カープ坊やパペット
| 名称 | カープ坊やパペット |
|---|---|
| 分類 | 応援人形、民俗玩具、球場芸能 |
| 起源 | 1967年ごろの広島市内の仮設舞台 |
| 主な使用地域 | 広島県、山口県東部、瀬戸内沿岸部 |
| 構造 | 綿布製の頭部、竹ひごの腕、布テープ式の口開閉機構 |
| 関連組織 | 広島球場文化協会、県立民具資料研究会 |
| 代表的儀礼 | 七回裏の「手拍子三転」 |
| 消滅・再評価 | 1980年代後半の大量流通後、2010年代に復刻ブーム |
カープ坊やパペットは、を中心に流通したとされる手操り式の応援人形である。元来は広島東洋カープの試合中に使用された即興劇用具として生まれ、のちに地域の縁日芸能と結びついて独自の発展を遂げたとされる[1]。
概要[編集]
カープ坊やパペットは、の野球応援文化と人形劇が結合して成立したとされる民俗玩具である。球団マスコットを模した小型の人形を片手で操作し、観客が試合展開に合わせて「応援台詞」を与えることで、球場全体を即興劇の空間に変える装置として知られている[2]。
現存する実物は少ないが、広島市の古物商や、の海辺の倉庫から断続的に発見されており、地域史の研究対象となっている。ただし、初期の記録は球団関係者のメモと縁日業者の帳簿に分散しており、成立経緯にはなお不明な点が多いとされる。
歴史[編集]
起源[編集]
最初期のカープ坊やパペットは、夏に近くの露店で試作されたと伝えられる。発案者は、木工細工師のと、球場前で腹話術を演じていた女性芸人であったという。二人は、当時の応援団が用いていた旗と紙メガホンでは音が拡散せず、観客の反応が一方向に流れないことに着目し、声を持つ人形を作ることで「応援そのものを芝居化する」案を出したとされる。
初号機は高さ約28センチメートル、重量は112グラムで、頭部内部に小豆を17粒入れることで首振り時の音を増幅した。なお、初期型は雨天時に口が開きにくくなる欠点があり、の梅雨時には1試合で19体が同時に沈黙した記録が残る[要出典]。
普及[編集]
頃から、広島東洋カープの主催試合に合わせて球場外周で貸し出しが始まり、1978年には市内の文具店32店舗で販売された。特に前の模型店が製作した「泣き顔版」は、得点圏で使用すると逆転打が出やすいという俗信を生み、少年層に急速に広まった。
にはの夕刊コラムがこの人形を「声なき第九の応援席」と評し、以後、学校の学園祭や町内会の盆踊りにも転用された。地域の祭礼では、パペットの口を開閉する回数で勝敗を占う「三三七拍子占い」が派生し、これが現在の一部自治体の観光イベントにまで残っているとされる。
構造と操作法[編集]
カープ坊やパペットは、頭部、胴布、操作紐、応援札の四要素から構成される。頭部は綿を張った布袋で、両頬に赤い染料を用いるのが通例であったが、1984年以降は安全基準の影響で赤土顔料に置き換えられたとされる。
操作法は地域によって異なるが、最も知られるのは「片手二指操法」である。人差し指で眉を、中指で下顎を動かし、もう一方の手で応援札を掲げる。この際、七回裏の攻撃前に3回だけ首を傾けると、隣席の観客が同調して拍手を始めるという経験則があり、球場内の一体感を高める要因になったとされる。
なお、の愛好家の間では、雨天時にタオルをかけて「寝かせる」作法があり、これを怠ると翌日に人形が機嫌を損ねるという伝承がある。実際には布地の縮みを防ぐための保管法であるが、民俗学ではしばしば擬人化儀礼として扱われる。
社会的影響[編集]
カープ坊やパペットは、単なる応援グッズを超え、の戦後文化における共同体形成の装置として機能したと考えられている。小学校の図画工作では「自分だけの坊や」を作る授業が実施され、1987年度には県内で推定2万1,400体が制作された。これにより、家庭ごとに異なる表情を持つパペットが増え、家族内での得点予想が儀式化したという。
一方で、球場外での使用をめぐっては議論もあった。特に開業前後には、周辺商店街で「過剰な手拍子誘発」が歩行者の滞留を生むとして、広島市の一部で注意喚起が出されたとされる。また、2014年には観光客向けに英語版説明書が配布されたが、誤訳により「Puppet for emotional batting」などの奇妙な表現が流布し、かえって人気に火がついた。
批判と論争[編集]
もっとも、カープ坊やパペットの起源については、球団広報が後年に作成した記念冊子と、民間の口承とで内容が食い違っている。広報側はの販促企画を起点とする見解を示したが、民俗研究者の佐伯真理子は、これを「成立史の上書き」であると批判している。
また、一部のコレクターは、海外製の類似人形を国産初期型として売買した疑いがあり、には生活安全課が3件の古物取引を確認した。もっとも、押収品の中には実際には球団とは無関係な腹話術用の人形が混入しており、鑑定が難航したことから、事件は事実上「目の似た別人形騒動」として終息したとされる。
脚注[編集]
脚注
- ^ 佐伯真理子『球場民俗と手操り人形の成立』民俗芸能研究社, 2008.
- ^ 中村彦三『広島応援具考:布と声のあいだ』瀬戸内出版, 1979.
- ^ 三浦ハル『腹話術と野球場の夜』中国芸能新報社, 1981.
- ^ Caroline M. Reeves, “Cheering Puppets of the Inland Sea,” Journal of Invented Folklore, Vol. 12, No. 3, 1994, pp. 41-68.
- ^ 田所久雄『カープ坊やパペット復刻記録集』広島文化資料館, 2012.
- ^ Hiroshi Tanaka, “The Emotional Batting Puppet and Regional Identity,” Pacific Studies in Popular Ritual, Vol. 8, No. 2, 2009, pp. 115-139.
- ^ 広島球場文化協会編『手拍子三転の研究』港町書房, 1998.
- ^ 木村志津子『広島県民具総覧 第4巻:昭和後期の応援玩具』山陽図書, 2004.
- ^ Marvin L. Kessler, “A Small Puppet with a Large Attendance Effect,” Bulletin of Sports Anthropology, Vol. 5, No. 1, 2016, pp. 9-22.
- ^ 『赤い口の動かぬ証言者――カープ坊やパペットをめぐる記録』広島怪談社, 2019.
外部リンク
- 広島球場文化アーカイブ
- 瀬戸内民具データベース
- 赤い応援玩具研究所
- 中国地方民俗芸能協会
- 県立広島産業会館 企画展示記録