カサヤナ
| 分類 | 儀礼技法/民俗数理 |
|---|---|
| 主な地域 | の沿岸部を中心に口承 |
| 成立時期(推定) | 13世紀末〜16世紀初頭とする説 |
| 中心物 | 帳・傘状の布片・符票 |
| 実行単位 | 集落ごとの「7夜」単位とされる |
| 象徴 | 災厄の「数替え」 |
| 記録形態 | 家譜写本・町触れ・調査ノート |
カサヤナ(かさやな)は、古代〜近世にかけて言及されたとされる上の「帳(とばり)」儀礼の一種である。地方によってはと結び付けて語られ、災厄を「数」に置き換える作法として伝えられたとされる[1]。
概要[編集]
は、村落共同体において災厄や不作の兆しが出た際、帳(とばり)を掛け替えながら数を操作する作法として語られてきた概念である。語源については諸説あるが、古い方言資料では「傘屋(かさや)のねじれた作り方」といった説明が付されることもある[2]。
儀礼の核は「見えないものを数へ落とす」点にあるとされ、実際の作法は地域ごとに異なる。もっとも広く引用される手順としては、(1)布片を7枚に裁つ、(2)符票に奇数だけを書き込む、(3)最後に帳を逆巻きに畳んで封じる、の3段階が挙げられる。ただし、これらの順序を厳密に再現できた家は少なかったとされ、口承の揺れが後年の研究者を悩ませた[3]。
なお、近代以降は民俗学の講義題目として整えられ、「災厄を“相対化”する地域知」として紹介される場合が多い。一方で、当時の自治体資料には「カサヤナ」と同名の行事が見当たらないため、噂として残った概念を学術用語へ翻訳する過程で語が固定された可能性も指摘されている[4]。
概要(選定基準と記録の偏り)[編集]
本項で扱うは、現存する写本・町触れ・個人調査ノートに「同一の体系」として残る要素が一定数あるものに限って整理したものである。具体的には、(a)帳掛け(または布片封入)に関する記述、(b)奇数・7・封緘といった“数の合い言葉”の反復、(c)実行の場が祭礼ではなく生活防衛(農作・漁・季節風)に紐づけられていること、の3条件で照合される[5]。
ただし、口承は「誰がいつ言い出したか」によって内容が変形しやすい。特に、収穫期と台風期が同時期に重なる地域では、同じ所作でも「雨乞い」や「疫病除け」との混線が起きやすかった。編集者の独自判断により、後の校訂本文で名称が統一されているケースもあり、要出典扱いがつきそうな箇所がいくつか存在する[6]。
このため、は「実在した単一の行事」というより、「いくつかの村で同時期に似た発想が立ち上がり、のちに一語へ圧縮された体系」として理解されることが多い。結果として、資料が薄い村ほど細部が濃く語られ、逆に資料が厚い村ほど記述が簡素になるという逆転現象が見られる[7]。
歴史[編集]
成立:数替え帳の流行と「帳の商売」[編集]
の成立は、13世紀末に始まったとされる“帳(とばり)”の商いの拡大と連動したと考えられている。中世の港町では、布の裁断量が豊凶を左右すると噂され、反物の売買が「風の到来予報」に結び付けられた時期があった。そこで、反物屋の一人である系の職人集団が、裁断の端切れで儀礼用の符票を作り、帳を掛け替える手順を“節(せつ)”として売り出したとされる[8]。
この話を裏付けるとされる記録として、の古写本に「7枚裁ち、13回数え、帳は逆巻きにして結ぶ」との記述がある。ただし、古写本が後世の清書である可能性があるため、数字の由来は推定にとどまる。とはいえ、後年の民俗記録で「帳は必ず逆巻き」と言い切る語り口が多く、数字が“口伝の演出”として固定化した可能性は高いとされる[9]。
当時の中心人物としては、布商の監督役であると、祈祷師の系譜を持つが挙げられることがある。両者が同時に帳の作法を握ったことで、儀礼は“宗教”より“生活技術”として普及し、結果として農村へも広がったと説明されている。さらに、この時期に「カサヤナ」という音が、複数の方言で近い響きとして残り、のちに一語へ収斂したという見立てもある[10]。
近世:自治触れへの混入と「7夜・3枚・1封」ルール[編集]
近世に入ると、は祭礼の周辺に組み込まれ、町の「触れ(ふれ)」へも近い形式で書き残されるようになったとされる。特に沿岸の商家では、災厄を“当てる”のではなく“当たらないように数をずらす”発想が好まれ、手順の標準化が進んだという[11]。
代表的な標準形としては「7夜行うが、夜ごとに帳の枚数は固定しない。代わりに、最後の夜だけ3枚を重ね、1枚を封じる」とされる。ここでいう“封じる”とは、布片を紙筒へ入れて紐で結び、門柱の影に置くことを指した、と説明される資料がある。ただし門柱の影に置くと記す写本は同一系統の筆跡であり、同じ人物が何度も書き足した可能性が指摘されている[12]。
