、、および小規模な公開展示空間を備える建造物である。建設当初は「海と宇宙を同時に見る塔」として宣伝され、現在ではの観光地としても扱われている。
塔の外観は一見すると展望塔に近いが、上部に円環状の観測回転リングを持つ点が特徴である。このリングは、に流行した「都市内宇宙監視」思想に由来するとされ、夜間には赤色の誘導灯が点滅するため、周辺ではかつて漁船が誤って星座信号と見なしたという逸話が残る。もっとも、この話はとされることが多い。
名称[編集]
「スペースタワー」の名は、当初の仮称であった「湾岸空間塔」に由来するが、の市民公募の段階で英語風の語感を持つ名称が採用されたとされる。なお、当時の応募案には「空中通信塔」「夢洲星見台」などもあったが、会議記録によれば、最終選考で“宇宙っぽさが足りない”として退けられたという。
「大阪」の冠は、の都市ブランドを強調するために付されたものであるが、一部資料では近隣の商業施設「大阪湾岸プラザ」との混同を避けるためでもあったと説明されている。現在では、略称として「スペタワ」と呼ばれることがあり、地元の清掃ボランティア団体の内部文書でもこの略称が確認されている。
沿革[編集]
構想から着工まで[編集]
構想の起点は、にがまとめた「海上都市における観測拠点整備計画」である。この計画では、湾岸部に高さ200メートル級の塔を建て、港湾照明と天文観測を兼用する案が示された。提案書の末尾には、担当技官であったが手書きで「望遠鏡は景観と喧嘩しないこと」と書き込んだ欄外メモが残されている。
着工はで、基礎工事では地中から旧期の埋立資材が大量に出土し、工期が73日延長された。建設会社の記録によれば、最も困難だったのは塔の中心軸ではなく、上部リングの回転試験であったという。回転速度は毎分0.8回転から始まり、最終的に公開時には0.3回転へ落とされた。これは「来訪者が酔わない限界値」とされたためである。
開業と初期運営[編集]
11月3日に開業した際、式典には、の名誉職員、そして地元商店街の代表者が招かれた。テープカットの直後、屋上の観測ドームから試験照射されたレーザーが低層雲に反射し、一帯が薄い紫色に染まったという記録がある。
開業初年度の来場者数は約41万2,000人で、うち7割が展望台目当て、2割が「宇宙カレー」を食べるため、残り1割が「なぜ塔なのに回るのか」を確かめる目的で来訪したとされる。なお、宇宙カレーは実際には地上階レストランのメニューであるが、観測装置の廃熱で鍋を保温していたため、妙に人気が出た。
改修と再評価[編集]
の大規模改修では、老朽化した外装パネルの交換に加え、観測リングの駆動装置が更新された。工事中、リング内部から未使用の設計図束が発見され、その中には「星座案内をエスカレーターに連動させる」試作案が含まれていた。これが実現していれば、利用者が星座ごとに異なる速度で移動する設計になっていたとされる。
以降はの夜景観光の文脈で再評価され、国内外の都市景観研究者が訪れる対象となった。一方で、塔体の存在が周辺の電波環境に与える影響については、いまなお完全な結論が出ていないとされる。
施設[編集]
塔内は大きく地上部、観測部、公開展示部に分かれる。地上1階には受付と土産物売場があり、ここで販売される「軌道クッキー」は1箱12枚入りであるが、箱の底面に各国の人工衛星名が印刷されているため、教育効果が高いと評価されている。
中層部にはがあり、の望遠鏡模型、気圧の変化を示す圧縮気室、そして大阪湾の潮位と星図を重ね合わせる古い映写機が置かれている。展示パネルによれば、潮位と星図を同時に見ることで「都市が宇宙の影響下にあること」を体感できるという。
上層部のは、この施設の象徴である。直径38メートルの円環がゆっくり回転し、1周に約54分を要する。設計者のは「観測は静止ではなく、微細な移動の中にある」と述べたと伝えられる。また、リングの一部には一般客が入れない保守通路があり、そこにはの研究班が設置した温度記録器が今も残っている。
交通アクセス[編集]
