ガナリペント語
| 名称 | ガナリペント語 |
|---|---|
| 分類 | 港湾系人工言語 |
| 成立時期 | 1920年代後半から1930年代前半 |
| 成立地 | 宮城県仙台市周辺 |
| 話者数 | 日常話者は消滅、研究使用者は約140人 |
| 文字体系 | ラテン文字転写、片仮名転写、独自の五拍記号 |
| 公的保護 | 一部自治体の文化資料として保存 |
| 特徴 | 五拍アクセント、咽頭摩擦音、命令形の省略 |
ガナリペント語(ガナリペントご、英: Ganari Pent Language)は、の港湾労働者の間で成立したとされる、強い子音連結と五拍単位の抑揚を特徴とする人工言語である。20世紀前半にの海運記録係によって体系化されたとされ、後にの非公式検討資料にも断片が残されたとされる[1]。
概要[編集]
ガナリペント語は、の荷役・測量・通関業務に従事した人々の間で用いられたとされる言語体系である。語彙はを基層としつつ、由来の港湾用語、さらにの帳簿表現を吸収した結果、発音だけでなく語順まで不安定になったことが特徴とされる。
名称の「ガナリ」は、号令に似た強い発声を指し、「ペント」は五拍区切りの呼吸法を指すと説明されることが多い。ただし、初期資料の一部では「ガナリ」はの古い荷札語に由来するとされており、語源は必ずしも一致していない[2]。
歴史[編集]
成立の背景[編集]
通説では、末期から初期にかけて、沿岸の冷蔵倉庫群で発生した混成的な業務言語が起源とされる。港湾作業では、風向・潮位・積荷番号を短時間で伝達する必要があり、通常のでは冗長であったため、命令・確認・記録を五拍単位に圧縮する方法が生まれたという。
この体系化に関与した人物として、海運記録係の、通訳見習いの、およびの言語学講師だったの名が挙げられる。三者は1928年の冬、の倉庫で「積荷札の読み違いを防ぐための仮規則」を作成したとされるが、一次資料は焼失しており、記述の多くは後年の回想録に依存している[3]。
標準化運動[編集]
1934年、内の港務関係者を中心に「五拍整理委員会」が設置され、発音表と簡易文法が配布された。委員会はの後援を受けたとされるが、会議録にはなぜか当日の天気と積荷の魚種が詳細に記されており、言語標準化文書としては異例である。
この時期に導入された代表的な規則が「子音終止の直後には必ず母音を置かない」というもので、たとえば「確認」はでは語尾を切るだけで意味が通るとされた。また、敬語体系の代わりに「積み番敬称」と呼ばれる番号接尾辞が用いられ、重要度の高い取引先には「-12」や「-27」が付与されたという。
戦後の衰退と再評価[編集]
後、港湾の機械化が進み、短縮音声による口頭伝達の必要性は急速に低下した。さらにの通関制度改正により、帳票が標準様式に統一されたことで、ガナリペント語は実務言語としての役割を失ったとされる。
一方で、にの企画展「消えた港のことば」で紹介されたことをきっかけに、方言研究者や舞台演出家の間で再評価が進んだ。特にが上演した『五拍の岸壁』では、ガナリペント語の命令句がほぼ打楽器として扱われ、観客の半数が内容を理解しないまま拍手のタイミングだけ習得したと報告されている[4]。
音韻と文法[編集]
ガナリペント語の音韻体系は、一般に12子音・5母音から成るとされるが、実際には港の騒音を前提としているため、子音の区別は現場ごとに揺れが大きかった。研究者のは、1961年の調査で「同じ語でもでは2音節、では1音節半として認識される」と報告している。
文法上の最大の特徴は、語順よりも拍配置が優先される点にある。主語と目的語はしばしば省略され、動詞のみが残るが、代わりに語末に「確認拍」「抗議拍」「搬入拍」が付く。たとえば「置け」は命令ではなく承認を意味し、「置け・置け・置け」の三連は倉庫封印を示す儀礼的表現とされる。
なお、敬体の最上位形は「無音敬語」と呼ばれ、発話の最後に1.2秒の沈黙を置くことで相手への最大級の敬意を示したという。この慣習はの会計監査官にだけ残ったとされるが、実際には居眠りと区別がつかなかったとの指摘もある。
文字と表記[編集]
文字体系としては、初期には荷札に用いる簡略片仮名が使われ、後に転写が整備された。特ににの印刷部で試作された「五拍活字」は、1拍ごとに横幅が変わる特殊な金属活字で、1枚組むだけで新聞1行分の金属疲労が起きたと伝えられる。
また、港湾内の暗号伝達では、数字と記号を組み合わせた独自の表記法「P記法」が用いられた。これには潮位、荷重、危険物区分が同時に埋め込まれるとされ、現在でも一部の研究家は周辺の古い倉庫壁面に残る刻印を読解している。ただし、同じ刻印が翌日には別の倉庫番号を意味することもあったため、実用性にはかなり問題があった。
表記揺れの多さから、1968年にはの委託を受けた調査班が統一案を作成したが、最終報告書は「読めるが歌えない」とだけ記されており、後世の研究者を困惑させた。
社会的影響[編集]
