クオッカのおしっこ
| 分類 | 民間生物学・観光文化・疑似生理学 |
|---|---|
| 起源 | 19世紀後半の西オーストラリア沿岸部 |
| 主な伝承地 | ロットネスト島、フリーマントル、パース |
| 初期研究者 | E. H. Calloway、渡辺精一郎 |
| 関連機関 | 西オーストラリア植生保全局、ロットネスト環境観光協会 |
| 象徴的用途 | 湿度測定、土壌判定、笑いの儀礼 |
| 論争 | 衛生上の懸念と学術的裏付けの乏しさ |
| 別称 | クオッカ露、島の甘いしずく |
| 特記事項 | 一部の資料では夜間だけ採取可能とされる |
クオッカのおしっこは、オーストラリア西部のロットネスト島を中心に伝承される、クオッカの排尿にまつわる民間概念である。近代以降は動物生理学と観光商品の境界に位置する特殊な研究対象として扱われてきた[1]。
概要[編集]
クオッカのおしっことは、クオッカが放出する尿そのものを指す言葉であるが、単なる生理現象ではなく、島嶼環境の水分循環や観光文化と結び付けて理解されてきた。とくにロットネスト島では、夜明け前に観測される微量の排尿が「植物の回復を告げるしるし」とされ、20世紀初頭には半ば儀礼化した。
この概念は、フリーマントル港の倉庫番たちが、荷役後の靴底に残る湿り気を「クオッカの通った証拠」と呼んだことに由来するとされる。のちに西オーストラリア博物館の周辺で記録が整理され、1930年代には生物学と民俗学の境界例として紹介された[2]。
歴史[編集]
島の口承と初期の誤読[編集]
起源は1878年ごろ、ロットネスト島の灯台守補助員であったアーサー・M・ブレインが残した私信に求められることが多い。彼は、夜間に草地へ落ちた水滴を「小型有袋類の排尿に似る」と書いたが、写字生がこれを「有袋類の排尿を飲料に利用」と誤読し、以後、島内で奇妙な健康法として流布したとされる。
1896年にはパースの新聞『The Western Mercury』が、観光客の間で「クオッカのおしっこを見れば翌日の天気が分かる」という噂を紹介した。記事末尾には「実証は乏しいが、島の宿屋が妙に繁盛している」とあり、これが消費文化への最初の接続であった[3]。
研究対象への格上げ[編集]
1924年、植物学者のエリザベス・H・コーエンは、ロットネスト島の塩生植物が生育する区画において、クオッカの排尿跡が土壌のpH分布と重なることを報告した。実際にはサンプル数が17と少なかったが、彼女は報告書の余白に「なお、島民はこれを運の偏在と呼ぶ」と付記しており、この一文が後世の俗信研究を刺激した。
一方で、1929年に来島した日本人研究者渡辺精一郎は、現地で採取した試料を「香気のある淡黄液」と記しており、これが日本語圏での「クオッカのおしっこ」概念の初出のひとつとされる。ただし彼のノートには、同じページにカモメの羽毛標本と紅茶の染みが併記されており、資料の信頼性には疑義がある[4]。
観光商品化と制度化[編集]
1957年、島の土産物業者ジョン・P・エラリーは「Quokka Dew」という名でミネラルウォーターを販売し、ラベルにクオッカの排尿シルエットを印刷した。これが大きく売れたため、ロットネスト環境観光協会は翌年、夜間ツアー「尿の軌跡をたどる散歩」を試験導入した。参加費は1人あたり3シリングで、案内人には「見つけても驚かない訓練」が課されたという。
1970年代には、オーストラリア博物館の巡回企画「小さな哺乳類と大きな誤解」の一部として取り上げられ、クオッカのおしっこは「野生動物保護と土産産業の摩擦を象徴する語」と位置付けられた。ただし、会場の半数以上が試飲可能な展示と誤認したため、主催側は急きょ説明板を3枚追加したとされる。
学術的解釈[編集]
この概念をめぐっては、生理学的理解と象徴論的理解が長く併存した。前者は尿の塩分濃度や夜行性行動との関係を重視し、後者は「島の潤い」「観光客の心理的再生」といった比喩を中心に据える。
1983年の西オーストラリア大学シンポジウムでは、学者の間で「クオッカのおしっこは液体か、物語か」という議論が起こった。議長を務めたマーガレット・L・ヒューズは、「両者を分けるのは便宜であり、島ではしばしば同義である」と述べたとされるが、当日の議事録は飲食休憩のページと混線しているため、発言の正確な文言は不明である[5]。
また、2001年以降は、雨量の少ない季節にだけ観測される「蒸発後残渣」の研究が進み、これがクオッカの生息密度の指標として扱われた。もっとも、採取班のなかには観測後に島内カフェで同じ説明を3回繰り返してしまう者が多く、実務上は「記録より記憶が残る現象」とも呼ばれた。
社会的影響[編集]
クオッカのおしっこは、西オーストラリア州における環境教育と観光案内の両方に影響を与えた。学校教材では「動物の排泄物をむやみに神秘化しない」ことを教えるための反面教材として用いられる一方、土産店では香り付き栞や小瓶標本のモチーフとして人気を集めた。
