オールウェイズ・オン・マイ・マインド
| 名前 | オールウェイズ・オン・マイ・マインド |
|---|---|
| 画像 | AlwaysOnMyMind_live1989.jpg |
| 画像説明 | 1990年の路上イベントにて |
| 画像サイズ | 250px |
| 画像補正 | yes |
| 背景色 | #DDE8F5 |
| 別名 | AOMM |
| 出生名 | オールウェイズ・オン・マイ・マインド |
| 出身地 | ・ |
| ジャンル | シティポップ、アートロック、アンビエント歌謡 |
| 職業 | ロックバンド |
| 担当楽器 | ボーカル、ギター、キーボード、磁気テープ |
| 活動期間 | 1987年 - 1998年、2009年 - |
| レーベル | ミラーサーフ・レコーズ |
| 事務所 | 株式会社ルミナス・ドーム音楽企画 |
| 共同作業者 | 、、 |
| メンバー | 霧島岳、羽鳥ミナ、相澤レイ |
| 旧メンバー | 塩谷トオル |
| 公式サイト | always-on-my-mind.jp |
オールウェイズ・オン・マイ・マインドは、の3人組・バンドである。所属事務所は。レコード会社は。1987年に結成、1991年にメジャーデビュー。略称は「AOMM」。公式ファンクラブは「常時思考会」である。
概要[編集]
オールウェイズ・オン・マイ・マインドは、ので結成された3人組・バンドである。1980年代末の「都市の記憶を音で保存する」という思想を掲げ、磁気テープとFM電波の反射音を主材料とした録音手法で知られた[1]。
1990年代初頭にはの深夜番組やの高架下イベントと結びつき、若年層を中心に小規模ながら熱狂的な支持を得た。一般には恋愛歌の多いバンドとして扱われることが多いが、実際には“忘れたくても思い出してしまう都市の雑音”を主題にした楽曲群が核であったとされる[2]。
メンバー[編集]
現メンバーは、、の3人である。霧島はギターとほぼ全楽曲の編曲を担当し、羽鳥はボーカルとキーボード、相澤はベースとテープ編集を担った。
旧メンバーのは結成初期のドラム担当であったが、クリック音への過敏症を理由に1989年に脱退したとされる。なお、公式資料では「健康上の都合」とのみ記されているが、同時期に発売された手書きセットリストに塩谷の名前だけがマジックで塗りつぶされており、ファンの間では半ば都市伝説化している[3]。
バンド名の由来[編集]
バンド名は、英語の慣用句「always on my mind」をそのまま採用したものではなく、結成当時に霧島が所有していた製の故障したラジオ受信機が、特定の周波数で「マインド、マインド」と聞こえたことに由来するとされる[4]。
羽鳥によれば、当初は「オールウェイズ・オン・マイ・ラインド」という案も存在したが、これは“心の内側に電話線が通っているようだ”という霧島の比喩が採用されなかった結果である。この経緯から、ファンの間では同バンド名が「思考の受信障害」を象徴する語として解釈されている。
来歴[編集]
結成[編集]
1987年秋、の音響展示会で霧島岳と羽鳥ミナが知り合い、後に相澤レイがの中古機材店で合流した。3人は当初、商業バンドではなく“夜の交通音を譜面化する研究集団”を自称していたが、翌年のでの無償ライブが口コミで広がり、バンドとして扱われるようになった。
この時期、彼らは録音スタジオを借りる代わりにの終電後に車両基地の周辺で環境音を収集していたとされる。もっとも、路線名や場所の細部は資料ごとに揺れがあり、編集合戦の痕跡が残っている[5]。
インディーズ時代[編集]
1989年に自主制作盤『夜景のための耳鳴り』を発表し、のレコード店を中心に約4,800枚を売り上げた。特にB面の最後に収録された無音区間が話題となり、当時の音楽誌は「沈黙のほうが雄弁である」と評した。
また、同作のジャケットはの潮位表を模した独自デザインで、印刷ミスにより一部の盤面が逆回転仕様になっていた。この誤植が“逆から聴くと隠しメッセージが出る”という噂を生み、ファンによるテープ逆再生が流行した。
メジャーデビュー[編集]
1991年、ミラーサーフ・レコーズよりシングル『午前4時のサーフライン』でメジャーデビュー。初週売上は1万2,600枚と振るわなかったが、系の深夜番組で異例の20週連続オンエアを記録し、同年末までにじわじわと認知を拡大した。
同曲のミュージックビデオはの倉庫街で撮影され、当初は予算不足のため霧島の実家の扇風機が風演出に使用された。のちにこの扇風機は「AOMM式送風機」と呼ばれ、ライブ演出にも転用された。
解散と再結成[編集]
1998年、相澤レイの留学とレーベル側との方向性の違いから活動休止を宣言し、事実上の解散状態に入った。しかし、2009年に閉館前企画の一環として一夜限りの再結成が実現し、以後は年に数回の限定公演を行っている。
再結成後は、以前よりも歌詞が抽象化し、都市名を直接出さずに“信号待ちの記憶”“コンビニの白い光”などのモチーフを用いる傾向が強まった。これは、霧島が「地名を書くと現実が追いつきすぎる」と述べたことに由来するという。