最寄駅は中央線・とされるが、開業当初は臨時バスが主要なアクセス手段であった。現在では、駅から徒歩14分、または湾岸循環シャトルで5分と案内されている。なお、徒歩ルートの途中には「星見歩道橋」と呼ばれる連絡橋があり、夜間照明が星座ごとに色分けされている。
自動車の場合はの臨港出口が近いが、週末は周辺の物流車両と観光客の車列が重なるため、到着時刻が読みにくい。開業以来、施設公式は「夕刻の到着」を推奨しており、これは塔体の陰影が最も美しく見える時間帯であると同時に、駐車場の混雑が少ないためでもある。
文化財[編集]
大阪スペースタワーは、にとして登録されている。さらに、塔体上部の観測リングと初期展示機材の一部は、の調査対象となっており、保存のための定期点検が行われている。
とくに、開業時の手動式星図投影機は、国内の都市型天文施設における初期の実用展示として評価され、資料的価値が高いとされる。ただし、保存担当者の間では、あまりに頻繁に故障したため「文化財というより思い出装置」と呼ばれていた時期もある。なお、この発言の出典は不明である[要出典]。
また、塔の設計図には複数の未採用案が残されており、その中には「塔体を季節ごとに色替えする」計画や、「望遠鏡を祭礼の山車に見立てる」案が含まれていた。これらは実施されなかったが、地域の都市景観史を考えるうえで重要な資料として扱われている。
脚注[編集]
[1] 施設公式パンフレット『大阪スペースタワー案内 2024年版』による。
[2] 夢洲展望会『回転する塔と湾岸夜景』、会報第18号、pp. 4-11。
[3] 中井清次郎「都市観測塔の景観適合性について」『大阪湾岸建築学紀要』Vol. 7, No. 2, pp. 33-49。
[4] Margaret A. Thornton, "Orbital Urbanism in Late-20th Century Japan," Journal of Coastal Structures, Vol. 12, No. 1, pp. 88-102.
[5] 大阪府都市再生調査室『海上都市における観測拠点整備計画』1982年内部資料。
[6] 橋爪隆一『リングが回る理由』潮出版社, 1999年.
[7] 佐伯文彦『湾岸塔の保存と再利用』関西景観研究所出版部, 2016年.
[8] K. H. Westwood, "A Tower That Watches the Tides," Space & City Review, Vol. 5, No. 4, pp. 201-219.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 中井清次郎「都市観測塔の景観適合性について」『大阪湾岸建築学紀要』Vol. 7, No. 2, pp. 33-49.
- ^ Margaret A. Thornton, "Orbital Urbanism in Late-20th Century Japan," Journal of Coastal Structures, Vol. 12, No. 1, pp. 88-102.
- ^ 大阪府都市再生調査室『海上都市における観測拠点整備計画』大阪府公文書館, 1982年.
- ^ 橋爪隆一『リングが回る理由』潮出版社, 1999年.
- ^ 佐伯文彦『湾岸塔の保存と再利用』関西景観研究所出版部, 2016年.
- ^ K. H. Westwood, "A Tower That Watches the Tides," Space & City Review, Vol. 5, No. 4, pp. 201-219.
- ^ 山口静香「夢洲における夜景観光と施設回遊」『観光都市研究』第14巻第3号, pp. 57-73.
- ^ 大阪市港湾局『此花区沿岸部における眺望資源の再編成』1991年内部報告書.
- ^ 石田嘉明『大阪湾の光学的環境と塔体反射』創元社, 2008年.
- ^ 田所美緒「回転式展望施設の心理的受容」『建築環境心理学年報』Vol. 9, No. 1, pp. 12-28.
外部リンク
- 大阪スペースタワー公式サイト
- 夢洲観測施設保存協会
- 大阪湾岸建築アーカイブ
- 関西夜景研究センター
- 都市宇宙観測史データベース