フリーマントルでは、1980年代に「尿を語れるガイドは一人前」とする業界慣行が生まれ、ガイド免許試験においてクオッカの生息環境と排尿時間帯を答える設問が出題されたという。なお、実際には採点基準の7割が「落ち着いて説明できるか」であったとされ、内容より態度が重視されたことがうかがえる[6]。
批判と論争[編集]
一方で、動物福祉の観点からは、クオッカのおしっこを話題化しすぎることへの批判も存在した。とくに1994年の『Journal of Island Mammalogy』に掲載された論文では、観光客が排尿を待ち受ける行為が「生息地の静けさを損なう」と指摘され、以後のツアー運営は距離の確保を義務付けられた。
また、2008年には、ロットネスト島の一部商店が「純粋クオッカ尿由来」と表示した石鹸を販売し、オーストラリア競争・消費者委員会から表示根拠を問われた。業者側は「由来」と「直接抽出」の差を主張したが、説明文が長すぎたためにほぼ全品回収となった。これがいわゆる「香りだけが残った事件」である[7]。
文化的受容[編集]
日本では1990年代後半から、旅行雑誌や深夜番組の影響により「クオッカのおしっこ」が、南半球の奇妙な名物として半ば定型化した。特に大阪府のイベント企画会社が、ロットネスト島を模した展示で黄色い照明を使いすぎた結果、来場者の多くが「尿の展示ではなくユーモアの展示」と理解したという逸話がある。
2020年には、SNS上で「クオッカのおしっこを見ると幸福度が上がる」という投稿が拡散し、実態のないまま祝祭化が進んだ。これに対して島内の保全団体は、あくまで「かわいさと排泄は別問題である」と注意喚起を行ったが、同じ投稿が翌週には観光ポスターの帯コピーに採用されてしまい、運動は複雑な様相を呈した。
脚注[編集]
[1] ロットネスト島の観光年報における総称使用。 [2] 西オーストラリア博物館所蔵『島嶼小動物と湿度記録』未整理箱12。 [3] 『The Western Mercury』1896年8月14日号、3面。 [4] 渡辺精一郎「西豪州沿岸小誌」個人資料、第2冊。 [5] 西オーストラリア大学シンポジウム議事録、1983年、欠損頁あり。 [6] ロットネスト環境観光協会『ガイド実務手引き』1989年改訂版。 [7] オーストラリア競争・消費者委員会照会記録、2008年7月付。
脚注
- ^ Eleanor H. Calloway『Notes on the Moist Trails of Rottnest』University of Perth Press, 1931, pp. 14-39.
- ^ 渡辺精一郎『西豪州沿岸小誌』南洋地理学会, 1932, pp. 88-104.
- ^ Margaret L. Hughes, "Urine, Dew, and Tourist Memory", Journal of Island Studies, Vol. 12, No. 2, 1984, pp. 201-229.
- ^ John P. Ellery『Quokka Dew and the Commerce of Wonder』Fremantle Mercantile Publications, 1958, pp. 3-17.
- ^ 西オーストラリア博物館編『島嶼小動物と湿度記録』所蔵目録第7巻第1号, 1979, pp. 55-73.
- ^ A. B. Kershaw, "The Vaporization of Myth in Coastal Mammalogy", Australian Journal of Folklore, Vol. 9, No. 4, 1995, pp. 44-68.
- ^ Elizabeth M. Cohen『Salt Flats and Soft Prints』Perth Botanical Review, 1925, pp. 112-130.
- ^ 高橋由里子『オセアニア観光語彙の成立』青梧社, 2002, pp. 159-183.
- ^ National Institute of Recreational Zoology『Quokka Urine: A Preliminary Catalog』Research Bulletin, Vol. 3, No. 1, 1967, pp. 1-26.
- ^ M. O. Fenwick, "A Curious Yellow Liquid of the Islands", Proceedings of the West Australian Society, Vol. 18, No. 6, 1901, pp. 301-318.
外部リンク
- ロットネスト環境観光協会
- 西オーストラリア博物館デジタルアーカイブ
- 島嶼民俗学資料館
- オーストラリア疑似生理学会
- クオッカ文化年報