音楽性[編集]
音楽性はを基調としつつ、、アンビエント、歌謡曲的旋律を接合したものとされる。特に羽鳥のボーカルは、録音環境によって声色が変化する珍しい特性があり、乾燥したスタジオでは甘く、湿度の高い倉庫ではやや金属質に聴こえると評された[6]。
また、楽曲の多くに「歩道橋」「終電」「地下街」といった都市の移動装置が登場し、これを“移動のためのポップス”と呼ぶ批評家もいた。霧島は作曲時にの路線図を机に敷く習慣があり、和音進行を駅間距離で決めるという独自の方法を採っていたとされる。
人物[編集]
霧島岳は無口なことで知られたが、リハーサル前には必ず缶入りコーヒーを3本飲み、演奏後にメモ帳へ「今日は赤い音が多かった」と書き残していた。羽鳥ミナは学生時代にの公開講座で偶然テープループ装置を発明したとされ、バンド内では最も現実感の薄い発言をする人物としても有名であった。
相澤レイは機材管理に厳格で、ケーブルの巻き方が規定より2センチ長いと演奏を始めなかったという。もっとも、公式インタビューでは「実際にはそんなに厳しくない」と本人が否定しているが、スタッフは今でも彼の前では結束バンドの向きを揃える。
評価[編集]
評論家からは「都市生活者の無意識をポップス化した稀有な例」と評価され、若手バンドにも大きな影響を与えた。特にのアルバム『夜はまだコードを覚えている』は、週間8位を記録し、後年の“夜景系バンド”ブームの起点となったとされる。
一方で、歌詞が難解すぎるとして一般層には敬遠された時期もあり、当時の音楽雑誌には「サビが来る前に考え事をさせられる」との批判が掲載された。また、ファンの一部が曲名を日常会話に混ぜる習慣を始め、の喫茶店では「この席、今日だけ“午前4時のサーフライン”で」と注文する者まで現れたという。
受賞歴・記録[編集]
1992年に新人部門を受賞。1994年には『夜景のための耳鳴り』が累計22万枚を突破し、インディーズ出身作品としては異例のロングセールスを記録した。
また、1997年の野外公演「湾岸メモリウム・セッション」では、観客約1万3,400人のうち2,000人が終演後も帰らず、会場側が“アンコール待機”と誤認して警備を延長した。これが日本のライブ運営史における珍事として語られている[7]。
ディスコグラフィ[編集]
シングル[編集]
・『午前4時のサーフライン』(1991年) ・『白い信号機』(1992年) ・『誰もいない屋上で』(1993年) ・『マインド・アンダー・コンストラクション』(1995年)
アルバム[編集]
・『夜景のための耳鳴り』(1989年) ・『都市に雨が降る前に』(1991年) ・『夜はまだコードを覚えている』(1993年) ・『駅の名前を知らないまま』(1996年) ・『再起動する午後』(2010年)
映像作品[編集]
・『AOMM at 下北沢シェルター 1990』 ・『湾岸メモリウム・セッション完全版』 ・『常時思考会 2009-2012 Live Archives』
ストリーミング認定[編集]
2018年以降、配信サービスで『午前4時のサーフライン』が突発的に再評価され、累計ストリーミング再生数は3億回を突破したと発表された。特にとの深夜プレイリストに収録されたことが拡散の一因とされる。
ただし、事務所は再生数の集計にからの転送分が混入した可能性があるとして、後日「概算値」であることを補足した。この注記が逆に話題となり、ファンの間では“再生数まで夢があるバンド”として語られている。
タイアップ一覧[編集]
『午前4時のサーフライン』は系深夜ドラマ『終電のあとで』の主題歌に起用された。『白い信号機』はの季節限定CMソング、『誰もいない屋上で』はの駅ナカキャンペーンで使用された。
また、未発表曲『エレベーターは上へ行く』はの生活情報番組で一度だけ流れたことがあり、視聴者アンケートでは「番組内容より先に曲名が気になった」との回答が多数を占めた。これが結果的に宣伝効果を生んだとされる。
ライブ・イベント[編集]
初期は、、の小規模ライブハウスを中心に活動したが、1994年以降はホール公演へ移行した。特に「夜景はまだ終わらない」ツアーでは、各会場で終演後に照明を2分だけ落とし、観客に“自分の帰る方向を思い出させる”演出を行った。
2009年の再結成以後は、通常のバンド編成に加えてサポートメンバーとして(パーカッション)と(サックス)が参加した。2012年の公演では、アンコール3回目の途中で会場の時計が誤作動し、曲間が実際より7分長く感じられたという。
出演[編集]
テレビでは系の音楽番組『深夜の方位磁針』や、系の特番『都会の残響』に出演した。ラジオでは風の架空局『湾岸エフエム』でレギュラー番組を担当し、映画では1996年の短編『窓のない喫茶店』に本人役で登場した。
CM出演は少ないが、1995年に風の飲料ブランド「AQUA TRACE」の広告に楽曲を提供し、メンバーの影だけが映る極端に静かな映像が話題となった。なお、このCMは地方局で流れるたびに音量が下がる仕様だったと伝えられている。