一方で、武家側には警戒もあった。領主のは、帳の作法が“課税の抜け道”に繋がると疑い、布片の取引記録を求めたという。実際、ある町触れの写しには「符票に記す奇数の数え誤りを禁ず」との文言が見られるとされるが、どの事件を指すかは不明である[13]。このように、は生活の中へ入りながらも、行政の言葉で統制しきれない領域として残っていったとされる。
近代:民俗学の翻訳と“傘”への誤結合[編集]
近代になると、は民俗学者によって「傘(かさ)と結び付く」説明へと再編された。これは、現地で“帳”と“傘”が同じ収納箱に入っていたという単純な事務的事情が、後の調査段階で強調されたことによるとされる。調査員は箱のラベルを手掛かりに聞き取りを行い、「カサヤナ=傘屋の儀礼」という語りを作った、とする回想録が残っている[14]。
さらに大正期の講演録では、カサヤナの“効果”を数学的に説明しようとする試みが見られた。たとえば「7夜のうち、2夜目の数替えが最重要である」とされる根拠として、風向の観測数が“たまたま”一致した例が挙げられている。しかし講演者自身が、観測は2年分しかないと注記しており、科学的再現性は低いと批判されることになった[15]。
とはいえ社会的影響は小さくなかった。学校教育に取り入れられた結果、子どもたちが「奇数で数える遊び」を始め、町の広報紙が“防災の民俗知”として取り上げたという。ここで“防災”と結び付いたことが、という語が観光パンフレットへ流入する遠因になったとされる。後年には、雨の日にだけ特定の順序で傘を畳む行為が「カサヤナ的」と呼ばれるようになり、元の帳儀礼から意味がずれたとも指摘されている[16]。
批判と論争[編集]
は、民俗学的には「多源的に解釈される概念」とされながらも、同時に“後付け翻訳”の疑いが強い対象でもある。とりわけ、傘との結び付けが、資料が揃っていない地域で急速に広まった点が論争の中心になった。ある学会報告では、傘屋の活動が記録される年代と、が口承で語られる年代が一致していないと指摘されている[17]。
また、儀礼の数規則(奇数・7夜・逆巻き)が、後世に整えられた“教科書化”の痕跡ではないかという批判がある。数字が多いほど正統に見えるという心理が働き、語り手が意識的に数を足していった可能性も考えられている。実際、写本の余白に「13」や「21」が繰り返し追記されている例が報告されており、編者の演出が疑われたことがある[18]。
一方で擁護側は、こうした整合性の欠如こそが生活儀礼の特徴であると主張する。災厄という不確実性に対して、数は“固定の答え”ではなく“落ち着かせる手続き”だからだとされる。さらに、行政文書に見えにくいのは、が制度の外側で共有されてきたからであり、むしろ記録が薄いこと自体が自然だという見解もある[19]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『帳の経済と生活儀礼』吉川書房, 1931.
- ^ Marlene A. Kessler『Numerical Folk Practices in Coastal Communities』University of Sendai Press, 1974, pp. 51-73.
- ^ 菅原寛『東北沿岸の布商と符票』東北民俗刊行会, 1962, Vol. 3, 第2号, pp. 10-28.
- ^ Édouard Morel『Folding, Counting, and Weather: A Comparative Study』Revue d’Ethnologie, Vol. 22, No. 1, 1988, pp. 141-165.
- ^ 塚本理沙『逆巻き帳の伝承変異』青雲堂, 2005, pp. 203-221.
- ^ 佐倉彦一『町勘定方の手帳に見る口伝』文林堂, 1940, pp. 88-97.
- ^ 高橋一絵『学校教材化された民俗知—雨の日の所作—』教育史研究会, 2011, 第18巻第1号, pp. 77-104.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton『A Short History of Umbrella-Linked Rituals』Northbridge Academic Press, 1999, pp. 9-31.
- ^ 細川清澄『民俗数理の編纂学』講談社学術文庫, 2008, pp. 33-60.
- ^ 古川真琴『カサヤナの起源:傘屋ではなく帳屋』海風出版, 1978.
外部リンク
- 民俗数理アーカイブ
- 東北沿岸写本データベース
- 町触れ検索ポータル
- 逆巻き帳研究会
- 雨の日所作図録