ガナリペント語は、港湾現場の効率化という実利的目的から生まれたにもかかわらず、やがて労働者間の連帯を象徴する文化記号となった。特に30年代には、夜勤明けの作業員が食堂でこの言語を使って冗談を言い合う習慣が広まり、では「ガナリで話す者は信用できるが、細部は信用しすぎてはいけない」とまで言われた。
教育面では、が1979年に開いた講座「港の声を聞く」で教材化され、受講者83人中19人が2週間後に自宅で五拍発声を試みた結果、家族から通報されたという記録が残る。また、地元のラジオ局の深夜番組では、毎月第3金曜日に「ガナリペント通信」が放送され、リスナーが語尾の拍数だけを頼りに時刻表を解読するコーナーが人気を集めた。
一方で、過度な復興運動により、観光向けに「港で一言ガナリ体験」を売りにする土産店が増え、実際の言語史よりも「勢いで叫ぶ古語」のイメージだけが独り歩きしたとの批判もある[5]。
研究と保存[編集]
学術調査[編集]
以降、の民俗言語研究室を中心に音声資料の再収集が行われた。調査では、当時90代の元倉庫番17人から録音が得られたが、同じ単語の発音が全員微妙に違い、研究班は「むしろ差異こそが文法である可能性」を指摘している。
この調査を主導したは、ガナリペント語を「完成しなかったが、現場に適応した稀有な言語工学」と位置づけ、の論文で五拍制を交通安全にも応用できると論じた。しかし提案書は仙台市交通局に採用されず、試験導入されたバス停案内は3日で通常の日本語に戻された。
保存活動[編集]
の震災後、港湾資料の散逸を防ぐ目的でとが共同でアーカイブ事業を開始した。ここで収集されたノートの中には、荷受票の裏に書かれた歌詞や、五拍でしか書けないとされる恋文が含まれていた。
現在、ガナリペント語は日常言語としては死語に近いが、保存団体「五拍文化会」や、年1回で行われる再現祭「ガナリの夕べ」によって継承されている。祭では、参加者が緑色のヘルメットを被り、波音に合わせて短文を唱和するが、外部から見ると単なる掛け声合戦にしか見えない。
批判と論争[編集]
ガナリペント語研究には、そもそも独立した言語であったのか、それとも港湾方言と職能隠語の複合体にすぎないのかという論争がある。のは、1960年代の調査で「体系性は後付けである」と批判したが、これに対し保存派は「後付けされた体系こそ現場の言語の強度である」と反論した。
また、1934年の標準化文書に含まれる一部の例文が、実際にはの別港から持ち込まれた記録の丸写しである可能性が指摘されている。とくに「潮は右から来るので左へ積むべし」という有名な文は、実務規則というより航海日誌の比喩だったとする説が有力である[6]。
さらに、観光振興の一環として作られた「ガナリペント語検定」は、5級から1級まであるにもかかわらず、2級合格者のほうが1級保持者より発音が荒いという逆転現象を生んだ。これについて検定委員会は「語学ではなく気合いを測定しているため」と説明しているが、この説明には異論も多い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯光男『ガナリペント語音韻体系の再構成』東北言語史研究 第12巻第3号, 1999, pp. 45-88.
- ^ 高見沢玲子『港湾作業語彙における五拍制の成立』民俗音声学会誌 Vol. 8, No. 2, 1962, pp. 11-39.
- ^ 渡会甚左衛門『塩竈倉庫口述記録 1928-1931』仙台港資料刊行会, 1937.
- ^ 三浦定吉『職能隠語としてのガナリペント語』東北帝国大学文学部紀要 第21号, 1935, pp. 101-146.
- ^ Margaret L. Henshaw, 'Rhythmic Compression in Port Languages of Northern Japan', Journal of Maritime Linguistics, Vol. 4, No. 1, 1971, pp. 3-27.
- ^ マリア・スチェルバコワ『北方港の聞き書き』宮城外語出版, 1941.
- ^ 小牧敬一『体系化以前の言語と記録の政治学』東京大学社会言語学報告 第7号, 1968, pp. 77-109.
- ^ 田沼光一『五拍文化会の成立と地域アイデンティティ』地域文化論集 Vol. 15, No. 4, 2003, pp. 200-231.
- ^ N. V. Petrov, 'The P-Notation and Its Failure in Cargo Management', Proceedings of the Sendai Maritime Archive, Vol. 2, 1980, pp. 55-74.
- ^ 宮坂春江『読めるが歌えない活字について』印刷史研究 第9巻第1号, 1970, pp. 5-18.
外部リンク
- 五拍文化会アーカイブ
- 仙台港口述史データベース
- 宮城県近代港湾言語研究所
- 東北港湾方言資料室
- ガナリペント語検定委員会