NHK紅白歌合戦出場歴[編集]
出場は1回のみで、1994年の第45回に『都市に雨が降る前に』で初出場した。演出は、会場内に本物の霧を発生させるというもので、放送当日は赤組・白組の区別がやや見えにくかったとされる。
羽鳥は歌唱終了後に「まだ曲が終わっていない気がする」とコメントし、この発言が当時の新聞で小さく取り上げられた。以後、同バンドは“紅白に出たのに、どこか深夜番組のままのグループ”として語られている。
脚注[編集]
[1] バンド名は公式サイトに準拠。 [2] ただし、当時の音楽誌ごとに評価はかなり異なる。 [3] この件は関係者証言が一致しない。 [4] 霧島本人の証言である。 [5] 地元紙『下北沢タイムズ』1988年11月号には別説が掲載されている。 [6] 乾湿による声質変化は一部研究者のみが主張している。 [7] 会場記録係の手帳に記載がある。
参考文献[編集]
・森下一真『夜景ポップの作法』ルミナス出版, 1998年。 ・H. Thornton, "Urban Memory and Magnetic Tape", Vol. 12, No. 3, pp. 44-61, Journal of Imaginary Sound Studies, 2001. ・久保田慎吾『深夜電波と歌詞の地理学』ミラーサーフ文庫, 2004年。 ・西園寺カナ「下北沢における残響経済の成立」『現代音響批評』第8巻第2号, pp. 17-29, 2008年。 ・A. Bellamy, "The Walkway Chorus Phenomenon", Vol. 7, No. 1, pp. 5-19, Pacific Journal of Pop Fiction, 2011. ・霧島岳・羽鳥ミナ・相澤レイ『常時思考会 会報完全版』株式会社ルミナス・ドーム音楽企画, 2013年。 ・下沢真理子『終電後のシティポップ史』港北書房, 2016年。 ・M. Tanabe, "Signal Lights and Emotional Delay", Vol. 19, No. 4, pp. 101-128, International Review of Fictional Musicology, 2019年。 ・編集部「AOMMと都市の耳鳴り」『月刊ミラーサーフ』第31巻第9号, pp. 2-11, 2020年。 ・J. Whitfield, "Always on My Mind and the Architecture of Waiting", Vol. 4, No. 2, pp. 88-97, New Kyoto Studies, 2022年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
オールウェイズ・オン・マイ・マインド 公式サイト
ミラーサーフ・レコーズ アーティストページ
常時思考会 ファンアーカイブ
下北沢音響博物館 デジタル展示
湾岸メモリウム記録室
脚注
- ^ 森下一真『夜景ポップの作法』ルミナス出版, 1998年.
- ^ H. Thornton, "Urban Memory and Magnetic Tape", Vol. 12, No. 3, pp. 44-61, Journal of Imaginary Sound Studies, 2001.
- ^ 久保田慎吾『深夜電波と歌詞の地理学』ミラーサーフ文庫, 2004年.
- ^ 西園寺カナ「下北沢における残響経済の成立」『現代音響批評』第8巻第2号, pp. 17-29, 2008年.
- ^ A. Bellamy, "The Walkway Chorus Phenomenon", Vol. 7, No. 1, pp. 5-19, Pacific Journal of Pop Fiction, 2011.
- ^ 霧島岳・羽鳥ミナ・相澤レイ『常時思考会 会報完全版』株式会社ルミナス・ドーム音楽企画, 2013年.
- ^ 下沢真理子『終電後のシティポップ史』港北書房, 2016年.
- ^ M. Tanabe, "Signal Lights and Emotional Delay", Vol. 19, No. 4, pp. 101-128, International Review of Fictional Musicology, 2019年.
- ^ 編集部「AOMMと都市の耳鳴り」『月刊ミラーサーフ』第31巻第9号, pp. 2-11, 2020年.
- ^ J. Whitfield, "Always on My Mind and the Architecture of Waiting", Vol. 4, No. 2, pp. 88-97, New Kyoto Studies, 2022年.
外部リンク
- オールウェイズ・オン・マイ・マインド 公式サイト
- ミラーサーフ・レコーズ アーカイブ
- 常時思考会 オフィシャルファンベース
- 下北沢音響博物館
- 湾岸メモリウム記録室