オクッスリ
| 名称 | オクッスリ |
|---|---|
| 分類 | 民俗医療、計量器具、生活習俗 |
| 起源 | 17世紀末から18世紀初頭にかけての港町商人層 |
| 発祥地 | 江戸湾岸の薬種問屋街とされる |
| 主な使用地域 | 日本列島沿岸部、朝鮮半島南部、中国東南沿岸 |
| 主要用途 | 粉末薬の分包、儀礼的な服薬、誤差測定 |
| 関連機関 | 日本生活薬文化学会、旧・湾岸薬事検校所 |
| 代表的人物 | 白石玄堂、マーガレット・A・ソーン、久保田辰三 |
| 特徴 | 匙一本で三回量を取る「三度切り」が有名 |
| 異名 | 匙薬、袋分け、奥湿り |
オクッスリは、もともとの古い薬包文化とが結びついて成立したとされる、微細な粒子を木製の匙で定量するための生活技術である[1]。現代ではや家庭療法を指す語としても用いられるが、その起源についてはの古書店で発見された記録をめぐって諸説がある[2]。
概要[編集]
オクッスリは、粉末状の薬や滋養材を、木製または骨製の小匙で「奥へ送る」ように分ける行為、またはそのための器具・習俗の総称である。語源はへ押し込む所作と、古語のが結合したものとされ、港町では「傷を隠すほどの効き目」を意味する隠語としても用いられた。
一般には家庭内の簡便な服薬法と考えられているが、実際には薬種問屋の帳合、寺院の施薬、船乗りの備え薬が複雑に交差して成立したとされる。なお、期の衛生改革の際に一度は迷信として排斥されかけたが、分包の合理性が評価され、かえって都市部で再編されたとの指摘がある[3]。
歴史[編集]
成立期[編集]
成立はからにかけての後期と推定されている。とくにの薬種問屋・白石屋が、湿気で固まりやすい漢方粉末を小袋ではなく匙で量る方法を広めたことが、最初の「オクッスリ式」とされる。白石家の日記には、に「三匙にて一人前、ただし雨後は二匙半」との記述があるが、真偽は不明である[4]。
この時期、オクッスリは単なる計量法ではなく、服薬に先立って薬を「奥へ納める」所作そのものが儀礼化した。たとえばの小寺では、病人の家族が三度息を止めてから匙を口に運ぶ「無息服用」が行われたとされる。これは息が薬を飛ばすのを防ぐためと説明されるが、実際には子どもを怖がらせないための演出だったとも言われる。
港町への普及[編集]
、、などの港町では、舶来の香料・消毒粉・船酔い止めがオクッスリと相性がよく、19世紀半ばまでに独自の袋詰め規格が整備された。とりわけ長崎のオランダ通詞たちが、の薬秤を参考に「奥匙一杯=船上一日分」という換算を導入したとされる。
一方で、港湾労働者の間では、匙の柄に刻む傷の数で労働日数を記録する慣行が生まれた。これにより、薬の残量と賃金前借の管理が一体化し、では「オクッスリ帳」が半ば家計簿として流通した。19世紀末の商家文書では、薬代より匙の紛失代のほうが高くついた例も報告されている。
近代化と規格化[編集]
、内務省衛生局の外郭団体とされるが、オクッスリの標準規格「A-3型匙」を公布した。柄の長さは、杯の深さは、先端の反りはと細かく定められ、これがのちの家庭用計量スプーンの原型になったという説がある[5]。
ただし、この規格化は薬効の均一化を目的とする一方で、各地に残っていた「奥湿り」「三度切り」「袋息」といった地方技法を切り捨てる結果にもなった。これに反発した民間療法家の久保田辰三は、で「匙は薬の声を聴く器である」と演説し、器具としての合理性と霊性を両立させる運動を起こした。彼の講演録は版だけで刷られたとされるが、現存数はわずか7冊である。
作法と技法[編集]
オクッスリには厳密な作法が存在するとされ、家庭ごとに流儀が異なる。最も有名なのは「三度切り」であり、匙ですくった粉末を、親指で三回だけならして量を決める方法である。三回を超えると「薬が逃げる」とされ、逆に一回しかならさないと「効きが強すぎる」と恐れられた。
また、服用前に器を東へ向ける「東向き合わせ」、雨天時のみ匙の裏側で掬う「逆匙法」、病人の年齢に応じて粉末を息で冷ます「口前静置」などが記録されている。これらの技法は、医学というよりはむしろ台所作法と宗教儀礼の中間に位置づけられることが多い。
社会的影響[編集]
家庭と教育[編集]
オクッスリは、子どものしつけと結びついて発展した。近代の都市家庭では、親が「自分で量れない者は自分で治せない」として、入学前に匙の使い方を教えることがあった。とくにの一部では、算数教育の補助としてオクッスリの分量計算が採用され、二進法ではなく「半匙・一匙・一匙半」で単位が学ばれたという。
この影響は料理にも及び、オクッスリの家では塩や砂糖の計量が異様に正確になる傾向があった。反面、来客が気軽に薬棚を開けられないため、家庭内の秘密が増えたとも言われる。あるの生活調査では、オクッスリを習慣化した世帯のうちが「薬と菓子を同じ棚に置く」問題を抱えていた[6]。
産業と流通[編集]
20世紀後半になると、オクッスリは民間療法から包装工業の思想へと吸収された。特にの小規模製薬会社が、1回分を紙包みで揃える「袋オクッスリ」を採用し、これが病院向け分包機の前身になったとされる。1970年代にはの衛生展示で、来場者が実際に匙を回して量る体験装置が設置され、1日平均が列を作ったという。
なお、オクッスリの海外展開では、英語圏で「Oksuri dose」と誤記されることが多く、の一部薬局では「料理用のスプーンではなく、東洋の儀礼用スプーン」と説明する貼り紙が貼られた。この誤解が、後年の健康食品ブームを助長したとの見方もある。
批判と論争[編集]
オクッスリは、その曖昧な起源ゆえに、しばしば「民間知の美化」にすぎないと批判された。とくに戦後の衛生学者の中には、薬効とは無関係な手順を過剰に神秘化しているとして、オクッスリを迷信の残滓とみなす者もいた。
一方で、にで行われた再調査では、標準化された匙による分包が服薬率を約押し上げた可能性が示され、評価は揺れた。ただし、この調査報告書の第3節には「試験対象12名のうち4名が途中で茶菓子を選んだ」とあり、現在では統計的妥当性に疑義が呈されている[7]。
現代のオクッスリ[編集]
現在のオクッスリは、伝統的な服薬法というよりも、ウェルネス文化の記号として消費されることが多い。都心の雑貨店では、やで作られた装飾匙に、粉末を盛るだけの「見せオクッスリ」が売られており、実用性よりも儀式性が重視される。
また、SNS上では「朝のオクッスリ」「夜のオクッスリ」といった表現が、サプリメント摂取の時間帯を示す言い回しとして定着した。もっとも、薬学者の間では、こうした用法は本来の技法からかなり離れているとして、半ば困惑、半ば容認の姿勢が取られている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 白石玄堂『奥匙記』深川薬事出版、1712年。
- ^ 久保田辰三『匙は薬の声を聴く』大阪生活医学社、1924年。
- ^ Margaret A. Thornton, “Oksuri and the Port Apothecaries,” Journal of Maritime Folk Medicine, Vol. 18, No. 2, 1968, pp. 41-79.
- ^ 日本生活薬文化学会編『オクッスリの民俗誌』港湾文化研究叢書、1989年。
- ^ 佐伯藤吾『分包前史としてのオクッスリ』東都医史館刊、2001年。
- ^ K. H. Watanabe, “Standardization of Spoon Dosing in East Asian Households,” Asian Journal of Domestic Health, Vol. 7, No. 4, 1973, pp. 201-224.
- ^ 国立保健資料館編『昭和後期における服薬率調査報告』資料第12号、1978年。
- ^ 三浦晴風『袋オクッスリと包装工業』神戸産業文化研究所、1996年。
- ^ Eleanor P. Bexley, “The Ritual Dimensions of Oksuri Dose,” Review of Comparative Material Culture, Vol. 9, No. 1, 1985, pp. 5-29.
- ^ 『オクッスリと近代衛生の接点』日本衛生史雑誌 第14巻第3号, 2011年, pp. 112-138.
外部リンク
- 日本生活薬文化学会デジタルアーカイブ
- 湾岸薬事検校所旧規格庫
- 港町民間療法史研究会
- 東都オクッスリ資料室
- 東アジア生活技術博物誌